FILE1 依頼人の訪問

第1話 昼下がりの訪問者


「はい、お待たせ紫苑しおんちゃん。おまけでミカンも入れておいたから、帰ったら食べな」


「わぁ、ありがとう、おじさん!」


 商店街に並ぶお店の一つ、私がいつものようにおじさんから野菜を買うと、おじさんは張りのある声で袋を渡してくれた。


「なに、いいってもんよ! 紫苑ちゃんみたいな可愛い子がウチみたいな店に来てくれるだけでありがたいからね!」


 そう言って、おじさんは腕を組みながら世間話を始める。


「ところで、紫苑ちゃんはこっちには慣れたのかい?」


「はい、お陰さまで少しは……。ただ、やっぱり人が多いとビックリします」


「そうか。まぁ、この辺りは下町とはいえ、ここは東京だからな。そういや、紫苑ちゃんって、どこから出て来たんだい?」


「えっ!? え、えっと……物凄く田舎の……寒いところ……ですかね?」


「ほう、じゃあ、東北あたりかい? まあ、いいや。とにかく、この街で困ったことがあったら、おじさんに言いな。紫苑ちゃんの頼みなら、なんだって力になるからね」


 おじさんは自慢げに腕の力こぶを見せると、屈託のない笑みを浮かべた。


 そんなおじさんに、私は改めてお礼を告げたのち、お店を後にする。


 しかし、私の心は少しだけ申し訳ない気持ちになってしまっていた。


「……おじさんに嘘、ついちゃったな」


 そう呟くと同時に、自然とため息が出てしまう。


 なんとか心を落ち着かせようと、商店街の景色を見ながら今日までのことを思い出す。



 私が東京へやってきたのは、丁度17歳の誕生日を迎えた半年前のことだ。


 さっき、お店のおじさんが言ったように、この辺りは東京だというのに、昔ながらの商店街があったり、そうかと思うと、少し歩けばビルが立ち並ぶビジネス街があったりする、ちょっと変わった街になっている。


 こういうのを、和洋折衷っていうんだっけ?


 それとも、温故知新が適切なのかな?


 なんだか、どっちも誤用しているような気がするので、後でちゃんと調べることにしよう。


 そんなことはさておき、話を戻すと。


 私はどちらかといえば、商店街などがある区域のほうが好きで、買い物などのついでに散歩をすることも多い。


 それに、何よりみんな、私のような新参者にも優しくしてくれる。


 だけど、そんな人たちにも、私は隠し事をしてしまっていた。


 ……仕方ないとはいえ、やっぱり嘘を吐くのは心苦しいものだ。


 そんな風に落ち込みながら歩いていたら、私はいつの間にか目的地まで到着してしまっていた。


 目の前には、築30年以上は経っているんじゃないかと思わせるような3階建てのビルがあり、私はそのビルの中へと足を踏み入れた。


 1階はフロアにある案内板には、2階の欄に擦れてしまった印刷された文字で、こう書かれている。



澪標みおつくし探偵事務所』



 私は、階段を上ってその場所まで足を運んだ。


 そして、2階に到着すると古びた木製のドアが現れ、そのドアにも『澪標探偵事務所』というプレートが掲げられている。


 私はそのドアを開くと、ドアに付けられた鈴が「カランカラン」と音を鳴った。


れいさーん。起きてますかー」


 事務所の中へ入ると同時に、そう呼びかけてみるが返事はない。


 唯一、このオフィスに置いてあるデスクの上は、相変わらず本や資料の束でぐちゃぐちゃだ。


 そして、事務所のフロアは一つしかなくて、部屋の中心にはテーブルを挟んでソファが対面する形で二つ並んでいるのだが……。



 そのソファの上に、自分の身体に黒いコートを被せた人影が見えた。



「……やっぱり寝てる」


 はぁ、とため息をついた私は、ひとまず冷蔵庫を借りて、買ってきた食材たちを保管したのち、電気ポッドのスイッチを入れて再び眠っている零さんのソファの前まで向かう。


 そして、膝を曲げて零さんの顔を覗きこむような形で呼びかける。


「零さん、起きてくださいー。起きないと、無理やり瞼開きますよー」


「ん、ああ……?」


 不機嫌そうに顔を歪ませながら、零さんは私の姿を確認した。


「……なんだ、紫苑か」


 そう言いながら、ゆっくりと身体を起こして、あくびをする。


 寝癖のついた黒髪の短髪に、切れ長の目が特徴的な顔立ちで、知らない人が見たらいつも不機嫌そうにしているように見えるけど、実際はそんなこともなかったりする。


 そして、細身ながら鍛えられた身体でスタイルはかなりいいので、逆にこうやってだらしがない姿を見てしまうと、ちょっと残念に思う。



 澪標零さん。


 この『澪標探偵事務所』の所長であり、今は私の保護者だ。



「なんだって何ですか? せっかく起こしてあげたのに」


 しかし、半年間一緒にいて、今ではすっかり私が零さんの日常生活をお世話する立場になってしまった。


「だから、いつも起こせなんて頼んでないだろ。はぁ……もう朝か……」


「もうお昼ですよ。今コーヒー淹れる準備してますから、零さんは顔を洗ってきてください」


「お前は俺のおふくろか。ったく、はいはい、分かりましたよ。ふわぁ……」


 あくびを噛みしめながら洗面台に向かう零さんの後ろ姿を見送ったところで、給湯室の電気ポッドのお湯が沸いた音がカチッと鳴った。


 私は零さんが帰ってくる前にインスタントコーヒーを作り、お気に入りのマグカップに入れて部屋まで持っていく。


 ちなみに、零さんはブラックのまま、私は砂糖とミルクをたっぷり淹れたものだ。


 すると、まだ眠そうなままの顔で戻ってきた零さんが、さっきまで自分が寝ていたソファに腰を下ろした。


 なので、私も対面する形でソファに座り、カップに手を付けながら零さんに話しかける。


「零さん。また夜遅くまで調べ物してたんですか?」


「まあな。このところ依頼も少ないし、昔の資料を整理してたんだよ。で、気づいたら窓から日が差してた」


「零さん、夜更かしも駄目ですけど、せめて着替えくらいはしてくださいね。シャツのまま寝たら、皺が出来ちゃいますよ」


「別に気にしねえよ。着替えるほうが面倒くさい」


「もう、すぐそんなこと言うんだから……」


 私のアドバイスを全然聞いてくれない零さんは、インスタントコーヒーを口につけて眉をひそめながら告げる。


「大体、俺が事務所で寝るようになったのは、お前がここに来てからだよ」


 零さんが言う通り、原因は私にもある。


 何故なら、私が今使わせて貰っているこのビルの3階の部屋は、元々零さんが住居スペースとして使用していた部屋だった。


 だけど、まだ自分で部屋を借りるどころか、収入を得るためのアルバイトすら出来ない私は、衣食住全てを零さんにお世話してもらっている。


「分かってます。だけど、私は別に零さんが隣で寝てても気にしませんよ?」


「お前な……」


 呆れるようにそう呟く零さんだったけど、首を傾げる私に何かを悟ったのか、まだ寝癖の残った頭を掻くだけで、それ以上は何も言わなかった。


 なんだかんだ、零さんが私のことを考えてくれていることは知っている。


 だけど、私もただ零さんに甘えているだけなのは、何だか違うような気がするのも確かだ。


 せめて、こんな私でも零さんの力になれることをやっていきたい。


「零さん、私、今日は事務所のお掃除しますね」


「おう。あんまり棚の資料には触るなよ」


「はい。では、コーヒーが飲み終わったらすぐに……」


 そう言って、気合いを入れようとしたところで、コンコンッ、とドアがノックする音が聞こえてきた。


「……誰でしょう?」


「さあな。だが、俺たちの顔見知りで、わざわざノックして入ってくる奴なんていないだろ」


 零さんの言う通り、私たちの知っている人たちは、みんなすぐにドアを開けて事務所へ入って来る。


 だけど、そうじゃないということは……。


「紫苑。出迎えてやれ」


 零さんにそう指示されて、私は立ち上がって、ドアを開く。


「はい、お待たせしまし……た」


 ただ、その人物の姿を見て、言葉を詰まらせてしまった。



「どうも」



 何故なら、ドアの前に立っていたのは、私と同じ年齢くらいの、制服を着た女の子だったからだ。


「あなた……じゃなさそうね。まだ子供みたいだし」


 しかし、彼女は私に全く興味を示すことなく、ウェーブのかかった綺麗なブロンド色の髪をつまむような仕草をみせたのち、ソファに座っている零さんを一瞥した。


「となると、あなたが探偵の澪標零さんですか?」


 そう尋ねる彼女に、零さんはまるで彼女を吟味するかのような視線を向けながら告げる。


「ああ、俺が澪標零って名前なのは確かだな。ついでに、探偵ってことも合ってるぜ」


 まるで含みのある言い方をする零さんだったけど、彼女はそんなことは一切気にしていないようで、私の前を通り過ぎて、零さんのところまで歩いて行く。


「じゃあ、あなたにお願いがあるの、探偵さん」


 そして、零さんからの返事を待つことなく、彼女は言った。



「私の兄を捜してほしいの。報酬なら、いくらでも払うつもりよ」


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