第14話 反撃の狼煙


 だが、事はそう簡単なことではなかった。


「ふー……ふー……!」


 私は数十分以上、包帯に噛みついて必死に引きちぎろうとしたが、『封陰具』として加工された包帯が千切れることはなかった。


 だけど、私は諦めずに何度も何度も噛み続ける。


「……いたっ!」


 そのせいで、また口の中を切ってしまい、針を刺すような痛みに襲われた。


 すっかり血の味しかしなくなった咥内が気持ち悪くて、胃の中の物を吐き出してしまいそうだった。


紫苑しおんさん。無理です……もう止めてください……」


 そして、燈架とうかさんは先ほどからも何度も言い続けていることを、口にする。


「紫苑さんは見えていないかもしれませんが、もう紫苑さんの口は血だらけです。見ているこっちが痛々しいくらい……」


 燈架さんの声が、先ほどとは違う涙声になっていることに気付く。


 それが、私のことを心配しているからだということは十分に伝わってきたし、こんな無駄なことをしていても、意味はないのかもしれない。


 だけど、私は……。


「諦めません……。わずかでも可能性があるのなら、私はそれに全力を尽くします」


 そう宣言して、私はもう一度、包帯部分を口に触れて、噛み千切ろうとする。


 本当は、口の中だって痛いし、最初の頃に比べたら噛む力だって殆ど残っていない。



 それでも、私は諦めない。


 誰かが助けに来てくれるのを待っている自分には、絶対に戻りたくない。



 だが、私のそんな願望は、あっさりと打ち砕かれた。


 ガラガラッ! と、何か大きな扉が開くような音が聞こえて来た。


 私は、咄嗟に音のするほうへ振り向くが、当然、私の眼は『封陰具』として巻かれている包帯のせいで何も見えない。


 それでも、私は何かあったときの為に、燈架さんを守るための壁になろうと、覆いかぶさるように彼女の身体に密着する。


「……紫苑しおんさん。先ほどの狐面の男たちが来ました。今の人数は5人ですが、まだ他にも外で控えているかもしれません」


 すると、私の耳元で燈架さんが情報を提供してくれた。


 突然のことだったにも関わらず、冷静に対処してくれた燈架さんには頭が上がらない。


「……お前たち! 何をやっている!」


 私たちの姿を見たのか、男の怒鳴り声が聞こえてくる。


 そして、バタバタと私たちに近づいてくる音が聞こえてきて、ピタッと足音が止まる。


「……あなたたちこそ、私たちをこんな場所に監禁して、目的はなんですか?」


 すると、燈架さんが相手に向かって質問をぶつける。


「お前たちが知る必要はない。余計な真似はするな」


 しかし、案の定、相手がそう簡単に情報を教えてくれるはずもなかった。


「ただ、お前たちも『能力者』だからな。使い道はいくらでもある」


 そう言うと、誰かが私に近づいてきて、乱暴に腕を握る。


 このまま何か危害を加えられるんじゃないかと身を固くしたけれど、その人が私を縛っていたロープを切る。


 もしかして、このまま私たちを解放してくれるのかと思ったけれど、残念ながらそうは問屋が卸さず、私の両手に手錠のようなものが付けられる感覚があった。


 やっぱり、そんなに甘くはないらしい。


 その証拠に、私の眼に巻かれている『封陰具』を外してくれる気配はない。


 それでも、ずっと椅子に縛り付けられているよりかは幾分マシであった。


「来い、お前たちの身柄をボスに引き渡す前に、あいつが話をしたいそうだ」


「あいつ……?」


 私がそう口にすると、男は独り言のように呟く。


「しかし、双子とは聞いていたが、本当にそっくりだな」


 すると、その声が燈架さんにも聞こえたのか、彼女の叫び声が響く。


燈弥とうやが……! 燈弥がいるんですか!?」


 隣で、今まで大人しくしていたであろう燈架さんが慌てている様子が目に浮かんだ。


「おい、余計なことは話すな。任務中だ」


 しかし、私を拘束している男とは違う咎める声が聞こえていた。


 すると、男は軽く舌打ちをしたが、そのまま黙って私を連行していく。


 正直、もう少し丁重に扱って欲しいと思ったけれど、ここは相手を刺激するようなことを言っても仕方がないので、ぐっと我慢する。


 そして、おそらく私たちを監禁していた倉庫から出たのだろう。


 すると、車のドアが開くような音が聞こえて、靴でコンクリートの地面を踏む音がわずかに私の耳に残る。


 私には、その人物が一体誰なのか、視界が塞がれているので分からない。


「……燈弥!」


 だけど、隣から燈架さんがそう呼ぶ声が聞こえてきたので、今、私たちの目の前に現れた人が誰なのか、すぐに予想ができてしまった。


「…………」


 だが、燈架さんに対しては、何も言葉を発さずに彼は告げる。


「この2人は、このあとどうするつもりだったんだ?」


「はぁ? 何を言っている。ボスの元へ連れて行く手筈だっただろう。それをお前が会いたいというから……」


「そうか」


 そう頷く声は、確かに私のつい先ほど聞いた、燈弥さんの声に間違いない。


 間違いないはずなのに……私はどうしてか、違和感を覚えていた。


 なんだろう、何かが違う。


 あの時聞いた、燈弥さんとは違う感覚……。



 そうだ。


 私の聞いた彼の声は、もっとお腹の底が冷たくなるような声だった。


 だけど、今聞いた、この声は――。



「分かりました。では、彼女たちを返して貰いますよ」


「……は?」


 私の後ろにいた男の最後の言葉は、そんな呆気に取られたような声だった。



 次の瞬間。


 まるで轟雷が響くような音が、私たちの鼓膜を震わせた。



「ぐあああああああああああああああああっっ!!!!」


 そして、バタバタと、人が倒れていく気配を感じる。


 それと同時に、私の髪の毛が「パチパチ」と、静電気を纏ったように、フワッと浮き上がる感触があった。


「……なに? 何が起こったの?」


 状況が全く追い付いていないようで、燈架さんから困惑した声が漏れている。


 だけど、私はすぐに状況を理解することができた。


「お見事です」


 そんな燈弥さんの呟きが聞こえたところで、私の考えが確信に変わる。


 その声の性質は、確かに燈弥さんのものだった。



 ――それでも、彼は桐壺きりつぼ燈弥とうやではない。



「今回は僕も怒ってるからね。手加減なしでやったから一日は目が覚めないはずだよ」


 ああ、本当に。


 私は、この人たちに助けられてばかりだな。


 思わず力が抜けて、倒れそうになる私だったけれど、そのまま地面に倒れることはなく、私を抱きしめてくれる感覚が伝わってきた。


「待たせて悪かったな、紫苑」


 そんな言葉と同時に、私の視界を遮っていた『封陰具』が解かれる。


 最初はぼんやりとしていた視界が、やがて焦点が定められて、彼の顔をはっきりと捉えた。


「う、ううっ……!」


 そして、その顔を見ると同時に、私は我慢できなくなって、大粒の涙を流した。



「ヴぇいざ~~ん!!」



「何だよ、なんて言ってんのか全然分かんねえぞ?」


 眉間に皺を寄せながら、れいさんは私にそう告げる。


「だっで! だっでーー!!」


 この時の自分を思い出したら、顔から火が出るくらいの醜態を晒していることだろう。


 だけど、今は色んな感情がぐちゃぐちゃに混ざってしまって、自分でも上手くコントロールが出来なかった。


「わかった! わかったから離れろ! 俺の大事なコートが汚れるだろ!」


 私が胸に飛び込むと、零さんは本気で嫌がるように私を引き剥がそうとする。


「あはは、紫苑ちゃんが零さんに甘えるなんて珍しいけど、今日くらいは許してあげなよ、零さん」


 そう言ったのは、いつの間にか私たちの隣にいた綱くんだった。


「そうですね。私もそれがいいかと思います」


 そして、その隣には燈弥さんの姿をした人物がそう告げる。


「……燈弥?」


 しかし、その振る舞いに流石に違和感を持ったのだろう。燈架さんが困惑したまま彼に尋ねる。


「すみません。詳しいことは後ほど。ですが、残念ながら私はあなたの兄の桐壺燈弥ではなく、柏木かしわぎ宗司そうしです」


 多分、宗司さんは燈弥さんの顔のまま、いつもの柔和な笑みを見せたことだろう。


「……ったく、お前たちは他人事だと思って」


 そう悪態を吐く零さんだったけど、いつまでも離れようとしない私に観念したのか、私を引き剥がそうとするのを止めてしまった。


「けど、ちゃんと依頼人を守ったんだな」


 その代わり、私の頭を優しくポンポンと叩いて、こんなことを私に告げる。



「よく頑張ったな、紫苑」



 その言葉を聞いた瞬間、私の瞳から再び大粒の涙が流れたのだった。


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