第23話冴えない大学生は決別する
中学校や高校なら休んだ翌日というのは少なからず『行きづらい』感じがあるのだが、おおよそ大学ではそのような懸念は皆無である。
それにはいろいろ根拠があるとは思うが、やはり一番大きいのは決まったクラスが存在しないということだろう。いつも一緒に居るメンバーが決まっているやつらなら少しくらいは行きづらさを感じるかもしれないが、それでも中高生の比ではない。
さらに俺に関して言えば幸いというかなんというか友達がいない。なのでたいてい『行きづらさ』などとは無縁なのだが、
「い、行きたくねぇ......」
俺は現在ドアの前で一進一退の攻防を見せていた。
......いや、基本的にドア側からの攻撃に押されるばかりで攻防もくそもあったもんじゃない。もはやただの一方的な蹂躙である。
もういっそ今週いっぱいサボってやろうとも考えたが、しかしそれでも今日はだけ休むわけにはいかなかった。
なんたって今日が提出期限のレポートがあるのだ。しかもインターネット上では受け取らず手渡しでの提出のみを認めるという制限付き。
デジタル化が進む昨今ではありえないかもしれないが、それで俺のような不届き物の怠慢を防止できるという点を考えると案外悪くないのかもしれない。まったくいい迷惑である。授業評価アンケートでこき下ろしてやることを決めた。
時計を確認すると、現在時刻は午前十時過ぎ。バス停まで歩く時間を考えればそろそろ出ないとまずい。
「......はぁぁ」
ドアと時計を何度も見比べてカコイチ深いため息が出た。カクンと頭が垂れ下がる。
「......」
しかしそうしている間にも刻一刻とタイムリミットは近づいてくる。いま一度ドアをチラ見して、またため息がこぼれた。
......まあ、結局行くけどさ。
のろのろスニーカーを履いてとんとん踵を合わせる。それからノブに手をかけて一息に押し込む。
「......いってきます」
***
「――はい、じゃあ今日はこれで終わります~。来週はテスト頑張ってね~」
教壇に立った教授がそういった瞬間、俺はすぐさまリュックを背負って教室をあとにした。
そして一番近い階段を急いで下り、なるべく大股でバス停を目指す。授業終了直後なのでまだ誰もいない廊下にコツコツという足音がよく響いた。
廊下側の最後列に陣取っていたので席を立ってから教室を出るまでのタイムは正味三秒もなかった。恐ろしく速い離席。俺でなきゃ見逃しちゃう――
――と、思っていたのだが。
「――ちょっと! 速すぎなんだけど!?」
もう周りを見るまでもなく、それが俺に向けられているものだというのが分かった。
......今までは近くに来るまで声をかけて来なかったので油断していたが、今回は声の発生源が少し遠い。おそらく階段を降りたところで声をかけたのだろう。
......上まで聞こえたらどうすんだよ。
俺が振り返らずに角を曲がろうとすると、タタタッと軽快な足音が後ろから近づいてくる。
そしていつの間にか真後ろまでやってきて、グイっとパーカーのフードを引っ張られた。ぐえ。
「なんで無視すんの?」
「......俺に向けられたものだとは思わなかったんだよ」
そう答えると足音の正体、小幡はムッと眉間にしわを寄らせた。
「嘘じゃん」
「嘘じゃない。ほんとにわからなかったんだって」
「......」
「......なんだよ」
無言の圧に耐え兼ねて強気に出てやった。
「昨日のLINEも無視するし」
「き、昨日からスマホの電池が切れてて......」
「授業中に触ってたの見たけど?」
いらんとこばっか見てるなコイツ......。
俺なんか見てないで授業に集中しろと言いたいところだが、俺とて授業中にスマホをいじっていたのでむしろ俺のほうが重罪まである。あぶない、とんだ特大ブーメランだ......。
俺が答えに窮するのを見ると小幡はやれやれと手を広げた。
「ま、それなら今ここで話せばいっか」
「え?」
「LINEで送った内容のことだよ。通知画面とかロック画面とかで確認くらいはしたんじゃないの? まだ既読はついてないけど、最近は既読つけずに見るなんてこと簡単にできちゃうしね~」
やだも~とツンツンひじでつつかれるが、俺はちょっと違う意味で気まずかった。
「......あのさ」
「? なに?」
「小幡さんのLINEなんだけど、その、なんといいますか......」
「私のLINEがどしたの?」
純粋な瞳がまっすぐ見上げて来て尻込みしてしまう。
......でも、今後のためにもここははっきりさせておかなければならない。
意を決して俺は小幡に向き直った。
「――俺、LINEいまブロックしてる......」
それだけ言って、一応会釈だけはしておいた。
べつに謝ることじゃないとは思うが、今は小幡と顔を合わせられる自信がない。
「ブロックして、削除も、した......?」
「一瞬しようかと思った。けどしてない」
「そっか、なら......」
小幡は俺の答えにほっと息を吐いた。
このタイミングを逃したらおそらく次はしばらく来ない。俺はさらに続ける。
「......だから、今後は俺にメッセージとか送らなくていい。それと、大学でこうやって話しかけてくるのも、もうやめてほしい」
「な、なんで?」
しかし、すぐにまた今度は疑問の表情で首を傾げた。
一瞬その少し悲しげな表情に後ろ髪を引かれるがここまできてもう後戻りはできない。
「俺とお前が関わっても、いいことなんか一つもない。この前のことで、もう懲りただろ......」
「そんなこと......っ!」
「――あるよ」
今でもひどいくらい鮮明に覚えている一昨日の記憶が目の前に広がる。
「一昨日のこと、もう忘れたのかよ......?」
そう言うと小幡も理解したのか、壊れた機械のようにそのかわいらしい口元から「なんで」と無機質な声がこぼれた。
「おかしいよ、そんなの......」
かすれて震えた声だった。
「俺とお前の関係は、もう終わったほうがいい」
出来るだけ気負わずに言ったはずなのに、知らずその声は震えていた。
ふと、遠くからざわめきが階段を下りてくるのが聞こえた。なかには木村の大声が混じっている。
俺は振り返ろうとして踵を返し、
「......お前じゃ、ないもん」
腕をつかまれてそれを引き留められる。
近づいてくる足音に若干の焦りを感じつつ、しかし俺は小幡に反論することが出来ない。
大きな瞳が今は強烈に力強く俺のことをにらみつけていた。
「呼び捨て、なんでしないの?」
「......そんなこと、いまカンケ―ねーだろ」
「私は『お前』なんて名前じゃない」
「それは悪かった、謝る。その、ごめん」
少し深めに頭を下げる。もう足音がすぐそこまで来ていた。
ドッドという鼓動が、耳にとどくくらい大きく響く。
小幡がそっと手を離したのを確認してから、俺は小幡の顔を見ないようにして頭を上げた。
「......じゃあな」
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