転生者 Side:メイガス

 書斎の隠し扉を開けて、隠し部屋に入る。


 灯りを点けると、壁一面に貼り付けた彼女の……フェリシアの写真が視界を埋め尽くした。

 思わずうっとりと表情が緩む。


 ああ、フェリシア、僕のフェリシア。

 美しく気高く、そして可愛らしく純心で、素直なフェリシア。


 僕が転生者だなんて、そんな子どもじみた嘘を信じてしまうなんて、本当に可愛い人だ。


 僕が彼女に一目惚れをしたのは、彼女に挨拶をするもっとずっと前だ。たまたま夜会で見かけた彼女に、一目で恋に落ちた。

 青空のような澄んだ青色の瞳、亜麻色の艶やかな髪。涼やかな目元、凛と背筋の伸びた立ち姿。一瞬で僕を虜にするような……美しい人だったからだ。


 すぐに彼女について調べると、婚約者がいることが分かった。だが僕の方が身分も高いし見目も良い。

 彼女が靡いてくれるかもしれないと、知り合ってからは求婚を繰り返した。


 しかし彼女は僕の愛を受け取らなかった。婚約者がいるからだ。


 今度は婚約者の方に近づいて、探り始めた。

 すると、彼女に関する不満を聞き出すことに成功する。大人しそうに見えて、完璧主義で気位が高い。もっと可愛げのある女性が婚約者ならよかったのに、と。


 幸いにして僕は天才だった。さまざまな発明品で巨額の富を得て、金には困っていない。資金は十分にあった。

 そして……天才の僕にとっては、僕以外の人間が何を考えるかなど、手に取るように簡単に予測できることだ。


 適当な野心のありそうな女を見繕って焚き付け、フェリシアの婚約者を奪うように誘導した。

 すべてフェリシアを悪者にしてしまえばよいと唆し、金銭やその女の望むものを与えて思うがままに操る。


 その裏で、フェリシアに忠告する。「あの男は貴女を裏切る」と。


 フェリシア以外の女とは会話をするのも苦痛だった。取り分けあの女は頭が悪かったのでなおさらだ。

 それでも、フェリシアのためだと思えば耐えられた。


 あとは発明品を使ってすべてがあの女の仕組んだことだという証拠を準備して、その時を待つだけでよかった。

 あのパーティーでの出来事は、僕にとってはまさに茶番以外の何物でもない。


 フェリシアの傷心に漬け込むのは簡単だった。人間というものは、弱っているときほど拠り所を求める。正常な判断など、できないままに。

 僕は彼女の愛と信頼を勝ち取ったのだ。


 彼女に忠告をした理由には、あらかじめでっち上げた彼女が好みそうな絵空事を伝えておいた。

 僕は彼女のことなら何でも知っていた。


 朝起きたら右足からベッドを降りること、まず初めにシャワーを浴びること、シャワーの温度は熱めが好きなこと。

 まずは腕から洗い始めること。気に入って使っている香水の種類、最近は髪のケアに新しいオイルを使い始めたこと。


 いちごやラズベリーが好きで、肉よりも魚が好きなこと。

 あまりアルコールの類は好きではないこと、小食なのでいろいろなものを少しずつ食べるのを好むこと。


 実は少しだけダンスが苦手で、パーティーの前には一人でステップの練習をしていること。

 寝る前にはラベンダーのお香を焚くこと。シルクのナイトキャップを使っていること。


 身長、体重、足の大きさ。背が高いのでいつもすらりとしたラインのドレスを着ているけれど、本当はふわふわした可愛らしいドレスやリボンに憧れていること。

 婚約者に褒められてから、その髪型をよくするようになったこと。


 幼いころに読んだ物語を、今でもよく読み返すこと。その本のタイトル、著者名。

 その中で一番好きなのは、本の世界に入っていった女の子が、王子様と幸せになる物語だということ。


 僕はすべて、よく知っていた。

 彼女のことならなんでも知りたかったからだ。


 転生云々の話を切り出したときは。あまりの荒唐無稽さに考えた自分自身ですら「こんな夢物語を信じるだろうか」と半信半疑だった。


 だが、彼女は思いの外あっさりとそれを信じてくれた。

 彼女が気に入って読んでいるお伽噺の設定……それは本の世界に入ってしまう、というものだったが……をアレンジしたので、どこか深層心理でそれを信じたいと言う気持ちが働いたのかもしれなかった。


 これでうっかり、当事者しか知り得ない何かを口走っても、転生者だからで誤魔化せるだろう。


 かわいそうなフェリシア。

 すべて僕が仕組んだこととも知らずに……彼女は僕に感謝している。

 それはいずれ依存に変わるだろう。


 僕だけを頼り、僕だけを信じ、僕だけに身を委ねる。それが楽しみで仕方がない。

 僕がそうであるように……僕が彼女なしでは呼吸もままならないように、僕がいないと生きていけないと、そう思ってほしかった。


 じっくりと時間をかけて……彼女の中から、僕以外の存在を消していこう。彼女に、僕以外は必要ない。

 もうすぐ彼女は、僕のものだ。


 そう思うと、笑みが溢れるのを止められない。


 瞳も唇も鼻も頬も耳も額も髪も睫毛も首筋もうなじも肩も鎖骨も腕も脇も肘も手首も手のひらも指も胸も腹も臍も腰も肋も腰骨も鼠蹊部も尻も太腿も膝も脛も踵も爪先も踝も、頭の先から足の先、産毛の一本一本にいたるまで。


 声も言葉も仕草も呼吸も話し方も、笑顔も泣き顔も怒った顔も失望した顔も恋した顔も寝顔も、思考も思想も趣味嗜好も意思も意識も感情も感動も情動も衝動も心も愛も憎しみも。


 すべてが僕のものだ。僕だけのものだ。

 すべてが美しく愛おしい、僕のフェリシア。


 意外と少女趣味でクマのぬいぐるみを抱いて寝ていたりするところも、それを似合わないと気にしているところも。

 転生者だなんて嘘を信じてしまう、夢みがちなところも。


 全部全部、狂おしいほどに愛おしくてたまらない。

 写真の彼女に口付けた。

 そのままれろりと、頬から瞳にかけてをなぞるように、舌を這わせる。


 愛しいフェリシア、僕の愛。

 早く本物の貴女にも、こうして触れたい。


 僕だけを見て。僕だけを愛して。

 僕だけで良いと言って。他に何もいらないと言って。


 彼女が澄んだ青空のような瞳に映すのは、僕だけでいい。

 彼女が小鳥の囀りのような声で呼ぶのは、僕だけでいい。


 彼女の中にいる人間は、僕だけでいい。

 彼女の心に這入るのは、僕だけでいい。


 フェリシア、貴女は何もする必要はありません。何も知る必要はありません。

 ただ僕の愛を受け入れてくれさえすれば、それでいい。


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