episode4:レット

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 学校を休んでまで山登りをした昨日とは、うって変わり。今日のタイガは、普段どおりに学校へ行って、普段どおりに午前の授業を終えた。いまはランチタイム。学校の屋上にいる。


「え!? 昨日は家でゆっくりしてたのかと思った。二日連続で誘拐されただけでもすげぇのに。拐われたその翌日に登山って……。生ける伝説かよ」


 けらけらと笑いながら、レオナルドが言う。


「どんだけ多忙なんだよ。拉致の件、校内で話題になってたぞ。フィリア嬢も大事をとって昨日は休んでたし。なんか、ちょっと巻きこまれたらしいじゃん? 詳しくは知らないけど。ご近所のうわさ程度にはなってる」

「そうなんだ……」タイガは驚くでもなく、「やっぱり、微田舎びいなかだから耳が早いね……」

「ま、なんだっていいさ。ふたりが無事だったんだから」


 学校中の人間がタイガではなく、フィリアのことばかり心配していた。この事実を、レオナルドはあえて内緒にしている。彼なりに気をつかってのことだ。


「本当に」タイガはうんざりした様子で、「ここ最近の出来事に翻弄ほんろうされてばかりだ……。僕でもびっくりするほど疲れているよ。肩はぱんぱんにっているし、足の筋肉痛がとんでもない。とくに痛いのが、おしりだよ」

「ケツ?」レオナルドの脳内におしりという単語はない。「ケツがどうかしたのか? 山登りって、ケツの筋肉そんなに使うっけ。アンドロイドにタイキックされたの?」

「ううん、筋肉痛とか、タイキックじゃないんだ。二回も転んでしまって。それのせいでだいぶ、おしりにダメージが……。いてて……」


 痛みに顔をゆがめながら、タイガは座る位置を直した。


「ケガでもしたのか?」レオナルドは興味津々な様子で、「どれ、見せてみ? ほれ、立って立って」


 タイガは立ちあがり、背を向けて、制服のズボンをおろした。ふたりの仲の良さがあってこその行動である。そして、ここが誰もいない学校の屋上だから、というのもある。


「わ、やべぇ」レオナルドは片手で口を覆った。「ずさーって、紙やすりで思いっきりひっかいたみたいな。やべぇすり傷じゃん……。山ってそんなに危険なのか。あそこの山だろ? ほら、ファミリー向けのさ」

「そうそう、あそこの山だよ」タイガはズボンを上げて、「一回目の転倒は、ぬかるんだ土のせいだった。けれど、その土はクッションにもなってくれた。だから、そこまでのダメージはなかったんだ……」


 じゃあ、二回目はどんなだったわけ? とレオナルドが質問を投げた。


「父上が最初に転んだんだ。マンホールの上で」

「マンホール?」

「雨がすごかったから、車をとってくると父上が言ってね。ふもとの駐車場に向かって走りだしたんだ。油断をしていたのか、マンホールの上で、つるっと……」

「痛そう……」

「父上が転ぶ前に、僕は山道で転んでいたから。正直なところ安心したんだ。父上のあわれな姿に。けれど、隣にいたアイリーシャに言われてしまったよ。タイガさま、いますこし安心したでしょう、って」

「なかなかに鋭いな」

「アイリーシャはとても面白い子だよ。マイペースな感じではあるけれど、すごく空気を読んでいる。読み過ぎて、彼女自身が疲れてしまうくらいに。だから、あえて読まないようにしているらしいんだ」


 その敏感さゆえに、鋭い指摘が飛びだすこともしばしば。


「アイリーシャって何歳だっけ? けっこう前からイヴァンツデールにいた気がするけど」

「彼女はいま、一五じゅうごだよ」

「えー! まじで! 歳下かよ……」

「そんな彼女のひと言に、僕は一抹の恥ずかしさを覚えたんだ。父上が転んだ姿を見て、それで安心しているようじゃ、他人の不幸を喜んでいるだけじゃないか。そう思ってね……」


 そしてタイガは、走りだした。

 そして父とおなじく転倒した。


「濡れたマンホールに、泥だらけの靴を噛ませて。わざと転んだわけ? そんでケガしたの?」


 次第に、レオナルドの表情が真面目なものに。


「うん」タイガは清々しい顔で、「痛かった。けれど、自分の中に巣食っていた悪魔を退治できたような。すっきりとした心地だったよ」


 なるほどな……、とレオナルドは感心の様子でうなずいた。


「すげぇよ、おまえ。いま改めて思ったわ。おまえのダチで良かったって」


 ふたりは握手を交わした。


「ありがとう」


 頬を赤らめるタイガである。

 レオナルドはかなり納得した様子で、ひと言。


「愛すべきばかって、このことだよな」



「あー、食った食った」


 弁当を平らげたレオナルドが、膨らんだお腹を両手でぱんぱんと叩いた。


「今日の弁当、量多かったなぁ。母ちゃん機嫌よかったからな」

「ねぇレオ?」

「ん?」

「いっぱい食べる男の人って、モテるかな」


 タイガは空になった弁当の蓋を閉めながら言った。


「どうしたの急に?」レオナルドは薄く笑って、「恋愛の相談ならおれはやめとけ。レベル1だから。まじで経験ねぇから」

「うーん。率直な感想、お願い」


 申し訳なさそうにタイガは合掌をした。


「おれの感覚でいいの?」

「うん、レオの意見がほしい」

「いっぱい食べるやつ?」

「そう。どう思う?」


 かくいうタイガの食事量はいたって普通である。食べ方も、イヴァンツデールらしく上品だ。反面レオナルドの食事は量も多いし、田舎者らしくがっついている。自分に食べ方のことをとやかく言えるのだろうか……、と思ったのが、レオナルドの正直なところ。


 察するにタイガが尋ねてきているのは、もっと大胆な人間であった方がいいのだろうか、という単純な疑問なのかもしれない。自分は大人しすぎる。すぎる。もっと悪く言うとしている。


 もっとワイルドさがほしい。僕には、ワイルドさが足りないと思うんだ……! 親友が言わんとしていることは、けっきょくそういうことなのだろう。レオナルドはそう思った。


「わかったぜ、タイガ」

「わかった……? なにがだい?」

「おまえにはワイルドさが足りねぇ」

「そうだよね……!」その答えがほしかった、とタイガは顔を晴々とさせた。「僕もそう思うんだ! もっと沢山食べて、もっと躰を大きくして、女の子を守れる男になりたい……!」

「よし、おれが教えてやる!」


 レオナルドは制服の上着を脱いだ。中に着ていたワイシャツも脱いだ。上半身裸になった。バスケ部所属の彼らしい、たくましい腹筋が輝いて見える。シックスパックだ。


「ぼ、僕も……!」


 タイガも上半身裸になった。とくに語るべき体型ではない。普通だ。


「まずは肉だ! 肉を食うんだよタイガ!」

「わ、わかった!」

「それから魚だ!」

「お、おう……!」

「あとは豆だ、豆! うちの母ちゃんが豆ばっか煮るんだ。それを食うんだよ!」


 つまりタンパク質だ。


「僕も、メイドたちに豆を煮るように言ってみるよ!」

「おし!」レオナルドは拳を合わせて、「タイガ、逆立ちをしようぜ!」

「こ、ここで……!?」

「いまやらねぇで、いつやるんだよ!」


 え、え、とタイガが戸惑っているうちに、レオナルドはさっさと金網フェンスに近づいた。両手を地面につけて、よっ。ひと声で逆立ちをしてみせた。かかとを受け止めた金網が、かしゃん、と音を鳴らす。


「さすがだ、すごいよレオ!」


 タイガの目は輝いた。

 ワイルドになる決心をした。

 両手を地面に押し当て、重力に逆らってみせる。


「僕も……、僕もっ……!」


 どうにか踵を金網に当てて、逆さの景色を見ることはできた。しかし腕がぷるぷると震えている。膝も、レオナルドのようにまっすぐではない。へにゃりと曲がっている。それでもタイガのそれは、逆立ちと呼べるものだった。


「どうだ、タイガ!」姿勢そのままに、レオナルドが言う。「いまのおまえ、すげぇワイルドだろ? 自分の中から溢れてくるワイルドを全身で感じるだろ?」

「ああ、ああ! 感じるよ! 僕だって、守られるばっかりじゃない。アンドロイドも、イヴァンツデールの変な常識も、謎の山登りも、全部乗り越えてやる!」

「その意気だぜ、タイガぁ!」

「ありがとうレオぉっ!」


 ふたりの友情が、より深く刻まれた、その瞬間。

 屋上のドアが開いた。

 がちゃり、とドアノブがまわされ。

 錆びた蝶番ちょうばんが高い音を鳴らす。


「タイガくん?」フィリアが声を投げる。「いる?」


 屋上を見渡した彼女はぎゃあ、と叫んだ。半裸で逆立ちをしている謎の男子生徒ふたりを見てしまった。


「あっ!」レオナルドは棒のように硬直した。

「フィリ……、あ、ぐはっ!」タイガは正面から倒れてしまう。


 学校一とも言われるマドンナに、あられもない姿を見られてしまった。


「いや! 変態!」


 フィリアは屋上から逃げた。



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