第8話
「ところでレイナ。お前の従者のことなんだが……」
前回の浮気から数日後、アード様は再び約束もなく屋敷を訪れました。
まさかまた別の”運命の相手”を見つけたと言い出すのかと身構えましたが、どうやら今回は、ただ二人で庭園を歩きたいとのことでした。
もしかすると、彼なりの謝罪のつもりなのかも……。
そう楽観的に考えた私は、ティディを伴わずにアード様と二人きりで庭園を歩いています。
「従者というと、ティ……トリッドダストのことですか?」
「そうだ。あの薄気味の悪い男だ」
問い返すと、アード様は苦々しげな顔で頷きました。
私が彼を”ティディ”と愛称で呼びかけたことに、気がついたのかもしれません。
それにしても、ティディが薄気味悪いだなんて。
確かに些か作り物めいた美形ですので、黙ったまま佇んでいると人形みたいに見えるときもありますけれど……彼はちゃんと血の通った普通の人間ですよ? 冗談だって言いますし。
「彼がどうかしたのですか?」
「あー、なんだ、奴なんだがな……」
歯切れ悪く、アード様は言葉を濁らせます。
彼はやがてガシガシと勢いよく頭を掻いたのち、ペッと地面に唾を吐き捨て(うちの庭園なのですが……)、私に向かって言いました。
「あいつはクビにするべきだろう。いや、そもそも雇うべきではなかった。今までずっと、あんな奴がレイナの傍にいたのはおかしい」
「……え?」
びっくりして、私は足を止めました。
アード様も立ち止まり、じっと私を見つめてきます。
「え? じゃあない。どうしてあんな下賤の者が、ソファン家の屋敷に雇われているんだ。貴族としての品格を疑われるぞ」
「いえ、あの、ティディはおじい様が雇ったのです。それからずっと、私に仕えてくれています。なぜ突然、そんなことを仰るのですか?」
「ッ、お前はッ! いつもそうだな! この俺に対する口の利き方がなっちゃいないッ!!」
「えっ!? きゃっ!?」
ふいに表情を一変させて、アード様は大きな声で怒鳴りました。
反射的に身を竦ませた途端、両肩をガシリと掴まれます。
口の利き方がなっていない、などと言われましても、彼の命令で様付けをして敬語も使っていますのに、これ以上どうしろと……。
「それになんだ、ティディだと? ええッ!? お前はあの男を、そんな愛称で呼んでいるのか!!」
「っ、そ、それは、幼いときからの習慣で、」
「なんだと!? そうか! ガキの頃から、お前は奴と浮気をしていたんだなッ!!」
「へっ!?」
……これはまさか、嫉妬でしょうか?
そう思い、アード様の顔を窺います。
彼はまるでドラゴンの首でも獲ったかのように、ニヤリと得意げに微笑みました。
「いいか! この尻軽女! 俺と結婚したいんだったら、今すぐ奴を屋敷から追い出せ! できないんなら、お前が浮気をしていると皆に言いふらしてやるからな!!」
そして耳が痛くなるほどに、大声で私を怒鳴りつけます。
「……そんな、そんなこと、誰も信じるはずがありません!」
「ハッ! どうかな? それに信じる信じないじゃあない。この俺がそうだと言えばそうなんだ! この薄汚い浮気女めッ!」
今さら思い知りました。
彼が嫉妬してくれるだなんて、あまりにも愚かな発想だったと。
アード様の指が食い込み、肩が、心が、痛みます……。
「大体、あんな不気味な奴を庇ってること自体が証拠じゃないか! 奴は俺を脅したんだぞ! 怪我もさせた! 奴のせいで、お前の婚約者は両膝を擦り剥いてしまったんだからなッ!!」
「け、怪我? どうしてそんな……」
「黙れ! お前には関係ない!」
叫ぶようにそう言って、アード様は私から顔を逸らします。
ティディが彼を害するだなんて、一体どういうことなのでしょうか……?
「っ!? クソッ!」
ふいにハッとしたような表情を浮かべ、アード様は訝る私の両肩からさっと手を退けました。
その場にしゃがみ込んでしまいそうになりながら、私は視線をアード様の見ているほうへと向かわせます。
「……ティディ」
「あいつめ、また監視してやがったな!」
監視? どういうことでしょう?
とにかく屋敷の入り口からは、ティディがこちらへ駆け寄ってきているようでした。恐らくはアード様の大きな怒鳴り声を聞きつけて、慌てて様子を見にきたのだと思います。
「きょ、今日のところはもう帰る! だがレイナ! 俺が次に来るときまでに、あいつをクビにしておけよ! 婚約者としての命令だからな! お前が誰を愛しているのか、よく考えておくんだなッ!」
「……え、」
喚くようにそう言って、アード様は走って庭園から出ていきました。
その場に残された私は一人、駆け寄ってくるティディの姿を見つめながら、言われた言葉を復唱します。
「…………私が誰を、愛しているか……?」
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