僕がエミちゃんに会いに来るペースはそんなに変わっていない。それでもいつも、エミちゃんは「ひさしぶりだね」と言う。そして僕はいつも「そうかなあ」と答える。決まりごとのようだけど、多分おたがいにそう思っている。

 僕がエミちゃんと会う間にエミちゃんは無数の男と会っているわけだし、僕はエミちゃん以外の女の子とは会わない。僕は小屋の中にいる女の子を思い出している。

 女の子といっても、あの子はまだ子どもだ。

「何考えてるの」エミちゃんが僕の顔をのぞき込みながらこう言う。僕は何も言わずエミちゃんを抱き寄せた。

「今日はなんかいつもと違うね。何飲む」

「コーラ」

「わかった。じゃ、いってくるね」

「いつもとかわりないよ」僕はひとり言をつぶやく。

 紙コップを二つ抱えてエミちゃんが部屋に戻ってくる。

「ねえ、たまにはご飯でも食べに行こうよ」

 いつもと違うのはエミちゃんのほうかもしれない。

「メール入れるから」そう言ったあと、エミちゃんは少し考えている。

「そっか。ケータイ持ってないんだよね」

 そう言ってエミちゃんはまた考えている様子。こんどは少し長い。

「あたし、いっぱいいっぱいでさ」

「仕事やめるの」

「そうもいかないんだよね」

「待ち合わせしよう、六時に。あたし五時あがりだから」

「どこにいけばいいの」

「うーん、この辺じゃまずいから少し離れたところ」

 僕は公衆電話をさがしている。以前なら公衆電話なんてそこら中にあって、とりたててさがすことなんてなかったのに。今はみんなケータイ持ってるから。

 僕は駅前のあたりをウロウロとさまよっている。ケータイなんていらないと思ってた。僕と他の人との接点は、たまにエミちゃんと会うことぐらいなんだから。

 でも、今僕は電話をかけなくちゃならない。彼女に電話をかけなくちゃ。人ごみに紛れてひっそりと誰かがさがしてくれるのを待っている公衆電話。やっと見つけることができた。僕は人をかき分けるように、公衆電話に向かって歩いていく。

「もしもし」彼女の声が僕の耳に響く。やけに落ち着いている声に、僕の緊張が高まっていく。もう何度も電話しているのに。無言の会話がしばらくつづいた。電話の向こうから聞こえてくるモーツァルト。僕がはじめて彼女の家を訪ねたとき、彼女は僕に音楽は好きですかと言って、一枚のレコードをターンテーブルにのせた。モーツァルトのあまり有名ではない曲。

「あたしこの曲が大好きなの」彼女が僕にそう言った。曲名を教えてもらったけれど、忘れてしまった。僕は用件だけを告げて電話を切った。

 そして、そのまま公衆電話から離れられないでいる。人が通り過ぎていく。僕の存在がまるで消えてしまったように。

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