第5話:ご自分で仰ったことですのよ?

 意味の分からない発言をなさるクリス様を、私は冷ややかな目で見据えます。


「……まさかとは思いますけれど、あなたは私に貢がせていたおつもりですの? 書面も交わしておりますし、金額の帳簿も付けさせていただきますと申し上げたはずですけれど」

「ッ、あれは一応付けておくだけという話だったじゃないか! 嫌味たらっしい女だとは思っていたが、そうやって俺を脅すために使うつもりだったのか!!」

「……本当に、何を仰っておりますの?」


 一応というのは、私がミューア家のすべてを譲り受けたら、その財政管理もすることになるだろうからという意味です。

 クリス様の使う交際費も私が金額を決めて管理することになりますので、そこから月々の返済分を引いていくつもりでおりました。


 そもそもにして、お金を借りるときだけしおらしい態度になって、「絶対に返すから! 今回だけはどうしても必要な金なんだ。だからこの通り、頼む!」と頭を下げて借りていったのはご自分でしょうに。


 あまりにも〝今回だけ〟が多すぎるので訝しんではいましたが、きっと浮気のための費用に使っておりましたのね。

 遠方から海の魚を取り寄せるなんて、かなりの金額が掛かりますもの。……流通を担っているのはアーウィン家なので、結局は私の家にお金は戻っておりますけれど。


 クリス様は私の腕を掴んだまま、ふいに宝を見つけた盗賊のような、獰猛な笑みを浮かべました。


「そうか、分かったぞッ! お前はこの俺と別れたくないがために、そんなデタラメを言っているんだな! 卑しい女めッ!!」

「事実しか述べていないのに、どこをどう捉えればデタラメになるというんですのよ。……とりあえず、腕を離してくださいませんこと?」


 力いっぱい掴まれていて痛いですし、彼に体を触れられていること自体が不快です。

 得意げなお顔をひっぱたいてやりたい気分ですけれど、こちらからは手を出さないほうがよさそうですね。

 さすがに見かねたのか、彼の後ろから殿方たちが近づいてくる姿が見えます。


「いい加減にしたらどうだね? ミューア殿。淑女をそのように扱うなど、見苦しいぞ」

「そうだ。もはや見てはおれん。貴殿は本日のめでたい催しを穢すおつもりか」


 歩み出てきた方々が、口々にクリス様を咎めました。

 ふと見ると、私を盾に隠れるようにしているミア嬢までもが、彼に非難がましい視線を送っています。


「ええい! うるさいうるさいッ!! 貴殿らも聞いていただろう! この女は俺の気を引くために、未練がましく喚きたてているだけだ!! このような輩には、身分が上の者として躾をする義務があるのだ!!」

「喚いているのはクリス様のほうですし、それに先ほどあなたはご自分で仰られましたのよ? 私たちの間に愛などないと」

「ああ、そうだ! だがその点だけは俺の思い違いだったようだなッ!! レイチェル、お前がここまで粘着質で、しつこく俺を求める女だとは思わなかったぞッ!!」

「……はぁ」


 何という言い分でしょうか。頭痛がしてきそうです。

 背後でミア嬢が「それはあり得ないと思いますよぅ」と呟きました。……あなた本来、あちら側の人間ですのよ? 私は忘れておりませんからね。


 そんな彼女をギョロリと睨み、クリス様はさらに唾を飛ばします。


「黙れッ! 黙れッ! ミア、お前にも躾が必要なようだな!!」

「ひっ!?」

「……ミューア殿、とにかくその手を離してはいかがか? 他のご令嬢方も怯えているぞ」

「見くびるなッ! 俺のことはミューア〝卿〟と呼べ! 家督を継ぐべき長男なのだからなッ!! お前は、確か子爵家の次男だろう!! 礼節というものをわきまえろッ!!」


 止めに入った殿方に向かって、クリス様はそう大声で言いました。

 その方がむっと顔をしかめて何かを言い返そうとする前に、クリス様は声を張り上げ捲し立てます。


「そこのお前もッ、お前も、お前もッ! 確か次男や三男、子爵家や男爵家の人間だったな!! そうではない方々には冷静な判断ができるとして申し上げるが、他人の色恋の問題に横から割り込むものではないぞッ!!」


 ……どの口が仰っているのでしょうか。

 そもそもにして、この場で婚約破棄の話などを始めたのは他ならぬクリス様ご自身でしょうに。


 この場にいる一同が、全員もれなく表情を曇らせたその瞬間。


「――ほう、なるほどな」


 ふいに、よく通る凛とした声が響き渡りました。


 それほど大きな声量でもないはずなのに、なぜかしっかりと耳に届いたそのお声に、皆が揃って視線を向けます。

 そちらにはバルコニーがあり、白を基調とした夜会服に身を包んだ少年が、涼やかに佇んでおられました。


「よい。祝いの席だ。楽にしたまえ」


 驚き、即座に平伏しようとする方々を軽く手を振って制しながら、彼はゆっくりとこちらに近づいて参られます。

 クリス様が私の手を離し、驚愕した様子で呟きました。


「で、殿下、なぜこのような場所に……」

「ふむ」


 輝くような金髪に、サファイアブルーの澄んだ瞳。

 成人前の齢であるため未だあどけなさは残るものの、並みの美少年や美丈夫などでは、霞んでしまうほどの美貌。


 この国の第三王子殿下、ラーゼルト様は立ち尽くすクリス様の前までたどり着くと、冷や汗を流すその顔を見上げて悪戯っぽい笑みを浮かべました。


「敬愛すべき初代王女殿下の生誕祭の会場を、『このような場所』とはどういう意味かな? 教えてくれるかい。ミューア〝卿〟?」

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