-6-
サクラが想像していたほど、岩場の道は険しくなかった。たしかに数メートルさきは
それよりも、
ごつごつとした足裏の感触が終わり。
青々と茂る
日光がまぶしい。
肌が焼けるほどに強い日差し。
しかし山頂の空気は冷たく。
太陽の熱がむしろ心地よい。
開けた視界。
眼下に広がる、大絶景。
サクラは疲れを忘れた。走りだした。
「着いた! すごい! 綺麗! 本当に綺麗!」
「着いたな」ソクラは微笑んだ。「みな、よくがんばった。昼食にしよう」
昼食の準備となると、メイドたちの動きは手慣れたものであった。ドリシラが
あとはそれぞれが分担して運んだ、おにぎり、ウィンナー、卵焼きなどが入っている弁当箱。そして現地で調理するための生野菜や、空の両手鍋などがシートの上に並べられた。
「ガスバーナーコンロ……。へぇ……」アイリーシャは物珍しそうに、手に取ったそれを眺める。「こんなに小さなコンロで、どこでも料理ができるなんて。すごい時代になったもんだね」
「たしかに」セリカもバーナーを見つめて、「かわいらしい反面、火力が心配になりますね……」
「爆発とかしないかな」
「日本製のコンロらしいですから。たぶん大丈夫でしょう」
「日本の物は安心安定だからねぇ」
ふむふむ、と納得しながら、アイリーシャはコンロをテーブルの上に置いた。するとふたりの横にタイガが来た。その手には、もうひとつのガスバーナーコンロが。
「これは、どこに置いたらいい?」
「ここにどうぞ」セリカが指をさす。「あ、もうちょっと、ここのコンロから離して置いてもらえたら……」
「う、うん」タイガは位置を調整する。「ここらへんで大丈夫かな?」
「はい。ちょうど半々くらいで、別れて食べることができそうですね」
「にしても、わざわざコンロまで持ってきて。山頂でなにを食べるの?」
冷めた弁当だけではだめだ!
絶対に現地で調理したものを食す!
それ以外認めん!
ソクラがそう言ったおかげで、全員の荷物がいくぶん増えたのである。
「水の重さと相まって、調理器具をここまで運ぶのは辛かった……。正直それほどの価値があるのかな? と僕は思ったよ」
タイガは嫌味な小声で、つらつらと。
「あったかいものなら、家でいくらでも食べられるじゃないか。リュックが重くなるってことは、それだけ道中の苦労が増えるってことだよ。父上はいったいなにを考えているんだろう。よく社員が、父上の発想についていけないって言う、その感覚がわかる気がするよ。だって、そんな小さなコンロで作れるものなんて、たかが知れているじゃないか」
胸に溜まっていた文句を吐き連ねてゆくタイガ。そんな彼の話を聞いているメイドのふたりは、首を横に振りつづけている。その表情は恐怖と
アイリーシャは黙して語る。
タイガさま、だめ、それ以上言ってはいけない!
セリカもおなじく暗黙の中で訴える。
タイガさま、後ろ、後ろをご覧になって!
「まったく。父上の思いつきも困ったものだよ。山頂からの景色が素晴らしかったから、まだ良かったものの……。メイドのみんなだって疲れているのに、料理が大変じゃないか。ねぇ、セリカ。そう思わ——」
ついにタイガは殺気を感じた。
背後だ。
背後に誰かが立っている。
ふんが、ふんが、と荒い鼻息の音が後頭部に触れる。
この威圧感。
見ずともわかる怒りの
ぎこちなく、タイガは後ろを振り返る。
「あ……、父上……。いつからそこに?」
「うむ」ソクラは腕組みをして、「水の重さと相まって。ここまで調理器具を運ぶのは大変だった——。おまえがそう言ったあたりから。だな」
謝るまでもなく、ソクラの雷が落ちた。
怒号の内容は、タイガ隊員、スープパスタ没収!
ドリシラに教授を
「だー! タイガさま! 水をこぼさないで! 貴重なんです、水が!」
「すいませーん!」
「あー! タイガさま! 包丁は猫の手じゃないと指切ります!」
「はいぃ!」
「もー! タイガさま! ベーコンが全部くっついています! ちゃんと最後までお切りになって!」
「ごめんなさーい!」
ドリシラに叱られながら、わたわたと慣れない様子で料理を手伝うタイガ。そんな我が子を見たソクラは、これはこれで
一方のサクラは、奥にある展望スペースにただひとり、ぽつんと立っていた。山頂からの景色を目に焼きつけているのだろうか。その後ろ姿に、亡き妻の面影を、ソクラは感じた。
「やはり、似ているな……」
ゆっくりとサクラのもとへ歩きだした。片方のつま先を立てて、木製のフェンスに両腕を置いているサクラの様子は、亡き妻の立ち姿と、まったくおなじであった。
一歩ずつ娘の背中に近づくたび、様々な思い出がフラッシュバックした。ソクラの目頭が、ほんのりと熱くなる。
「どうだ。来てよかったか?」
フェンスに両手を乗せながらソクラが言った。腰ほどの高さしかなかったので、中腰のような姿勢になった。
するとサクラは横に一歩ずれた。
かなり、わざとらしい動きで。
負けじとソクラも躰を寄せる。さらにサクラがずれる。ソクラは追いかける。またずれる。追いかける。ずれる、追いかける——。
「もう!」ついにフェンスの端まで、サクラは追いこまれた。「ついてこないでよ!」
「いいではないか。これでも加齢臭には気をつけているぞ?」
「存在がもう臭いの!」
「そこまで言うか」
この気の強さも亡き妻そっくりだな、とソクラは思う。
「なぁサクラ」
「なに?」
「すこし、話をしよう」
「もうしてるし。したくないけど」
「私の、大好きな人の話だ」
いままでまっすぐに景色を見ていたサクラの視線が、すこし沈んでしまった。
「父さんの恋愛になんか興味ありません」
「だが、母さんには興味があるだろう?」
「……」サクラは沈黙してから、「あるけど。いまさらなにを聞いたって、母さんは帰ってこない。私が殺したようなものじゃない」
「それは違うよ。サクラ」
ソクラは、サクラの横顔を見た。
「おまえを身ごもるまえから。カレンの病状は悪化していた。余命は二年と医者には言われていた。サクラなら、もうわかるよな? 人が子供を産むには、約一年の時間が必要だ」
「それくらい知ってます」
「だから、サクラは関係ないんだよ。サクラが産まれたから、母さんが死んだのではない。母さんは自分の命が尽きるまでに、サクラを身ごもること。そして産むことを決めたんだ。それを
がっ、とサクラの視線がソクラを突き刺した。
「なんで言わなかったの」
「すまない。時期が、あると思っていた」
「子供あつかいしないでよ……」
「すまない……」
「でも、私を産まなかったら。お母さんはもっと長生きしていたんじゃないの?」
「それについては、因果を完全に否定することは難しい。たしかに、子供をひとり産むというのは、女性の肉体に相当の負担がかかる。だが、お母さん——カレンは言っていたんだ」
——なにかを恐れて。その場でうずくまって。ただ時間が過ぎるのを感じていても、生きている気がしないの。生きた証を残したいの。誰が
「サクラ。見てほしいものがある」
そう言ってソクラは、登山着の内ポケットから一枚の写真を取りだした。まだ、サクラには見せようとしない。
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