第2話 依頼人・桐壺燈架
「あの、どうぞ。お砂糖とミルクが必要なら言ってください」
「……いらないわ。私、基本的に甘いのが苦手だから」
そう言って、
「それで、どうなんですか? 私の依頼を引き受けてくれるのですか?」
やや高圧的にも聞こえる物言いだったけれど、零さんはそんなことはさもどうでもようさそうに彼女に尋ねる。
「その前に、まだ色々と聞かなきゃならないことがある」
そして、零さんは依頼人である桐壺さんを指差しながら言った。
「まず、お前みたいな子供が、なんで俺やこの事務所のことを知ってる?」
「それは、ある人からお聞きしました。お金さえ用意すれば、どんな依頼でも引き受けて下さると」
「誰だ、そんなことを言った奴は?」
「……言えません。本人からもそう釘を刺されました」
「そうか」
もっと問い詰めるかと思っていたけど、零さんは意外にもあっさりと退き、次の質問へ移った。
「じゃあ、お前が用意できる額はいくらだ?」
「そうですね。100万円ほどでご満足頂けますか?」
「ひゃ、100万円!?」
私が声を上げた瞬間、零さんと桐壺さんが同時に睨んできた。
こ、怖い……。
しかし、反省してシュン……と項垂れる私を無視して、2人は話を続ける。
「そんな大金、子供のお前が一体どうやって用意する」
「それも、依頼を受けてもらう為に必要な質問ですか?」
「ああ、法に触れるようなやり方で集めた金じゃあ、こっちも受け取れないからな」
桐壺さんは若干眉を動かしたけれど、そのまま文句をいうことはなく零さんの質問に答える。
「……祖母から私個人で受け取ったお金があります。疑うようでしたら、今ここでネット銀行の預金残高を確認して頂いても構いませんが?」
「いいよ。まぁ、桐壺家のお嬢様がそんな見え透いた嘘を吐くとは思ってないからな」
「……やはり、最初から分かっていたんですね」
「桐壺家のお嬢様?」
そう疑問を口にすると、また2人の視線を集めてしまった。
ああ、私はなんで学習しないんだろうと反省しかけたところで、今度は零さんがちゃんと私の疑問に答えてくれた。
「桐壺家ってのは、大手都市開発事業の桐壺グループをまとめる家系のことだよ。まあ、簡単に言えば、お金持ちのボンボンばっかがいる家系ってことだ」
「そう、なんですね……」
「ああ、つまり、お前が『知らない』ってことは、黒い噂もない連中だってことだろ」
「…………」
私はそのまま黙ってしまったけれど、そのことに気付いていないのか、桐壺さんは特に私のことを気にする素振りは見せずに、零さんとの会話を再開させる。
「最初から隠すつもりはありませんでしたが、あなたの仰る通り、私は桐壺家の人間です。ですが、あなたのところへ向かうことは家族も含め、誰も知りません」
「だろうな。自分とこの大事な娘を、こんな得体も知れない奴のところに送り込んで来たら驚きだよ。まあ、雑談はこのあたりにしとくか」
そう言うと、零さんの目つきが一層鋭くなった。
「行方不明の兄貴を捜せって依頼だが、どうしてお前がそんなことをわざわざ俺に頼んできた? 本当にいなくなったのなら、警察にでも頼めばいいだろ?」
「それは……」
一瞬、言葉を詰まらせる桐壺さん。
だが、彼女は膝の上でギュッと拳を作ったのち、覚悟をしたように滔々と語る。
「お父様たちは……あまり兄がいなくなったことを公にしたくないそうで……。だから、お前も口外するなと言われています。それに……行方不明といっても、お父様たちは事件性はないと判断しています……」
「ほう……」
すると、零さんは何かを悟ったように、口を開く。
「成程。ようするに家出か」
「……そう解釈して頂いても構いません」
それから、桐壺さんが話し始めた内容を、ざっとまとめてみるとこんな感じだ。
桐壺さん……桐壺燈架さんには、双子の兄である桐壺燈弥さんという双子の兄がいるらしい。
そのお兄さんは桐壺グループの嫡男として英才教育を受けていたそうだが、同じ環境で育った燈架さんのほうが勉学や芸術で優秀な成績を修めていた為、両親たちはいつの間にか燈架さんを桐壺グループの後継人として考えるようになっていったらしい。
その結果、燈弥さんと両親たちの仲は決して良い関係とはならず、さらには学校でも他者とのコミュニケーションが上手くいかずに、最終的には中学校で不登校になってしまい、それ以来、自分の部屋で引きこもるようになってしまったそうだ。
「燈弥……兄は私と違って気が弱く……特に厳格なお父様からは、よく怒られていました」
当時のことを思い出したのか、燈架さんは少しだけ肩に力が入っているようだった。
「ですが、そんな兄が急に家からいなくなってしまったんです。私にも何も言わずに……」
零さんから目を逸らしながらそう告げた燈架さんの表情は、私が見る限り、とても不安そうだった。
「……分かりましたか? 家族や関係者も、兄がいなくなったこと自体を隠そうとしています。あの人たちにとって……兄の存在は隠しておきたい汚点なんです」
「そんな……汚点だなんて……」
燈架さんの話を聞いているうちに、私の胸の中でもチクリとした痛みが沸き上がって来ていた。
「……了解。事情は分かったよ」
そして、肝心の零さんはというと、寝癖のついた頭を掻いたのち、面倒くさそうに立ち上がって自分のデスクの引き出しからA4のファイルを取り出して燈架さんに渡す。
「本当に俺に任せる気なら、その契約書にサインしろ。そしたら、依頼を受けてやる」
そう言われて、燈架さんは目を見開いて渡された契約書と零さんの顔を交互にみる。
「……兄を捜してくれるのですか?」
「なんでそんなに驚いてるんだよ? 金さえ払えば、どんな依頼でも受けるって聞いて来たんだろ?」
「それは、そうですが……」
「とにかく、その契約書にサインをするのかは、お前が決めろ」
それだけ言うと、零さんはまたソファで横になってしまった。
「ちょ、ちょっと零さん? 何やってるんですか?」
「なにって、寝るんだよ。お前に起こされたせいで、こっちは変な時間に起きちまったからな。あっ、契約書は紫苑、お前が受け取っておけよ」
「ええ……そんないい加減な……」
呆気に取られている私をよそに、零さんは本当に目を瞑って寝息を立て始めた。
「……本当に、大丈夫なのでしょうか?」
「だっ、大丈夫ですよ! 普段はこんな感じですけど、いざって時は頼りになりますから!」
不安そうにそう呟いた燈架さんに、なんとかフォローを入れる私だった。
いや、なんで私が零さんの不遜な態度をフォローしなくてはいけないのだろうか?
「……分かりました。ですが、こちらも相応の報酬をご用意していることを忘れないでください」
結果、私の努力が功を奏したのか、最終的には契約書に目を通してサインをしてくれた。
「では、よろしくお願いします。何かありましたら、先ほど書いた私の連絡先に電話してください」
それでは、と、燈架さんは私に一礼して澪標探偵事務所から立ち去っていく。
「…………はぁ」
思わぬ気苦労に見舞われてしまったせいで、私の疲労も随分と溜まってしまった。
こうなったら、零さんには内緒で買ってきたお菓子を私一人で食べてしまおう。
うん、それくらいの贅沢をしても、バチが当たらないはず……。
「なんだ、もう帰ったか?」
「ひゃあ! う、嘘です! 零さんにもちゃんと分けますから!?」
「……何言ってんだ、お前? それより、あのお嬢様は契約書を書いていったのか?」
「あ、は、はい。これです……」
怪訝そうにそう尋ねてくる零さんだったが、私が騒がしいのはいつも通りだと思ったのか、燈架さんが残していった契約書に目を通していく。
「……よし。とりあえず、これでいいか。なぁ、
そして、零さんは私に向かって、こんな命令を下した。
「今から外に行って、
「えっ? 綱さんと宗司さん、お二人共ですか?」
「ああ。あいつら、どうせ俺の連絡なんて無視するだろうからな。お前もどうせ暇だろ?」
「えっと……暇って言われると言葉に困るんですけど……。でも、零さんは?」
「俺はちょっと文句を言う奴が出来たから、そいつのところに行ってくる」
そう言って、零さんはトレードマークである黒コートを羽織って事務所から出て行ってしまった。
しかし、零さんは一体どこに行ったのだろう?
それに、文句を言いに行くって……あまり穏やかじゃないことを言っていたけど……。
「う~ん、でも、私が考えても仕方ないことか……」
零さんが突拍子にどこかへ出かけていくのは、今に始まったことではない。
なので、私は零さんの言われたお使いを遂行することにしたのだった。
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