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「サクラ、足は大丈夫か?」


 先頭を歩くソクラのリュックが上下するたび、熊よけの鈴が音色を奏でている。


「うん。全然余裕」


 涼しい顔のサクラだ。山道を出発してから、かれこれ一時間は歩いている。


「そうか。頼もしいぞ、サクラ」

「なんだかんだ。楽しい」

「おお、それはよかった。学校をサボった甲斐があったな」

「お父さんがサボらせたんでしょ」

「そうさな。しかし、人間には気分転換が必要だ。そう思わないか?」

「これだけの自然の中、歩くことなんて滅多めったにないもんね」


 背の高い木々の間から、サクラは遠くを見た。


「いまはまだ、森林の中を歩いているようだが。これよりもっと標高が高くなると、切り立った岩場もある。そこはチェーンを握りながら歩く崖道だ。距離は長くないが、それなりの危険はある。より一層の用心が必要だ」

「ええ、そんな危ないの、聞いてないよ……」サクラは軽いため息をついて、「まぁ楽しそうだから、いい。高いところは苦手じゃないし。タイガと違って。タイガは足がすくんでだめかもね。セリカぁ、セリカぁ、って嘆いてるのが目に浮かぶ……」


 皮肉を言いながらサクラは、あれ? と言って後ろを振りかえった。


「ねぇドリシラさん。ちょっと横にずれて?」

「へ?」


 ドリシラはぜぇぜぇと息を切らしながら、一歩、横に動いた。

 そして後方を確認する。


「あ……! いないわ!」


 どうしたことか。アイリーシャ、セリカ、タイガの姿が消えている。


「な……!」ソクラは顔を青くした。「どうした! なぜいない! ぴったり離れずに歩くよう、言ったはずだ!」

「え、うそ」さすがにサクラも冷静ではない。「なんで、なんで消えたの? ここらへんまだ崖とかないじゃん。滑落かつらくするわけないし……」 

「と、とにかく一旦戻ろう!」


 ソクラの声を皮切りに、三人は来た道を戻った。二〇メートルほど坂を下ったところで、倒れたアイリーシャたちの姿が見えた。


「アイリーシャ!」


 慌てふためいたソクラは、サクラとドリシラの横を抜けて、すぐに駆けつけた。


「どうした、なにがあった!」

「う……」


 抱き起こされたアイリーシャは目を覚ました。


「なにがあった! セリカも、タイガも、なぜ気を失っている!」

「責めないで……、ください……。ドリシラさんを……」


 憔悴しょうすいした声のアイリーシャである。


「まさか高山病か? いや、ここはまだ酸素がある。そこまで薄くはない。気温が低すぎるでもない。急に卒倒そっとうするほどのことが、起こるはずは……」

 

 悩むソクラをよそに、さては、と気づいたのはサクラであった。


「もしかして……。ドリシラさん」

「なに? サクラちゃん」

「おならした? それもすごく強烈なやつ」

「あ……。おしりを狭くするって、そう考えていたら、つい……」

「それか! いや、しかし……」ソクラは一度納得したが、すぐにに落ちない表情になった。「音が聞こえなかったぞ? ドリシラはいつも、六〇年代の車みたいな音を放つではないか」


 ブルボボボボボ。とはよく表現したものである。


「音のないやつってすごく強烈なのよね、臭いが。音がするやつは、音が鳴った瞬間に、脳がある程度の覚悟をするんだって。臭いのくるぞーって。でも、音なしはそれができないんだって。だから臭いんだって」


 淡々とした口調でサクラが説明した。


「いわば奇襲……。なるほど、サクラは物知りだな」

「ネットの情報だけどね」

「ドリシラの後方を歩いていた三人が、まともに食らってしまった。というわけか……」


 あたりを見渡したソクラは、ちょうど良い休憩スペースを発見した。とても小ぶりな滝があり、そのかたわらにはステンレス製の柄杓ひしゃくが一本置いてある。山の澄んだ水を飲むこともできそうだ。


「よし。あそこで一旦、休憩をしよう」



 せせらぐ小滝の音。遠くで、近くで泣いているすずめの声。ざわ、ざわ……、と枝葉を揺らす針葉樹しんようじゅ。息を深く吸うと、全身の空気が丸ごと入れ替わるような感覚がする。山はいいものだ。大自然はいいものだ。心の洗濯ができる。


「それはもう、すごいにおいだった」


 やつれたタイガが言った。ほどよい大きさの、つるりとした岩があったので、そこに座っている。


「その話はもういいってば。大自然を濁さないで」サクラは嫌そうな顔をして、「セリカの顔を見ればわかるわよ。げっっそりしているもの」


 大丈夫? セリカさん。と、隣にいるアイリーシャが心配そうに顔を覗きこんだ。ふたりは花柄のレジャーシートに座っている。サクラも、おなじ場所に腰をおろしている。


「セリカさんがね、いちばん最初に倒れたの」アイリーシャが言う。

「そうなのか? セリカは……、おまえのすぐ後ろを歩いていたではないか」


 ソクラが口を挟んだ。彼はドリシラが広げたレジャーシートに座っている。かわいらしい、ピンクの豚さんがところ狭しと描かれている。なんだか、ハッピーな気分になりそうなレジャーシートだ。


「ばたっ、ってセリカさんが倒れる音がして、振り返ったんです。そしてすぐに強烈なにおいがして。あ、ごめんねドリシラさん」

「いいのよ」ドリシラは顔を赤らめた。「わたくしが悪いのよ。ほんと、恥ずかしい。お嫁に行けない。とつぐのを早めにあきらめておいて、よかったわぁん」


 ここでするなよ、と隣に座るソクラが言った。


「にしても、セリカの嗅覚きゅうかくってすごいよね」サクラが感心の様子で言った。「聴力もすごいし」

「あ、ええ……」


 めまいを感じつつも、セリカはどうにか返事をした。


「本当に大丈夫か? セリカ」ソクラが心配そうな口調で、「もしあれなら、引き返すこともできるが……」

「大丈夫です」セリカはすぐに答えた。「五分もすれば落ち着きますから」

「ああ、私、セリカのこの顔よく見ます」アイリーシャが言った。「生ゴミ当番のときと、トイレ掃除のとき。こんなげっそりとした顔になるんです」

「それだけ鼻が効くってことだよね?」


 そう言ってタイガは、水筒の水を飲んだ。


「五感がどうも普通の人より敏感らしくて……」セリカは静かな口調で、「ソファの隙間にお菓子が挟まっている、とか。地震の前兆の音、だとか。足音で誰が帰ってきたのかわかる、とか。そういう類のは、いいんですけどね……」


 犬みたいだな、とみなが思った。

 それともうひとつ忘れてはならないことが。


「アンドロイドか人間か。その区別もできるんだよね?」


 尋ねたのはタイガだ。


「ええ、いちおう……」


 自慢するようなことでもない、とセリカは思っている。


「それって、どうやって判別しているの?」サクラが訊いた。「アンドロイドなんて、黙っていれば普通の人間と変わらないじゃん。磁気じきスキャナーとか、サーモグラフィーでもないと判別できないらしいし」


 そのため、ほとんどのコンビニやその他店舗には、防犯センサーの設置が義務づけられている。よくお店の出入り口に設置されているゲート型の装置だ。


 それがアンドロイドにも反応するよう、機種改良が加えられたのはかなり前のこと。いまや当たり前になっている。


 アンドロイドはお店に入れないし、買い物などできない。アンドロイドによる万引きや強盗事件が抑制されたのは良いことである。が、それには副作用があった。


「たしか一時期。デモが盛んだったと記憶している」ソクラは昔を思い出しながら、「アンドロイドにも買い物の権利はある。人間とおなじようにあつかえ。社会から疎外そがいするな……。プラカードや看板を抱えた者が、何人も行進していた。そのような景色を見ることは、めっきりとなくなったが……」


 過去には、街中の防犯ゲートを破壊して歩く、などの行き過ぎた行動に走ったデモ隊の全員が、逮捕されたこともあった。そしてわかったのは、一〇〇人近いデモ隊員のうち、アンドロイドは一体も存在しなかったという事実。


「僕もテレビで見ていたよ。よく覚えている」タイガが言った。「デモ隊の中に、アンドロイドが混じっているのではないか。むしろ、全員がアンドロイドなのではないか……。そう思っていた世間を驚愕きょうがくさせた事実として、ワイドショーが取りあつかっていたね……」


 アンドロイドを擁護ようごする人間もいる。

 簡単に言うと、そういうことだ。


「なるほどねぇ……」サクラが会話の順を拾って、「でさ。話を戻すけど。セリカは、どうやってアンドロイドと人間を区別できているの?」

「えと、音です」

「音? どんな?」


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