第8話:エピローグ

 生誕祭の日から数週間が経過し、私が屋敷の庭園で仕事の合間の休憩をしていると、ミア・モートン嬢が訪ねてきました。

 別に彼女と友人になったわけではなく、前回の件の慰謝料を払いにきたのです。


 政略的な駆け引きはあれど、この国で略奪愛が推奨されていたりはしません。婚約者のいる男性に手を出し、あまつさえそのお相手が王族への反逆罪で捕らえられたミア嬢は、ご両親からたっぷりとお叱りを受けたご様子でした。


 提示された慰謝料の金額はモートン家には手痛い出費でしょうが、アーウィン家にとっては微々たるものです。

 正直いって受け取らなくともよかったのですが、そうなると他の貴族への示しがつかずモートン家がつまはじきにされてしまうので、私はそれを受け取って差し上げることにしたのでした。


 本当に、あのような場で浮気相手を同伴し婚約破棄などを言い出したクリス様の神経を疑います。……ああ、そういえばもう”様”は必要ありませんでしたわね。


 あの方の姿は、その後見ておりません。

 どうやら処刑されたわけではないようですが、ラーゼルト殿下の仰るには二度と私の前に姿を現すことはないそうです。


 最大限まで寛大な処置を受けたとして、辺境の鉱山送りにされたなどでしょうか? それだったらまだ幸せなほうかもしれませんわね。

 あまり深く考えすぎると夢見が悪くなりそうですので、彼のことはもう気にしないことにいたします。


 応接室まで通すのも面倒でしたので、分割分の慰謝料が入った袋を庭園で受け取り、それを執事に渡して私が戻ると、ミア嬢はしゃがみ込んで花壇の薔薇を眺めておりました。まだ帰っていなかったんですのね。


「あっ! レイチェルお姉さまっ! ちょっと聞いてくださいよぉ!」


 彼女は私が来たことに気が付くと、すぐに立ち上がり嬉しそうに近づいてきました。だから私はあなたの姉などではありませんし、懐かれても迷惑ですのよ……。


「わたし、また縁談を断られちゃったんですぅ! 社交界でも、前は色んな殿方に話しかけていただけたのに、最近は皆から避けられてるみたいですしぃ……。このままじゃわたし、行き遅れになっちゃいますよぅ!」

「ええ、まあ、そうでしょうね……」


 あのような事件があったというのに、それでもミア嬢に言い寄るような奇特な貴族は存在しません。もう諦めて、平民の方とご結婚なさったほうがよろしいのではないでしょうか。


 とはいえ、それを決めるのは彼女の両親であるのが貴族の常でありますし、私がわざわざ口を出すようなことでもありません。

 その後も続くミア嬢の愚痴に適当に相槌を打っていると、ふいに彼女は祈るように両手を握り合わせて、潤んだ瞳で私を見ました。……相変わらず、いちいち仕草があざとい娘ですわね。


「お姉さまぁ、誰かよい殿方がいたら紹介してくれませんかぁ? このままじゃ、わたし実家を勘当されてしまいますぅ」

「何で私がそんなことをしなければならないんですのよ。あなた、ご自分が何をなさったのかもうお忘れになってしまったんですの?」

「その節は反省しておりますぅ。でも最近、お父様とお母様がわたしを見る目が本当に冷たくてぇ……。お姉さまは今度から王城へ行くんですよね? もうこの際、門番の騎士でもいいので紹介してくださいぃ」

「……嫌な事柄を思い出させないでくださいまし」


 私が王城へ行くというのは、アーウィン家が伯爵となったときに賜った勅命によるものです。

 第三王子ラーゼルト殿下の家庭教師をするべし、というその任からひとときの現実逃避をするために、仕事の合間の休憩と称して庭園でたそがれておりましたのに……。


「何で嫌なことなんですかぁ? ラーゼルト様と毎日お会いできるんでしょう? 夢のようじゃないですかぁ!」

「……ええ、とても光栄なことですわね。でも、その栄誉を賜っていた前任の家庭教師は、どこかへ失踪してしまわれたんですのよ」

「無責任な方ですねぇ」

「…………」


 噂について、ラーゼルト殿下は「尾ひれがついているだけだよ」と申されておりましたが、そのお言葉をどこまで信用してよいものか分かりません。


 なんでも、授業で分からないところがあったので尋ねていたら、質問された家庭教師は「調べて参ります!」と言い出して、急に旅に出てしまわれたんだとか。

 殿下が何をお問いかけになったのかは分かりませんが、そのようなお方に私が何を教えられるというのでしょうか……?


 空に浮かぶ雲を眺めて私が「はぁ……」と溜息を吐くと、ミア嬢は茶色の瞳をキラキラさせて言葉を続けます。


「お姉さま、本当に凄いですよねぇ! あっという間に伯爵の位を授かっちゃって、そのまま王子殿下の家庭教師になっちゃうんですもん。殿下が直接、王様に頼んだって聞きましたよぉ? よっぽど気に入られたんですねぇ!」

「……気に入られたとかではなく、恐らくは嫌がらせに違いありませんわよ。生誕祭のときの件で、私は殿下の気に障ることをしてしまったらしいから」

「えっ!? 気に障ること!? 何ですかぁ、それ?」


 びっくりした様子で大袈裟に仰け反るミア嬢に向かい、私は殿下に言われた内容を語ってみることにしました。誰かに話せば、憂鬱な気持ちも少しは晴れるかもしれないと考えたのです。


「あのとき私は、クリス・ミューアの頬を叩いたでしょう? 殿下はそれが、あまりお気に召さなかったご様子で……」

「えっ!? 何でですぅ? まさか、女性に庇われたからですかぁ……?」

「いいえ、そうではないようです。というか殿下は、あのとき私が庇ったのはむしろクリス・ミューアのほうだと気付いておられたようですわ。あのまま殿下に掴みかかり続けていては、彼は確実に処刑されていたでしょうから」

「あ、へぇ……。そうだったんですかぁ」


 まあ、その後の彼の発言で、私の行為はまるっきり無駄になってしまいましたけど。

 

「〝きみの意図を汲んで、クリスくんの処刑はしないことにしたよ。まったく、助けに入った僕から浮気男を庇うだなんて、アーウィン嬢は情け深いひとなんだねぇ。なんだか僕、ちょっとモヤっとしちゃったよ。〟と、そう言っていたときの殿下のお顔が忘れられませんわ……。天使のように愛らしく慈愛に満ちた表情なのに、目だけがまるで深淵のように暗く陰っておりましたのよ」

「へぇぇ、それでお姉さまを家庭教師に……。あれ?」


 そのときのことを思い出し、私が軽く身震いすると、話を聞いていたミア嬢がきょとんとした顔で首を傾げました。


「あれれ? それって、あれぇ? もしかしてぇ、あれれぇ?」


 そして急にニヤニヤとした笑みを浮かべ、いったい何が楽しいのか、はしゃいだ様子で私に言います。


「レイチェルお姉さまっ! お姉さまの結婚式には、ぜひわたしも呼んでくださいねぇ!」

「……あなたは、ご自分の嫁ぎ先の心配をしなさいな」


 というか、私の婚約者を奪ったのはあなたですのよ?

 それについてはまあ、むしろ感謝しているくらいではありますけれど、私はしばらく誰かと結婚する予定などありません。


 ……それなのに、彼女ときたらいったい何を言っているのでしょうか?


 ―― fin. ――

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あら? 浮気相手のご様子が…… 伊澄かなで @Nyankonomicon

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