第10話 依頼人の不安と葛藤


「申し訳ありません。突然お邪魔してしまって……」


 私が燈架とうかさんを部屋の中まで案内すると、彼女は遠慮気味にソファの上へと腰掛ける。


 なので、私も彼女の隣に座って、会話をする。


「いえ、気にしないで下さい。それより、どうして私のところに?」


「それは……」


 すると、燈架さんは少し顔を伏せながら、黙ってしまった。


「あっ! べっ、別に迷惑だったとかじゃないんですよ!? だから、話したくなかったら、それでもいいんですけど……」


「……ふふっ」


 なんとか取り繕うとした私だったけれど、その様子がおかしかったのか、燈架さんから少しだけ笑みが漏れる。


「申し訳ございません、今のは決してあなたのことを笑ったわけではないんです。ただ……やっぱり、あの人の仰った通りですね」


「あの人……?」


「ええ、あの太々しい態度の探偵ですよ。ちょっと目つきの悪い黒いコートを着た」


「ああ……」


 それだけで、燈架さんの言っている人が零さんであることが分かってしまった。


「実は私……先ほど、あの人にお願いしたんです。私も一緒に、兄のいるところに連れていってくれないか、って……」


 そう告げた燈架さんの表情は、どこか寂しさを感じさせるものがあった。


「ですが、『ここからは俺たちに任せておけばいい』と言われて、断られてしまいました」


 おそらく、零さんならそう言うのだろう。


 ましてや、今回追っている相手は『能力者クリミネイト』だ。


 そんな危険な相手がいる場所に、依頼人である燈架さんを連れて行くのは、探偵として看過できなかったはずだ。


「それは……れいさんが燈架さんを危険な目に遭わせないようにする為……だと思います」


 こんなこと、燈架さんだって私なんかに言われなくたって分かっている筈だ。


「……ええ、それは重々承知しています」


 案の定、燈架さんからはそんな返事が返ってきた。


「ですが、ただ待っているだけというのは不安で……」


 そして、燈架さんは隣に座る私の顔をじっと見つめる。


 改めて見ると、燈架さんの瞳は、とても綺麗な宝石のようだった。


「そう思ったときに、あの人が言ったんです。『家に帰りたくないなら、紫苑のところへ行け』って……」


「私の、ところに?」


「はい、そうすれば、少しはその不細工な顔も治るだろうって」


「不細工って……! 零さん! なんてこと言うんですか!」


 私は、信じられないといわんばかりに声を上げて、怒りを露わにする。


「大丈夫ですよ、燈架さん! 燈架さんはすっごく綺麗ですっ! 私なんて、最初みたときはお人形さんみたいに綺麗な人だなって思いましたもん!」


 ガシッっと彼女の肩を掴んだところで、彼女がポカンと口を開けて固まっていることに気が付いた。


「って、わああっ! ごめんなさい! いきなり大声なんて上げちゃってビックリしましたよね! で、でもっ! 零さんの言うことなんてこれっぽっちも真に受けなくていいですよ! そりゃあ、本人はそれなりに顔は整っているかも知れないですけど、普段はほんっとうに寝坊助のダメダメさんで……」


「ふ、ふふふっ!」


 すると、また燈架さんは笑い声を漏らす。


「やっぱり、あなたって面白いですね」


「お、面白い?」


「はい。凄く純粋な人というか……ですが、お陰で私も、少し落ち着くことができました」


 そう言った燈架さんは、照れくさそうにウェーブのかかったブロンズ色の髪を指で摘まむ。


 彼女が初めて澪標みおつくし探偵事務所に来たときも同じ仕草をしていたのだけど、どこか敵意にも似た視線を向けてきたあの時とは違い、今はとても柔らかい、それこそ、年相応な笑顔を浮かべていた。


「私は……昔から自分の感情を表現するのが苦手だったんです。そのせいで、友達と呼べるような学友は、今まで一人も出来たことがありません」


 諦観したようにそう呟いた燈架さんだったけれど、ほんの少しだけ口角を上げたあとに、私に言った。


「ですが、私の兄だけは違いました。決して私が口や顔に出さなくても、すぐに私の考えていることを察して、助けてくれました」


「そう……なんですね」


「お父様たちは、兄より私のほうが優れた子供だと言いますが、本当はそんなことはないんです。兄は……私なんかよりよっぽど優秀で……優しいお兄ちゃんなんです……」


 燈架さんは俯いたまま、しばらく鼻をすする音だけが部屋に響く。


 それだけで、燈架さんの言葉が嘘ではないことは明白だった。


「……燈架さんは、お兄さんのことが大好きなんですね」


 私がそう問いかけると、彼女はゆっくりと頷いた。


「だから私……、まだ信じられないんです。燈弥が人を傷つけるようなことをするなんて……」


 やっぱり、燈架さんは自分の兄が連続殺人なんて起こすわけはないと、信じているのだ。



 だからこそ、彼女は今も辛い思いをしているのだ。


 だったら、今の私にできることは……これしかない。



「……分かりました。それなら、私は燈弥さんがそんな酷いことをする人じゃないと、信じます!」


「……えっ?」


 再びポカンとした顔になる燈架さんだったけれど、私は捲し立てるように宣言する。


「だから、燈架さんが知っている燈弥さんのことを教えてください。それで、私が零さんたちに話してみます」


「……えっと、どういうことですか?」


「ですから、燈弥さんが犯人じゃないということを私たちで証明するんです!」


 今、零さんたちが追っているのは連続焼死事件を起こした犯人で、それが燈弥さんじゃないという可能性だって残っているのだ。


 それに、例え犯人だったとしても、燈弥さんには何かのっぴきならない事情があったかもしれないじゃないか。


「だから、燈架さんから教えて欲しいんです。えっと、こういうのを探偵用語でプロフィッシングって言うんですよ!」


「それをいうなら、プロファイリング……ではないでしょうか? それに、探偵用語というよりは犯罪心理学の分野になるかと……」


「…………えっ、そうなんですか?」


 折角カッコよく決めようとしたのに、盛大に間違えてしまう私だった。


「と、とにかく! 私もただ零さんのお世話をしてたというわけではありませんので!」


 しかし、そんな動揺を見破られたくない私は、なんとか虚勢と胸を張って誤魔化そうとする。


「……ふふっ、分かりました。ずっと落ち込んでいるだけじゃ、本当に何も変わりませんよね」


 そう言った燈架さんは、また自然な笑顔を見せてくれたので、私もついつい笑ってしまう。


 ほんの少しだけ、空気も柔らかくなってきたので、私はここぞとばかりに畳みかけることにした。


「では、いっぱい燈弥さんのことを教えてください。あっ、その前に何か飲み物を事務所から持ってきますね。この部屋には冷蔵庫がなくて不便なんですよ。零さん、本当にここは寝るだけに使ってたみたいで……」


 そんな愚痴をこぼしつつ、私は燈架さんのリクエストを聞いてみる。


「燈架さんは、飲み物は何がいいですか? 夜はまだ少し寒いので、温かいものがいいですかね? だったら、コーヒーでもお持ちします。あっ、でも夜にカフェインは良くないって言いますし……いや、でもリラックス効果もあるって言うし……う~ん……」


「あ、あの……」


「燈架さん? どうしかしましたか?」


 頭を抱えて悩んでいると、恥ずかしそうに燈架さんは私に告げる。


「ごめんなさい……私、本当はコーヒーが飲めないんです……」


「……えっ?」


「で、ですから! 飲めないんですよ! コーヒーが!」


 コーヒーが飲めない?


「でも、燈架さん。お昼は私が用意したコーヒーを……あっ」


 飲んだじゃないですか? と問いかけようとしたところで、私は思い出した。


 そういえば、あの時、燈架さんは私が出したコーヒーには一度も手をつけなかった。


「私……本当は苦いのが駄目なんです……。どれだけお砂糖とミルクを入れても飲めなくて……ですが、あの時は子供だと思われたくなくて余計な嘘を吐いてしまいました」


 余計な嘘というのは、多分「甘いのが苦手」と言ったことだろう。


 ただ、私は未だに耳を真っ赤にしている燈架さんの姿を見て、ちょっと可愛いな、と思ってしまった。


「あはは、コーヒーが飲めないからって、子供だなんて思いませんよ。さっき、私と一緒にいた宗司そうしさんなんて、私よりいっぱいお砂糖とミルクを入れて飲むんですから」


 そんなフォローを入れつつ燈架さんに笑いかけると、彼女も緊張が解けたのか、またクスッと笑みを漏らした。


「では、ホットミルクでも用意しますね。そうだ、お昼に食べられなかったクッキーもあるので、それも一緒に食べちゃいましょう!」


 私がそう伝えると、燈架さんの顔が、ぱぁああと明るくなったような気がする。


 どうやら、クッキーは好きなようだ。


 本当は零さんと一緒に分けて食べるつもりだったけれど、燈架さんとの親睦を深める為には、悪いけど零さんには我慢して貰うことにしよう。


 そんなことを考えながら、私が事務所に向かおうとした――。


「――――!!」




 ――その瞬間、私の目の前に、ノイズがかかる。


 ――真っ暗な光景に中に、急に血で染めたような画面がフラッシュバックした。




「燈架さんッッ!!」


 気づいたときには、私は燈架さんに飛び掛かるようにして身体の上に乗りかかる。





 刹那、窓から真っ赤な光が差し込んでくると同時に、鼓膜が破れたかのような爆音が響き渡った。


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