-7-
「ビスクドールも
ま、実家の悪口はそこそこにしておくか、とレットは笑う。むこうの道からサイレンが近づいてきた。赤と青の光をちかちかと回転させる警察車両が見える。
「きたきた。せっかくだから、楽しまないとね」
金網フェンスの外に出るやいなや、レットは警察に
「手を上げろ、か。警察ってのは教科書しか読んでないの?」
車のドアを盾にして拳銃を向ける警官たち。そのうちのひとりが無線機と会話をはじめた。五秒ほどのやりとりのあと、掃射! と叫んだ。発砲許可がおりたらしい。
ついにはどろどろの液体に変化し、地面に溶けて消えた。
「やったのか?」警官が言う。「全員、
ぞろ、ぞろ、と数人の警官が歩を進めた。
銃を構えながら。全神経を
電波塔の外壁に背を預けるようにして倒れている、本物であろうタイガに近づく。
「ご無事ですか?」警官のひとりが、タイガを拘束する縄を切った。「逃げましょう。立てますか?」
「なんとか……」
麻酔はまだ抜けきっていないが、タイガはどうにか立ち上がる。警官に肩をもたれながら金網フェンスの外へ。そのとき、ごうんと警察車両が音を鳴らした。その方を見ると、レットが片手で車体を持ち上げていた。右側の車輪だけが地面についている。
ひょいと腕を振ると、車体は軽々と転がって、別の車両にぶっつかった。そしてレットは近くにいた警官をひとり殴り、その拳銃を奪った。
「えーと。ここらへんかな。もうすこし右かな?」
まるでエアガンで遊ぶ子供のよう。レットが手に持った拳銃のサイトはまっすぐに車のガソリンタンク付近を狙っている。
一発の銃声。
かん、と金属の音。
すぐに爆発音が一回、二回。
二台の車両は炎上し。
周囲にいた警官たちは逃げ惑った。
こんなのはおれたちの仕事じゃない。
軍が対処する案件だ、と。
「あらあら、みんな逃げちゃった」レットは肩をほぐす仕草を真似て、「これから何人か殺してやろうと思っていたのに」
タイガを
「ほら。これが人間だよ。仕事のために命を落としたくないんだ。残念だったね、タイガ・イヴァンツデール。あんたの命よりも、自分の命が大事なんだって。ばかな警官どもは」
再びレットとタイガだけになった。おなじ顔がふたつ。妙な空気だ。
「最初から警察なんてあてにしてない」タイガは拳を握りしめて、「僕にはメイドがいる。イヴァンツデール家をなめるな。僕を拐ったのがそもそもの間違いだ」
いつになく
なんだ? こいつ、こんなに気が強かったのか?
レットは首をかしげた。が、どうでもよくなり。
「警察の次は軍隊かな。どう相手してやろう」
そう言った矢先、レットは背後からの足音を聞いた。逃げ去ってゆく警官たちの波に逆らうように、ひとりの足音が近づいてくる。かなり速い速度で。一度、だっ、と地面を強く蹴った音がした。それから風を感じた。女性らしさと殺気に満ちた風がぶわりと空気を一変させる。
レットは振り返りざまに防御の姿勢をとった。
両腕をクロスして持ち上げた。
拳と拳の間に、見慣れない金属棒が食いこんでいる。
「金棒?」
セリカはつづけて攻撃をした。
横や縦に振り分けて、幾度もレットを叩いた。
しかしその都度、硬い拳に金棒は受け流されてゆく。
しばしの攻防が終わり、セリカとレットは四メートルの距離でにらみ合う。
「へぇ……」腕をぶらぶらとさせ、痛みを逃す仕草をしてから、レットが口を開く。「やるじゃん。メイド」
「我が
「こいつは僕の楽しみだ。誰でもよかったわけだけど。どうせなら金持ちを拐ったほうが得かなってね。あんた、金は持ってきていないみたいだけど。イヴァンツデールはこいつの命なんかどうでもいいわけ?」
すぅ……、と呼吸を整えながら。
セリカは目を閉じて、姿勢を正した。
金棒の先端が地面を舐めている。
「お支払いします。わたくしの躰で」
「はっ……」レットは鼻で笑った。「
すると、タイガは東にある建物に向かって走りだした。逃げたのだろうか。いや、それにしては、なにか決意しているような様子が伺える。
「タイガさま!」セリカが声を投げる。
「あーあ。楽しみが逃げていく」レットにはまだ余裕がある。「せっかく捕まえたのに逃したとあっちゃ、かっこうが悪いな。あれだけの放送をしたんだ。せめてあいつの死体くらい世間に見せつけてやらないと」
レットはタイガを追った。
かなりの速度で。タイガの脚より三倍は速い。
しかし、ごつんと頭が鳴った。
縦に振られた金棒が首もとまで食いこんで、頭部が銀色に潰れた。
すぐに追いついたセリカの一撃を食らったのだ。
「ああ……、ああくそ!」
口まで潰れているのに、躰のどこから音を鳴らしているのか。レットは唸りをあげたまま手刀でセリカの腹を貫いた。一瞬の動きだった。赤い血がレットの右手に伝う。
「セ、セリカ!」タイガは足を止めて振り返った。
「い……、って、行ってくだ、さいっ……!」
叫ぶと腹から血が溢れた。どうにか数歩分の距離をとって、もう一度金棒を薙いだ。今度はレットの腹を抉ることができた。が、金棒そのものが銀一色に染まってゆく。溶けた液体金属が、金棒に絡みついて、そのままセリカの片腕へ。
ぼきり、と音がした。
平静な顔をしたレットが真横に立っている。
セリカの左腕をがしりと掴んでいる。
「この腕がいけないんだよ。細いくせにさ。こんなに重い金棒を振りまわして。折ってあげないといけませんね? メイドさん?」
胸に
細い躰が地面に叩きつけられ。芝生が削られ。
腹からさらに血が溢れて、においが漂う。
「本当だ。面白いや。躰で払ってくれた。楽しい時間をありがとう、イヴァンツデールのメイドさん」
気を失ったことを確認して。
レットは、ゆっくりとタイガを追って歩きだした。
どうしても涙がこぼれてしまう。自分の無力さで、セリカを傷つけてしまった。無事だろうか。殺されてはいないだろうか。
タイガが向かったさきは食品工場だった。以前、職場見学でこの場所を訪れたことがある。その際に驚いたのは、広大な冷凍倉庫の存在だった。その広さは小学校のグラウンドを
——ほら、この工場のそばにある塔。テレビの電波塔なんだぜ——
職場見学の際にレオナルドが言っていたこと、電波塔のそばには食品工場があることを、タイガは忘れていなかった。
相手は液体金属のアンドロイドである。どうにかして冷凍倉庫に誘いこんで凍らせることができれば、セリカの金棒で
なにもうつ手がない。
あいつを冷凍倉庫内に誘導する方法がまったく見えない。
だとしたら、ただセリカを置いて逃げただけになってしまう。
戻って、彼女の生死を確認する勇気もない。
考えても、考えても、無力な自分しか見えてこない。
——おい。
突然の声にタイガはびくり、鳥肌を立たせながらすぐに振り返った。そこに立っていたのは〇七型であった。センター分けのヘアが特徴的だから、すぐにわかった。
「ぎゃあ!」彼に一度は拉致されているタイガの反応は当然のように最悪だ。「お、おまえも、仲間なんだな!」
「なぁに言ってんだよ」〇七型はリラックスした様子で、「テレビの放送を観た」
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