第5話 探偵・柏木宗司、登場②


「ん? おや? これはこれは、紫苑しおんさんではないですか。それに、つなくんも、一体どうしたのですか?」


 しかし、宗司そうしさんは自分がびしょ濡れであるということを全く気にしていない様子で、爽やかな笑みを浮かべてこちらに手を振ってきた。


 後ろで括っている長い髪の毛に、高級感のある白いジャケットスーツは、一見すると敏腕経営者のように見えるけれど、それもずぶ濡れ状態だと全てが台無しになっている。


「お、お客様!? 大丈夫ですか!?」


 そして、今の宗司さんの姿を見たウェイトレスさんは、すぐに彼の元へと駆けつけた。


「ええ、問題ありません。こちらこそ、お店の方にご迷惑をお掛けしてしまいましたね」


「い、いえ……そんなことは……」


「しかし、あなたのような美しい女性の方に心配して頂けるとは光栄です」


 にっこりと、柔和な笑みを浮かべたまま、優しい言葉を投げかける宗司さん。


「う、美しいだなんて……!」


 すると、さっきまで慌てていたウェイトレスさんが、今度は顔を真っ赤になってしまう。


「あ、あの! すぐに何か拭くものをお持ちしますね!」


 そして、ウェイトレスがバックヤードへ向かっていく姿をみた綱くんが、「やれやれ」と言った感じで肩を竦めた。


「全く、相変わらずだね、宗司さんは」


「おや? 相変わらずというのは、どういうことでしょうか?」


「だから、むやみやたらに女性を誑かないほうがいいよってこと」


「誑かす? 私は決してそのようなことは……」


「はいはい、自覚ナシってことね」


「お、お客様! お待たせしました!」


 そんな会話を繰り広げていると、タオルを持ってきたウェイトレスさんが戻って来て、宗司さんに手渡す。


「あ、あの……またお困りのことがありましたら、すぐに仰ってくださいね……!」


 ただ、その時のウェイトレスさんの目が、私の勘違いでなければ完全にうっとりとした目で宗司さんのことを見つめていた。


 しかし、そんなウェイトレスさんの視線に気が付いていないのか、宗司さんは私たちに話しかけてくる。


「ふむ、その様子だと、お二人とも、私に用があってわざわざ足を運んで頂いたのですね。ご足労をおかけしました」


 そう告げた宗司さんは、滑らかで艶のある手を差し伸べるようにして、自分の前の空いている席を示す。


「どうぞ、お掛けになってください。丁度時間も空いたところなので、お話をお伺いしますよ」


 その様は、普通に見れば実に紳士的な対応で、びしょ濡れのジャケットスーツ姿でなければ、私も素直にカッコいいと思ってしまったかもしれない。


「じゃあ、ここは宗司さんに奢ってもらおうかな。僕、丁度お腹空いてたしねー」


 すると、綱くんは素直に宗司さんの指示に従って早速机にあったメニューを吟味していた。


 私も、遠慮気味に綱くんの隣の席に座って、最終的に私はホットコーヒーを、そして綱くんはカレーライスとオレンジジュースを注文し、ついでに宗司さんもホットコーヒーのおかわりを注文する。


「それで、私を訪れた理由は一体なんでしょうか? 概ね、紫苑さんが零さんに私を連れ戻すように頼まれた……と言ったところでしょうか?」


 私を見ながら、やはり柔和な笑みを浮かべる宗司さん。


 どうやら、私の用件は既に見抜かれてしまっていたようだ。


「うん、僕も含めて零さんからの招集命令だってさ」


「そうですか……。となると、少し骨が折れる仕事ということですね。紫苑さん、他に零さんから何か伝言を預かっていませんか?」


「いえ、特に何も……」


「では、話は直接事務所に戻ってからということですね。分かりました、お2人の食事が終わったら、私も戻りましょう」


 その前に、着替えは必要かもしれませんが、と、真剣な口調で呟く宗司さん。


 えっと、これって突っ込んだほうがいいのかな?


「じゃあ、こっちの話は後でゆっくりするとして、ねぇ、宗司さん。今回はどんなことでトラブルになっちゃったの?」


 すると、私の気持ちを綱くんが代弁してくれて、宗司さんに疑問を投げかけた。


「いえ、それが私も随分困った事態になってしまって……」


 すると、頭に手を添えながら、宗司さんは私たちに話してくれた。


「ただ、私も探偵業務をさせて頂いている以上、お相手の方のプライバシーなどは配慮させて頂きながらお話いたしますが……」


 そして、宗司さんから聞いた話をまとめると、大体こんな感じだった。



 先ほど、私たちがすれ違った女性は、零さんからの情報通り、宗司さんが担当していた依頼人だったらしい。


 ただ、今日で彼女からの依頼は全て完遂したので、その報告をしていたそうなのだが……。


 なんと、依頼人から宗司さんへ真剣な交際を申し込まれたそうだ。



「勿論、私はお断りさせて頂きました。私にとって、あなたはただの依頼人。そのような関係になるのは不適切だと懇切丁寧にお伝えしたところ、相手を怒らせてしまい、最終的にはコップに入った水をかけられてしまいました」


 そういって眉を顰める宗司さん。


 成程……。


 これで、どうして宗司さんがびしょ濡れになっていたのかの謎は解けたけど、少しでも私たちが到着する時間がずれていたら、そのシーンを目撃してしまったのかと思うと、遅れて良かったのかも知れないと思う私だった。


「一体、私の何がいけなかったのでしょうか……」


 そして、真剣にそう呟く宗司さんだったが、綱くんは呆れたように忠告する。


「……僕、いつも思ってることなんだけどさ、宗司さんって女性にモテるのに、どうしてそう、女心が分からないんだろうねー」


「そうでしょうか? 依頼人の心のケアは最善を尽くしているつもりなのですが……」


「それだよ、それ。さっきの人は、宗司さんに一人の女性として見て欲しかったの。それなのに、仕事だけの関係なんて言われたら、怒られても仕方ないって」


「はぁ……?」


 綱くんからの説明を受けても、宗司さんは全くピンと来ていないようだった。


「ほら、紫苑ちゃんも言ってあげてよ。時には優しさも相手を傷つけるんだよ、ってさ」


「え、えっと……」


 すっかり聞き役に徹していた私に話を振られた私は、言葉を詰まらせてしまう。


 恋愛絡みの話となると、多分、私の意見なんて参考にはならないと思うんだけど……。


「お待たせしました。お先にお飲み物です。ミルクとお砂糖はどうされますか?」


 すると、タイミングが良いのか悪いのか、ウェイトレスさんが人数分の飲み物を持って来てくれて、私たちの前に置いてくれる。


「私は頂きます。確か、紫苑さんも私と同じ砂糖とミルクが必要でしたよね?」


「はい、ありがとうございます」


「では、そちらの方にも。ああ、それと……」


 すると、宗司さんは使い終わって綺麗に畳んであったタオルを、彼女に返却する。


「先ほどは有り難うございました。貴方は美しいだけでなく、お優しい心をお持ちなのですね。是非、またお店に来ますので、そのときは私からもお礼をさせてください」


「はっ、はい! お待ちしておりますっ!」


 宗司さんとウェイトレスさんのやり取りを眺めながら、オレンジジュースに早速手を付けた綱くんが、私にだけ聞こえるように、ぼそりと呟く。


「だから、そういうのが駄目なんだってば」


 私も、恋愛などには疎いほうだと自負しているけれど、流石に綱くんの意見に同意せざるを得なかった。


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