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「シー……。キー……。高周波のような、とても高い音なのですけど」

「それがアンドロイドから出ているの?」

「はい。たぶん胸のあたりから」


 アンドロイドの胸にはコアがある。それはつまり人間でいうところの心臓部分だ。徹底的に静音化されている部分ではある。が、人間には聞こえない周波数の、コイル鳴きのようなものがあると。


 そう暴露したYouTuberの動画が、人気を博したことは記憶に新しい。セリカの並はずれた聴力がその暴露を裏付けた、とも思える。


「あとは彼らが喋りだすと、なおさらよくわかります。声の中に、スピーカーから発せられる独特のノイズが混じって聞こえるんです。それを聞くと、ああ、アンドロイドだなって。確信に近いものが得られます」


 なるほど……。と一行は納得するしかなく。

 しかしセリカ自身は、特別なあつかいを受けたいとは思っていない。

 ここで彼女をめて称えることは、逆に嫌味になってしまう。

 できれば普通でいたい。セリカはそう願っているのだから。


「うむ……」ここで頼りになるのがソクラだ。「たとえば、魚は魚でしかない。鳥は鳥でしかない。それとおなじように、我ら人間も、それぞれの特技や得意がある。長所があるがゆえの悩みもある。セリカはアンドロイドと戦えるし、身体の能力が抜きん出ているがゆえに、それ相応の副作用に悩むことがある。私もそうだ。社員からはよく、発想と機転が凄すぎてついていけませんと言われる」


 わかる、すごくわかる、とサクラは何度も大きくうなずいた。いまのこの状況——山登りにきょうじているこの時間も、ソクラがことには変わりはない。


「だが、その発想力がいい方向に働くとこもある。ライバル企業からは、やはりイヴァンツさんには敵いませんわ、との評価を受けることが多いのだ。他の企業が思いつきもしないことを、誰よりも先に実行してしまうからであろう。もちろん、ときとして危険な橋もある。が、まずは自分と社員を信じてみることからはじめるのだ。私たちならできる、大丈夫だ。みなでやり遂げよう、必ず——。そう思っていると、自然と知恵が湧いてくる。橋が危ないのなら船を作ろう。そして川を渡ろう。そのような発想が生まれてくるのだ」


 急の思いつきに振りまわされる、こちらの身にもなってほしい、とサクラやタイガが思ったことは、一度や二度ではない。


 しかしこの山の空気。大自然の癒しを全身に浴びて、毛細血管もうさいけっかんの隅々まで洗われてゆく感覚を味わっているいま。ソクラのも悪くはないな、と思える自分がいる。


「長くなったな。すまない」喉に渇きを覚えたソクラは、水筒の飲み口を唇にあててから、「つまり私が言いたいのは、、ということなのだ」


 ここでドリシラの頭に浮かんだのは、彼女の趣味であるガーデニングのことだ。


「縦に伸びたい花もあるし、横に広がりたい花もあるのよね。本当に面白いわよ、植物って。咲くのがおっそい花もあるし、早咲きだけど、あっという間に散ってしまう花もある。でも、必ず共通していることがあるの。みんな、それぞれに綺麗な花を咲かせるのよ……」


 ——あら、さきほどの。


 突然、山道の方から声がした。

 一行は声の方を振り向いた。

 そこには、イヴァンツ一家よりもさきに山道に入ったご夫婦がいた。


「おお、さきほどの」ソクラは立ちあがり、一礼をする。「おや、もう下山されるのですか? なにかトラブルでも?」

「そうなのよ」婦人は困った顔で、「うちの人、ぎっくりやっちゃって」


 そう言って婦人は、自分の腰をとんとんと叩く仕草をした。隣にいる壮年の旦那は死んだような顔である。両手には登山用のストックを持っており、それを頼りにどうにか歩いている様子だ。


「ぎっくり腰ですか?」ソクラが尋ねる。

「ええ。なんとか歩けるまでに回復したから、それを機に降りちゃおう、って。みなさまは、ご休憩をなさっているの?」

「はい。こちらも少々のトラブルに見舞われまして。もうそろそろ、登山を再開しようかと」

「そうですか。どうか、山頂までお気をつけて」

「ありがとうございます」ソクラは頭を下げて、「旦那さまも、今日は養生ようじょうをなさってください。なに、山は動きません。また山登りの機会はいくらでもあります」

「あ、あい……、どうも……」


 しゃがれた声で旦那は返事をした。

 ご婦人が会釈えしゃくをして、ふたりは山を下る。

 そして、ただひとり。

 セリカだけが顔を青くしている。

 彼女は気づいてしまった。

 六〇代に見える、ごく普通のご婦人。

 その胸から高周波の音が。

 そして声にはノイズが。


「セリカさん?」アイリーシャが、一点を見つめるセリカの眼前で手を振った。「大丈夫? 行ける?」

「え……」セリカは我を取り戻した。「あ、はい。大丈夫です。行きましょう」



「家族全員で山登りですか。呑気なことで」


 イヴァンツの面々と別れたあと。

 山道を下りながら、ご婦人は独り言をこぼした。


「なんだぁ、おまえ、今日は足が速いなぁ。膝の痛みは治ったのかい?」


 壮年の旦那は妻に尋ねる。


「ええ。すっかり治ってしまったの。あなたのおかげよ」

「そうかい。わしも、元気になりたいのぉ」

「なれますよ。たとえば——」


 ご婦人は振り返る。

 そして旦那の首をがしりと掴んだ。

 ぼきりとなにかをへし折り。

 片手で軽々と持ち上げる。

 まるで小枝でも投げるように、旦那を遠くへ放り投げた。

 数メートル飛ばされた旦那は、針葉樹の幹に全身を打ちつけ。枯れ葉の絨毯じゅうたんに落下。紛れもない即死であると、剥き出しの眼球が無惨むざんに語る。


「アンドロイドになってみるとか。おすすめですよ。お金持ちのクズ人間なら、なれるんじゃないですか? まぁ死んでしまってからでは、なにもできませんけどね」


 むこうにいる旦那に、息絶えた旦那に。

 ご婦人は言い放った。

 いや、ご婦人ではない。

 姿が変わっている。

 二〇代の男性の姿に変わっている。


「さてと。殺すもんは殺したし。家に戻って金を貰おうかね。妻の姿をしていれば、あの男、隠し金庫のを簡単に教えてくれちゃって。まったく、人間ってのはばかだね。ばかばっかりだ」


 そして男は山道を歩きだす。

 いや——今度は若い女性の姿に変わっている。

 歩きながら、ちかちかと眼球を明滅させて。

 なにかにアクセスしている様子。


「顔で検索……。ほう。イヴァンツデール……、ね。個人資産……。なるほど。ふふ、いいもんみっけた」



「だぁ、もう無理。足が棒になりそう」


 休憩をしてから二時間は歩いた。ぐったりと疲れきった様子のサクラは、水筒の水を口に含んだ。しかし、中から流れてくるのは数滴の雫だけだった。


「ちょっと待って、止まって。ペットボトルの水。水筒に移させて」

「よし、全員止まってくれ。その場で小休止だ」ソクラが挙手をして、列を停止させる。「サクラ、大丈夫か? もうすぐ岩場だ。そこを超えたらすぐに山頂だ。もう一息だぞ」


 とくとく、とペットボトルの水を水筒に移し替える。

 するとペットボトルは空になった。


「わ……、まじで一・五リットル終わっちゃった」


 驚いてから、サクラは水を口に含んだ。


「本当に、思ったよりも水を飲むわね……」


 ペットボトルから直接水を飲んでいるのはドリシラだ。ばっこん、ばっこん

 、と透明のボトルがへこんだり膨らんだり。大胆な音が鳴っている。


「ふくらはぎにがんがんくるねぇ……」アイリーシャは柔軟体操をして、筋肉の疲れを逃がそうとする。「こりゃ明日は筋肉痛だ」

「これだけの苦労をして、山頂が雨とかだったら……。かなり気分が落ちるね……」


 両膝に手をあてながらタイガが言った。

 ぽたぽた、と額から汗が落ちる。


「そんなだから雨男なのよ。タイガ」


 水で喉を潤したサクラの第一声である。


タイガさまの方が、わたくしは好きですよ」


 ただひとり、涼しい顔をしているセリカの体力は計り知れない。


「そっか……」タイガはなにか思いついたような顔で、「天よ! 我に太陽の恵みを!」


 両手を空に向かって広げた。

 すると、ごろごろ……。

 遠くで雷の音が。

 そちらに視線をやると、灰色の雲が。


「うわ、最悪」サクラは怒りの口調で、「変なこと言うから、お天道てんとさまが怒ったじゃん。タイガのばか」

雨乞あまごいと勘違いされたのではないか?」ソクラが笑った。「なに、雨雲は遠い。降ったとしても数時間後の話だろう。みな、足は大丈夫か?」


 なんとか大丈夫です、と全員は伝えた。


「よし」ソクラはガッツポーズをして、「最後の登攀とうはんだ。このさきを超えたら昼食だぞ。気合いを入れよう!」


 するとドリシラが苦悶くもんの表情を見せた。


「ごめんなさい、ソクラさま。ちょっと出ちゃう」

「なんだ、なにが出るのだ!」ソクラは慌てて、「六〇年代の車か!」

「はい、あああ」

「みな! 早く、ドリシラよりも前に! 風上に逃げろ!」


 ソクラが叫ぶと、他の全員は重たいリュックを背負いなおして、坂を素早く登った。可能なかぎりドリシラから離れた。この際、足の乳酸などどうということはない。あれに比べれば。


 ブルボボボボボ……。


「うむ」ソクラは腕組みをして、「よし。危険は回避した」


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