その出来事は突然で…

  一瞬の出来事で何が起きて、どうなったのか。

正直思い出したくも、理解したくもない。

ぎゅっとつぶったまぶたに力を込めたまま、暗闇に閉ざされた世界に自分を縛り付ける。

落ちた。そう、俺は崖みたいなところから落ちたんだ。

今起きたことを思い出し、ゾッとする。

体が空中に投げ出された瞬間、ジェットコースターに乗った時のような感覚に襲われ、全身に鳥肌が立ったのを思い出す。

瞬間的に瞼を閉じ、俺は世界を遮断した。

本当なら、地面に落ちた衝撃が体を貫き、意識が飛んでるか、味わったことがない痛みで震えているはずが、体に痛みはなく、落ちてる感覚もない。

もしかしたら、俺はもう死んでいるんじゃないか…。

そんな恐ろしい考えが頭をよぎる。

目を開けて確かめるか?

いや、開けた瞬間、時間が動き出して地獄を見るのはごめんだ。

死ぬほど痛いのなんて人生で一回も味わいたくない!

絶対にごめんだ。

もうこのまま目を開けずに、ずっとこうしていようかな。

そうすれば、現実を受け入れる必要もないし、痛くもない。

さっきのスカートめくりの件も考える必要がないし、一件落着じゃないか。

そうだ、そうしよう。

不意に暖かい風が頬を撫で、誰かに呼ばれた気がした。

聞き取れない程微な声は、何を言っているのか分からないけど、何故か懐かしい気がする。

そして、真っ暗だった世界が次第に明るくなっていくのを感じ、俺はゆっくりと目を開けた。

木漏れ日が顔を照らし、目を細める。

仰向けの状態で地面に倒れているらしいが、痛みはない。

風に揺れる木々と木の葉の音は心地よく、近くに川があるのか水の流れる音がする。

暖かい光に包まれて、さっきまでの恐怖や不安は消えていた。

「ここは?」

顔を動かし、周りを見るが、さっき落ちた場所ではないらしい。

「お、やっと起きたか。」

突然の声に驚き、飛び起きる。

「動けるようなら安心、安心。どうじゃ、体に痛みはないか?」

倒れている場所から数歩先。

いつから建っているのだろうか。

そこへ向かって敷かれた石畳は緑の絨毯じゅうたんのようにこけと同化し、境内の前にたたずむ左右の石造りの狐は一つは元の形がわからない程に風化し、もう一つは上半分が砕けて破片が下に散らばっている。

長い時間、手入れもされず、誰も訪れていないその場所は、まるで別世界のようで迷い込んだ俺を静かに迎えている。

古びた神社はボロボロで苔むした屋根には穴が空いているのか光の筋が神社の中を淡く浮かび上がらせ、全体を支える数本の柱は朽ちて割れ、今にも折れてしまいそうな程曲がっている。

腐った床板は所々に穴が空き、湿ったたたみは黒く変色し、腐って泥のようになっているところもある。

鼻をつくカビ臭い匂いが、嫌な気分にさせる。

人が住める場所ではないのは明らかだった。

そんな虫や動物の棲家になってそうな神社の中には、あまりにも場違いで見間違いかと思う存在が俺を見ていた。

木漏れ日が光のカーテンのように揺らめき、神社の中を隠している。

その向こう、暗がりから見つめる彼女の姿が屋根の穴から差し込む光によって、幻想的に妖しく照らし出される。

床を覆う長く黒い髪にはつやがあり、光に照らされて川の流れのような動きを見せている。

黒髪とは対照的に鮮やかな色彩を放つ十二単じゅうにひとえと長い黒髪から覗く雪のように白い肌、切長な目尻には黒子ほくろがあり、唇には薄く紅をさし、優しく微笑んでいる。

妖艶な雰囲気と白や赤、緑、美しく色鮮やかに彩られた姿、床を覆う黒髪、今にも朽ち果ててしまいそうな神社があまりにも現実離れしていて、不気味で、俺は背筋に冷たいものを感じていた。

人間じゃない。生物として危険を感じ、直感的にそれ理解する。

何より、俺を見つめる宝石のような緑色の瞳は妖しく光り、俺をじっと捉えていた。

「ん?どうした人の子よ。そないに怖がることはない。」

琴の弦を弾いた時のような響きが空気が震わせ、体が重くなるような感覚が俺を襲った。

神社の中からこちらを見つめるそれは首を傾け、困ったように口元に手を持っていく。

細い指が唇から頬を伝い、首筋をなぞる。

白い手が腐りかけの床板に置かれ、体重をかける。

しかし、腐った板は崩れることなく、彼女は前のめりに獣のような四つん這いの体勢のまま、暗い神社の中から顔を出す。

床を覆っている長い黒髪が別の生き物のように蠢く。

顔の前に垂れた黒髪を細い指で耳にかける姿はなまめかしく、妙な気分に心臓が高鳴る。

前屈みになったことにより、胸の重みから十二単が大きくはだけ、白い肌が露わになる。

吸い込まれるように視線はそこへ釘付けになり、目が離せない。

呪いの類か男の性か、彼女の動きに合わせ揺れる大きく柔らかそうな二つのそれは、純粋無垢な少年をいやらしく誘っている。

さっきまでの恐怖が嘘のように消え、邪な感情が湧き上がる。

ちょ、、エロいんですけど。

男の子だもん。見てしまうのは仕方ないよねっ!

「ふふふ、今まで怖がっておったのに胸を見た途端、わしを欲するとは図太い奴よな。神に欲情するとは罪深く、いやらしい奴め。」

「な、なんで分かって…。」

思いもよらない言葉に驚くが、そこまで言うと言葉が止まる。

一瞬の思考の後、言葉を続ける。

「ちょっと待てよ。神ってどういう…。それに俺の考えてることが分かるのか?」

そう、目の前の存在は明らかに人間ではない。

信じられなかったが、そうだと直感で分かっていた。感じていた。

でも、何かまでは考えていなかった。

幽霊、妖怪、もしかしたら宇宙人かもしれない。

しかし、本人の口から語られたのは…。

ありえない。絶対にない。神様だっていうのか?

「あぁ、そうだとも。」

ねっとりとこちらを嘲笑うような声が耳元で囁かれる。

今まで神社の中であられもない姿を晒して、もとい拝ませてくれていたのに一瞬で数歩を移動し、今は目と鼻の先、息がかかる程近くで俺の目を覗き込んでいる。

視線は外していなかったはずだ。どうやっても動けるはずない。

「これでも、まだ信じられぬか?」

妖しく光る彼女の瞳を見ていると、頭が真っ白になり、何も考えられなくなる。

視界はもやがかかったようにぼやけていき、体から何かが抜けて行く感覚が心地いい。

「おっと、まずいまずい。魂を抜いてしまうところじゃった。」

意識が急にはっきりと戻り、視界が明るくなる。

「何が起こったんだ…。」

色々起こりすぎて、整理が追いつかない。

現実…なんだよな、多分。

「まぁ、色々思うところもあるじゃろうが、断りもなしにわしの土地に入りおって…。全く、どうやって入ったのやら。

罰として魂の一つや二つ置いて行ってもいいところじゃ。」

はぁ?なんだよそれ…。

俺、殺されんの?いや、実際に今死にかけたんだけど。

「ぷっ。」

突然の反応に、俺は彼女を見上げる。

その時の俺は彼女から見て、どれだけ滑稽こっけいだったろうか。

目を丸くして、顔面蒼白に身体中に嫌な汗をかいて、かわいそうに見えていたのか。いや、そうなら彼女がここまで笑うわけがない。

顔を赤くし、目には涙を浮かべ、腹を抱えるほど笑っている。

「す、少し演出が凝りすぎたようじゃな。冗談じゃよ、冗談!」

息も絶え絶えに訳の分からないことを言っている。

「あはは、ふふっ、あーー…面白かっっった!っていうか、これ着替えていいかの?重いし暑いし蒸れるしで、もう限界なんじゃけど。

む、どうした?狐につままれたような顔をして。」

「ふ、ふざけんなよこの淫乱女神!!

いや、本当に女神なのか?あーもう、何が何だか分からないし、何が本当のことかちゃんと話せよ!」

自分でも信じられないほどの怒声と急に立ち上がったことにより、神と名乗る淫乱女神は仰け反りながら後ずさる。

「わ、分かったから!全部話すから、とりあえず落ち着いて…ね?」

大きなため息をつき、俺は彼女の話を促す。

彼女の話によると、神様ということは本当らしく、普通は入れないこの場所に突然、俺が現れてオロオロしていたら、暇つぶしに驚かせたら面白いかもしれないと思いつき、今の芝居をしたそうだ。

なんとも腹の立つ思いつきだ。

「本当にすみませんでした。」

女神は正座で小さくなり、俯いている。どうやら、かなり落ち込んでいるらしい。

「で、色々聞きたいことはあるけど、あんたの名前は?」

と、次の瞬間には十二単を着た美女は地べたに胡座あぐらかいて落ち着いている。

こいつ、全然反省してねぇな。

「わしは風姫じゃ。よきにはからえ〜。」

使い方合ってんのかそれ。話し方もゆるくなってきたし、こいつ本当に神様なのか。

「む、まだ信じておらぬのか。頑固な奴じゃの〜。」

「また、心を読んだのか。それより、ここってどこなんだよ。

確か、追いかけられて学校より上に…て、やばっ!完全に遅刻だ!」

勢いよく立ち上がり、走り出そうとするが、出口が分らない。

「何をオロオロしておる。わしの真似か?」

ニタニタと馬鹿にするように笑う風姫を睨む。

「安心せい。外の時間はそこまで進んでおらん。今から行っても間に合うじゃろう。そんなことより、気になっておったんじゃが、お前、どこで呪いをもらった?」

緑色の瞳が妖しく輝く。

「呪い?何のこと、、。」

そこまで言うと、スカート捲りのことを思い出す。

普通なら、あり得ない出来事だ。もしかしたら…。

「思い当たることがあるようじゃな。ほれ、持っていけ。」

どこから取り出したのか風姫の手にはお札が数枚と数珠じゅずが握られ、こちらに差し出されている。

「何だよこれ?」

「ここを訪れたのも何かの縁、呪いを抑えるものじゃ。」

眉間に皺を寄せ、半信半疑でそれを手に取る。

立ち上がった風姫は人差し指を俺に向ける。

「良いか、それを絶対に肌身離さず、持っておれ。無くなったらまた来い。」

「いやいや、どうやって来ればいいんだよ。」

「それは自分で探せ。お前なら、また来れるじゃろう。」

何か確信でもあるような口振りで告げた風姫は、俺を追い出すように手で払う。

「楽しかったぞ、神風とおる。またすぐに…。」

「え、なんで名前…ってもう聞こえないか。」

瞬きの一瞬で、俺はそこにはいなかった。

風ノ宮高校の校門前に飛ばされた俺は、今の不思議な体験に少し寂しさを覚えた。

高く遠くまで響くチャイムの音に現実に引き戻され、走り出す。

「やばい!あれは一限目の音だ。あの神、時間は進んでないとか言っといて結構ギリギリじゃねーか!」

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