第7話:不敬ですわよ

 その場の皆が言葉を失い、辺りは束の間しんと静まり返りました。


 青ざめていた顔を今度はまた真っ赤に紅潮させたクリス様が、まるで陸に打ち上げられた魚のようにパクパクと口を動かします。


 彼は私の顔を見て、ラーゼルト殿下のお顔を見て、私の後ろで固まっているミア嬢を見て……さらにはこちらの様子を窺っている周囲の貴族たちをぐるりと見回し、そしてまた殿下に目を向けました。


 驚きのあまりか血走った眼は限界まで見開かれており、今にもこぼれ落ちそうです。

 クリス様は「どッ、どど、どどうッ、どうゴフッ!」と意味不明な言葉とともに咳をしたあと、不敬にもラーゼルト殿下の両肩へと掴みかかりました。


「ッ、どういうおつもりかッ!? この女の家が伯爵家ッ!? この俺のミューア家の爵位を剥奪ですとッ!?」

「うん? どうも何も、今きみが言ったそのままの意味だね。ミューア家は取り潰すことにして、代わりにアーウィン家を伯爵にするよ」

「なぜだッ!? そんなことが許されるはずがない!!」


 肩を掴まれた殿下があっけらかんとした調子で答えると、今にも噛みつかんばかりの様子でクリス様が叫びます。その途端、ラーゼルト殿下は表情を曇らせ、彼の胸を手で押しました。


「とりあえず離れてくれないかな。さっきからきみ、汚いよ」

「きたなッ!? ふ、ふざけるなッ!! いかに貴殿が王族とはいえ、王位継承権のない三男ふぜいにそのような侮辱をされる謂れはないぞッ!!」

「いや、継承権はあるけどね」

「そうではなくッ! ああ、くそッ、なぜだッ!? なぜ俺がこのような目に遭わねばならんッ!? 貴様、取り消せッ! 今すぐ取り消すと言えッ!!」


 ラーゼルト殿下の肩を揺さぶりながら、クリス様が必死の形相で詰め寄ります。

 周囲の皆はあっけに取られてしまっているのか誰も動こうとしないので、仕方なく私は言いました。


「殿下、失礼いたします」


 パン! と乾いた音が響き渡り、ラーゼルト殿下との間に割り込んできた私に頬を叩かれたクリス様が、たたらを踏んで後ずさります。


「な、な、な……」


 一瞬だけポカンとした顔をされたクリス様は、ゆっくりとご自分の頬へ手を触れて、続いてその手を振り上げました。


「貴様ァ! 自分が誰の頬を打ったか分かっているのだろうなァッ!! 侮辱罪で処刑してくれるッ!!」

「あなたこそ、ご自分が何をされていたのか理解しておりませんの?」

「知るかァッ!! がぐッ!?」


 クリス様が怒鳴った瞬間、彼の頬を拳が打ち抜きました。

 殴ったのは、先ほどクリス様に”子爵家の次男”だと言われ、”礼節をわきまえろ”と愚弄されていた殿方です。


「ぐあ、きさ、貴様、いきなり何をッ、ぐがッ!?」

「皆! この不敬な逆賊を取り押さえろ!!」

「おうとも! 殿下をお守りするのだ!」


 さらに他の殿方たちもクリス様へと飛び掛かり、彼は馬鹿にしていた男爵家や子爵家の次男や三男たちに殴られたり蹴られたりしながら、あっという間に床へと引き倒されました。


 ガシャガシャという金属音に目を向けると、パーティ会場の入り口のほうから、鎧姿の騎士たちが駆けつけてくる姿が見えます。ああ、この方、本当にこれでお終いですわね……。


 床に押さえつけられたクリス様が、ラーゼルト殿下を睨み上げて叫びます。


「ふざ、ふざけるなァッ!! 貴様、何の権利があってこんな真似をッ!!」

「第三王子でも、それくらいの権限はあるけどね。そもそもきみ、僕は最初から話を聞いていたけれど、虚偽の報告をしてたじゃないか。それだけでも罪になるのに、初代王女殿下への侮辱、この国の臣民である他の貴族たちへの侮辱。これは許しがたい行為だよ」


 ラーゼルト様は庇っていた私の隣へ出て並び立つと、クリス様を見下ろしにっこり笑って告げました。


「さらに言えば多額の借金をしていたということは、つまりはミューア家が王家に収めるべき税も、アーウィン家が肩代わりしていたということになるよね? 王家への納税は、すなわちその家の忠誠の証。きみの家には忠誠心がないのだから、もちろん爵位を与えておくわけにはいかないよ」

「あれはこの女が俺に捧げた金だと言っているだろうッ!! 殺してやるッ!! 貴様のような無能なガキは殺してやるぞォッ!!」

「あ、王族への殺人予告。おめでとう、罪が増えたよ。〝元伯爵家〟のクリスくん」


 やがて騎士たちが私たちのところへたどり着き、まだ何事かを喚きたてるクリス様を無理やり立たせ、会場の外へと連れ出していきます。


 幸せが逃げてしまうというジンクスにも構わず、私は「はぁ……」と大きく息を吐きました。

 今日はとびきり重要な社交界の日ですのに、既にどっと疲れてしまいましたわね……。

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