第7話:アード(2)
一体いつの間に現れたのだろうか?
足音もしなかったし、それどころか気配すらなかったように思う。
「だ、黙れ! 従者ごときが、この俺に文句をつけるつもりか!」
怯えているのを隠すため、アードは大きな声で執事に怒鳴った。
……いや、そんなはずはない。
このアード・タルファン様が、トリッドダストなんぞを相手に気圧されているはずがないのだ。
その証拠に、アードは無礼な執事を威圧してやろうと詰め寄ろうとして――しかし、足を踏み出すのを躊躇った。……向こうのほうが、背が高い。
「アード様がそのようなことをなさったと知れば、レイナお嬢様が悲しみます。わたくしも、あなた様のご来訪のたびに金目の物を隠さねばならなくなるというのは、些か心苦しく存じ上げます」
「はぁっ!? な、なんだと!? キサマはまさか、よりにもよって、この俺が盗みを働いていると、もしやそう言っているのではあるまいな!?」
しどろもどろに、アードはさらに声を荒げた。
僅かにうわずってしまったかもしれない。
「……もしお金がご入り用なのでしたら、わたくしが幾らかお渡ししましょう。ですからその燭台は、元の場所へ戻していただけませんでしょうか?」
「ッ!? ええい、まだ言うか!」
――金を渡す? コイツが? 俺に?
アードは一瞬、それならそれでいいかと思った。
だが遅れて、見下されているのではないかと思い至る。レイナの執事ふぜいが、このアード・タルファン様をだ。
「いいか! 俺はあの女の婚約者だ!! つまりこの屋敷にある物品は、全部この俺のものになる予定なんだ! 俺が俺の持ち物をどうしようが勝手だろうが! 従者が余計な口を挟むんじゃないッ!!」
「ご結婚をされたのち、ソファン家はお二人に新しい屋敷を建てる予定でございます。そのお屋敷の燭台が、アード様のものとなるかと。よって、あなた様の今お持ちであるその品は、当主である旦那様のものでございます」
「ぐっ!? く、ぐぅッ」
――確かにそうだ。
と、アードも納得してしまう。
それになにより、現当主であるレイナの父親を敵に回したくはない。
バレなければしらを切ることも容易かったが、燭台を持ち出す姿をこの男に見つかってしまった時点で、言い逃れは難しいのだ。……仕方がない。
「……ほらよ、戻しておけ!」
「お聞き入れいただき、感謝いたします」
「っ、……フン」
燭台を投げつけてやると、トリッドダストは危なげもなくそれをふわりと受け取った。落としたら叱りつけてやろうと、それなりに力を込めて投げたはずだったのだが。
……気に入らない。
気に入らない、気に入らない、気に入らない。
涼しげな顔で佇む執事の姿に、アードの苛立ちは加速していく。
「おい、それにしてもキサマ、この俺に対して無礼がすぎるんじゃあないか? 後ろからコッソリつけ回しているなんて、まるで見張っていたみたいじゃないか!」
「それは、大変ご失礼をいたしました。お嬢様のご婚約者様をお見送りさせていただくのも、従者の仕事でありましたゆえ」
――ずっと傍におりましたが、お気づきになっていなかったのですか?
トリッドダストがこちらを射抜く冷たい瞳が、そう告げているような気がして、アードの背中がぞくりと震えた。
この男は得体が知れない。もしや、同じ人間ではないのではなかろうか? 魔物や幽霊の類なのかも。そんな益体もない想像までしてしまう。
「ッッッ、無礼、無礼だ! キサマこの俺を脅したな! この場で焼き払って処分してくれようかッ!!」
「はて? そのような意図はなかったのですが……」
「ッ!? ち、近づくなッ!」
薄っすらと笑みを浮かべて小首を傾げ、
アードは右手を前へとかざし、炎の魔術を放とうとした。その手をぎゅっと掴まれる。
「……こちらが、お約束の金銭でございます。わたくしの個人的な所持金ですので、お嬢様や旦那様にはご内密にお願いしますね? ご心労をかけたくないのです」
「――ハ、はァッ、ふッ……!」
恐怖のあまり集中が乱れ、魔力が霧散し、アードは廊下に尻もちをついた。
握られていた手を見ると、金貨袋がその中にある。――恐らくは、トリッドダストが貯めていた給金だろう。
「ふ、ふ、ふぅぅッ……!」
――ふざけるな。こんなはした金!
そう怒鳴りつけてやろうとして、アードにはどうしてもできなかった。
袋の中身は盗んだ燭台を売るより多い金額だろうし、なにより目の前の男が、怖い。
「さて、では。わたくしを焼き払うとのことですが、それならば、屋敷の外へ出たほうがよろしいかと存じ上げます。ここでは火事になってしまいますし、なにより、
「ひッ!? い、いや、違う! きょ、きょ、今日のところは見逃してやる! お、おおおおお前! み、みみ見送りはいらん! も、もうついてくるんじゃないぞッ!」
「左様でございますか。恐縮です。そういえば、アード様。帰り道はくれぐれも、ご注意くださいますようお願い申し上げます。なにやら近ごろは、この辺りの治安も些か悪うございますゆえ」
「う、うううるさいッ! 俺はもう行く! 追うんじゃないぞッ!!」
這うように距離をとってから立ち上がり、アードは逃げるように屋敷をあとにした。
馬車に乗るまでの庭園の道で、二回ほど足をもつれさせ派手に転んだ。
――そして帰りの馬車の中、アードは痛む膝を擦りながら考える。
もしレイナと結婚したら、あの不気味な執事までついてくるのか。
「……そうだ。アイツはクビにしよう。いや、絶対にそうしなくちゃならない」
あの邪魔で幼稚な、クマのぬいぐるみだって捨てさせたんだ。
愚鈍なレイナはアードが婚約者として命令すれば、それを聞き入れるはずだった。
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