隣の吉野は笑わない

李都

隣の吉野は笑わない

 高校二年生冬。何度かの席替えを繰り返してただいま窓際の後ろの席を獲得。一見、当たり席を引いたように見えて、俺の中ではもう次の席替えを待ち望んでいた。なぜなら隣の席があの吉野だからだ。吉野はあまり感情が表に出ない。女子の中では寡黙でクールなところがかっこいいと称賛されているようだが、笑わないこの男が俺は苦手だ。能面みたいな顔をしているくせに、整っているその面が妙に腹立たしい。何より、こいつは何を考えているのか全くわからない。次の席替えまで一ヶ月。地獄が始まったのかと思った。

 朝に席替えをして三時間目前の空き時間。まだ一度も吉野とは話していない。そもそも連んでいる友人が違うのだから、話しかけるタイミングも内容もない。授業によってはペアワークだの班学習があるからまあ、必要最低限話す機会はあるのだろうが。しかし、これが問題なのだ。

 俺は英語ができない。苦手というレベルではない、できないのだ。今までは幸運にも仲のいい奴らと席が近いこともあり、それとなく過ごしていたが、今回は違う。吉野とペアを組んで授業を受けることになる。俺の醜態が吉野に晒されるのだ。吉野は俺のことなどただのクラスメイトとしか思っていない。それが英語の時間が来ることでクラスメイトの馬鹿な一人に格下げされてしまう。それだけは避けたい。


 地獄の英語は四時間目にやってくる。今は三時間目が始まるところ。科目は現国。隠れて英語の宿題をやってもバレはしないだろう。俺は国語の教科書を開いて、英語のノートを出し、次の時間の宿題範囲の和訳を始める。しかしもちろん何を書いてるか分かったものじゃない。しばらく英文と格闘しながらなんとか半分ほど宿題を進めていた。

 ふと、隣から視線を感じた。吉野がこちらを見ている。吉野は明らかに俺の英語の宿題を見ていた。やばい、隠れてやっていることがバレてしまった。落ち着け、宿題を隠れてやるなんてよくある話だ。俺は吉野の方を向き、目があったのを確認してから、

「黙ってろよ。」

と、小声で釘を刺した。

「別に構わないけど、」

と吉野は応えた。それでも吉野は俺の手元から目を離さない。

「なんだよ。」

「いや、だいぶ同じところで止まったまま困ってるからどこでつまづいてるのかなと思って。」

「ちょっと考え事してただけだよ。別に分からなかったわけじゃない。」

「そう。頑張って。」

 なんだこいつは上から目線に。そう思ったが残り時間も少ないので心を沈めて宿題を完成させた。


 とうとう四時間目の英語が始まる。早速宿題の確認を隣の席同士でやる事になった。

「さっき急いでやってたみたいだけど終わったんだね。」

「おう、なんとかな。」

と、少し会話をしながら答えの確認をしていく。

「ちょっと待って、もしかして英語苦手?」

 突然、吉野は僕に尋ねてきた。

「なんで?」

「いや、結構和訳間違ってるからそうなのなかって。特にこことか…。」

「そこは確かに難しかったけど…。シンディがなんで泣いたのか分からねえし。」

「ちょっと待って、シンディって誰だよ。ここシンディなんて人出てこないんだけど。」

 吉野は笑いを堪えたように言った。なんだこいつは。人の回答を笑いやがって。笑い…え、笑った?あの吉野が?俺の回答を見て?

 俺はすぐに吉野の顔を見上げた。吉野はそんなに俺の回答が面白かったのか涙を堪えながら静かに笑っている。窓からの光が彼を照らしていて、あまりにも綺麗なその顔に俺はおもわず息を呑んだ。どくん、と心臓が高鳴り頬が熱くなる。…ちょっと待て、俺は今何を考えた。吉野の笑った顔が綺麗だとか、心臓がドキッとしたとか、どうした俺。熱でも出たのかと思い、額に手を当ててみるも特に熱い様子はない。それでも彼の顔をみて頬が熱くなってしまった自分がいる。吉野は相変わらず俺の珍回答を見て楽しんでいるようだ。俺は吉野に馬鹿がバレたことなど既にどうでも良く、こいつにどきっとした自分にひどく焦りを感じていた。

 俺はこの感情がなんなのか、気づかないほうがいいと考えるのを止めることにした。やっぱり俺は吉野が苦手だ。あいつと話すと俺は冷静じゃいられない気がする。ああ、早く席替えがしたい。

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