幼馴染 Side:エクス
自室に戻って、後ろ手にドアを閉める。
その瞬間に自分の口元がだらしなくへらへらと緩んでいくのを感じた。
顔を両手で覆って、抑え込んでいた気持ちを吐き出す。
「あ、ああ、フェリシアと話せた、直接、ふたりきりで、話せた、ふ、ふふ、へへ」
その場にしゃがみ込んで、自分の髪をくしゃくしゃと掻き乱す。
「フェリシア、大人になっても綺麗で、可愛くて、ああ、好きだ、大好き、フェリシア、フェリシア」
ジャケットの胸元から取り出した絵本を、ぎゅっと抱きしめる。
その表紙を手でなぞって、恍惚のため息を漏らす。
「こ、この本に、フェリシアが触れていた、ああ、フェリシア」
本を抱きしめて、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
彼女の痕跡がそこにあるような気がして、ただでさえ特別だったこの本が、ますます愛おしいものになった気がした。
ほう、と息をついて、ドアに背中を預けたまま天井を仰ぐ。
ぽつりと、誰に聞かせるでもない言葉が漏れる。
「やっぱり、フェリシアは俺の運命の人だ、だって結婚せずに俺のこと、待っててくれた」
だってそうだろう?
あの年頃なら結婚していたって、おかしくない。
それなのに、あんなに魅力的な彼女がまだ独身なのは……俺が留学から戻るのを待っていたからだ。
フェリシアと初めて会ったときのことは、今でも鮮明に思い出すことができる。
王子の俺に対しても、他の子どもに対するのと同じように、遠慮がちに頭を下げたフェリシア。
取り入ろうと必死に話しかけてくる連中とは違って、思慮深いその姿に興味を持った。
今思えば、その時から俺たちの運命は始まったのだ。
それからというもの、俺たちは仲のいい友達になった。
俺はフェリシアと仲良くなりたくて、フェリシアの好きなものを好きになりたかった。
そうしたらフェリシアは、城に来るときに絵本を持ってきてくれた。
それを見て、俺はすぐに同じ絵本を取り寄せた。
絵本を読んでいると、たとえ一人でも彼女と一緒にページをめくっているような気分になった。
俺はいつも彼女と一緒に絵本を読んだ。何度も何度も、擦り切れて読めなくなっても、また同じ本を手に入れて、何度も、何度も。
城に来るたびに、彼女は俺に彼女のことを教えてくれた。合図を送ってくれた。
彼女の持っていたのと同じぬいぐるみを取り寄せた。
彼女とお揃いのものを持っているのが嬉しかった。
やがて、他の友達に送る手紙を使って俺に直接メッセージを送ってくれるようになった。
たぶん俺が王子だから遠慮して、友達を通すことにしたんだろう。
そういう遠慮深いところも可愛らしく思えて、ますます大好きになった。
その頃だろうか、彼女のことを友達じゃなくて……女の子として愛するようになったのは。
それからというもの、俺は頑張った。
彼女と同じで引っ込み思案だった性格を変えようとした。
誰にでも好かれるような、好青年を演じることを決めた。
身体も鍛えたし、皆が求める第三王子の役割を果たせるように努めた。
そこそこ成功している、と思う。
軍では指折りの実力者になれたし、兄や部下からの信頼も厚い。
いずれは国の軍を指揮する立場が約束されている。
背も伸びたし、女に言い寄られることも増える一方だ。
全てはフェリシアのためだった。
彼女を手に入れたかったからだ。
誰からも祝福される状態で――誰もが俺を応援するようにして。
だってそうすれば、フェリシアは俺から逃げられない。
たとえライバルがいたとしても、俺を選べば幸せになると、俺が言わなくたってみんながそう言ってくれる。
思慮深くて遠慮がちなフェリシアは——みんなの期待を裏切るようなこと、しないはずだ。
もちろん、俺が世界で一番フェリシアを愛して大切にすることは、誰に保障されなくても決まりきったことだけど。
だが、留学は誤算だった。
まさかフェリシアと離れることになるなんて。少々期待を背負いすぎたらしい。
「ご、ごめんね、フェリシア、寂しかったよね、でももう、大丈夫、俺、どこにもいかないからね」
立ち上がって、ベッドに倒れ込む。
そこに置いてあった、うさぎのぬいぐるみを手に取った。
薄汚れて、白い毛は黄ばんでしまっている。
古くなってしまったからと、彼女が俺にくれたのだ。
直接手渡さずに捨てるフリをするところとか、本当に遠慮深い。
直接言い寄ってくる女たちとは全く違う。
ぬいぐるみに顔を埋めて、彼女の姿を思い出した。
離れ離れはつらかったけれど、お互いのためだと思えば耐えられた。
戻ったら一緒になろうと、兄さんからの手紙や新聞に紛れ込ませるように、彼女はいつも俺にメッセージを送ってくれた。
彼女にも婚約者がいたから、密通を疑われないように――他の人間には分からない形で送られたメッセージ。
でも、俺には分かった。きちんと伝わった。
何故なら俺は彼女を、愛しているからだ。
彼女の愛を見つけ出して、受け止める。それこそが未来の夫としての、俺の務めだ。
夫。
ふと、脳裏にとある男の姿が浮かぶ。
フェリシアの、婚約者。元ではなく、今の。
フェリシアが前の婚約者と一緒の時から、フェリシアの周りを飛んでいた羽虫。
貞淑なフェリシアだからこそ、その時は相手にはしていなかったが――今はのうのうと、後釜に収まっている。
ガチ、ガチと、親指の爪を噛む。
フェリシア、どうして。
どうしてあんな男を、隣に?
どうして、俺ではない?
俺の方がずっと、ずっといい男だ。
百人に聞いたら百人が、俺の方が良いというはずだ。そうなるように、ずっと頑張ってきたのに。
兄さんは気に入っているようだが、あんな男、頭でっかちで性格が悪そうで、変人で――フェリシアには、相応しくない。
はっと、気づく。
「ふ、フェリシアは、あの男に、騙されてるんだ。じゃなきゃ俺のフェリシアが、あんな男と、婚約なんてするわけない」
一度考えついてみれば、簡単なことだ。
きっと純粋で清純でやさしいフェリシアのことだ。あの男の嘘八百を信じ込まされているんだ。
そういう心根が清らかなところも含めて、フェリシアは美しい。
あの男がフェリシアを手に入れたがるのも当然だ。
どんな汚い手を使っていても、どんな汚い嘘をついていても不思議はない。
「そう、そうだよ、だって俺とフェリシアは、愛し合ってるんだから」
フェリシアは悪くない。
悪いのは、全部――あの男だ。
「お、俺が、フェリシアを助けてあげなくちゃ、目を覚まさせてあげなきゃ」
ガチリと、爪を噛み切った。
「邪魔だな、あの男」
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