第13話冴えない大学生は信じたい

 週が明けて月曜日。

 初めは学校を休んでしまおうとも考えたのだが、今日はあいにくの快晴で、なんとなく外に出ないと負けた気がしたので行くことにした。

 それなりに混みあったバスの最後方の席で、ガタガタ揺られること十数分。


「――県立大学前、県立大学前です。お降りのかた足元お気をつけください」


 流石に数か月ほぼ毎日通えば慣れたもので、バスを降りた後は特に迷うことなく授業のある教室へ向かう。

 ......はずだったのだが、俺はすこし歩いたところでぴたりと足を止めた。そして少し先にいるグループから顔を隠すように顔を伏せる。


 ......ちくしょう、来るんじゃなかった。

 確認のために向けた視線の先には、忌まわしき木村グループの面々がきゃいきゃい騒いでいた。

 ちらりと後ろを振り返るが、もちろんバスはすでに次の停留所に向け走り出している。


「ふぅ......」


 よいしょとリュックを背負いなおし、いやいや木村たちの背中を追ってまた教室を目指し歩き始める。

 朝っぱらから最悪な気分だ。


 ***


 その日の授業は特に何の問題もなくつつがなく進行していった。

 どこかで木村たちからちょっかいをかけられるのではないかと警戒していたが、特にそんなことはなく。

 とはいえ、いつも通り好意以外の感情も持った目を向けられているのは変わらない。こうも続くとそろそろ慣れてきたころだ。


 にしても執念深いなあいつ。

 でもまあ、ここまでいつも通りの様子だと、おそらく小幡は俺のことを話していないのだろう。

 ......いや、そもそもそのことを話すと小幡の立場が危うくなるか。

 あんな、なんの魅力もないただのでくの坊の家で、二人きり並んでゲーム何時間もやってたなんてむしろばれたくない黒歴史になるまであるからな。うん、言ってて自分で悲しくなるね。


「――よしじゃあ何か質問ある人は残って、それ以外の人は帰っていいよ」


 自分の存在意義に疑問を持ち始めていると、授業を担当していた教授が次回の課題の説明を終え、解散の流れになる。

 するとしんと静まり返っていた教室がにわかに騒がしくなった。


 その場で午後の予定を話し合うやつも居れば、俺のようにさっさと帰る支度を始めるやつも居る。

 ちらりと木村のほうへ目線をやれば、彼らは「飯どっか良いとこ知らね?」「あー俺このまえバ先の店長に勧められた店あんだけど」とか、大声で話し合っていた。

 もちろんその輪の中には小幡もいる。


「......」


 なんとなくモヤッとする感情が吹き出てきて、俺はそれを振り払うように教室後方のドアへと急ぎ足で歩いた。

 まだ時間的にほかの教室は授業中で、廊下は教室の中と打って変わって静かだった。


 長い廊下にコツコツという俺の足音だけが鳴る。

 今日の授業はこの二限の必修授業で終わりだ。なので俺の足取りはいつもよりも少しだけ軽い。


 教室の喧騒が届かないあたりまで来たところで、不意に後ろからパタパタ駆けているような足音が近づいてくる。

 それはどんどん近くなり、そして気づけばすぐ近くまで来ていた。

 すると俺のちょうど真後ろでぴたりと足音が止む。それに続いて、つい先日聞いたばかりの声が耳を打った。


「その、昨日は、ごめんっ」


 確認するまでもなく声の持ち主が誰かはわかった。いちおう周りをきょろりと見回し、俺以外に誰もいないことを確認してゆっくりと振り返れば、そこにはやはり小幡がいた。

 すこし呼吸が乱れて頬がほんのり上気している。

 その色香にどこか言いようもない罪悪感を感じていると、小幡は軽くぺこりと頭を下げた。


「昨日は行けなくてごめん」


 言い終えると、ゆっくり顔を上げる。


「べつに、俺は気にしてない」


 それは本心だった。

 しかし小幡はむっと表情を険しくする。


「なんかその言い方、壁作られてる感じする」


「そういうつもりはないけど」


「佐伯にその気がなくても、わたしが感じたらそういうことになるのっ」


 なんて理不尽。

 小幡はむんっと腕を組んで鼻を鳴らす。


「はあ。......ならまあ、すみませんでした」


「うん、全然大丈夫」


 ......これじゃもうどっちが謝られてるのか分からないな。

 すると流石に小幡もおかしいと思ったのか首をかしげて、その状態で少しするとごまかすような笑みを浮かべた。

 ほかのやつがやったら「笑ってごまかすな」と声を上げたくなるところだが、小幡がやるとむしろちょっと得した気分だな。


「それだけか?」


「ううん。......えっとね、その」


 努めて平静ぶって訊くと小幡は探るような目で俺を見て、


「昨日の変わりに、ほかの日に行ってもいいかな~っていう、相談に来ました......」


 小幡は言い終えるとシュンと肩を縮こまらせた。


「いつくらいに?」


「明日、とか......」


「昨日の今日で?」


「だ、だよね~......」


 俺がそう返すと小幡の視線が横に流れる。こいつでもこんなわかりやすい反応するんだな。

 そのままフェードアウトしていく展開かと思ったが、急に小幡の眼が俺の眼をしっかりと見据えた。


「でも! 行けないって連絡しようと思ったら佐伯、大学のLINEグループ入ってないんだもん!」


「大学のLINE? なんだそれ」


「そ、存在を知ってすらいない......」


 なんかすごく可哀そうな目で見られた。


「招待しよっか?」


「いい。入ってもどうせネタで退会させられるだろ」


「優馬たちもそこまでひどくはないかな!?」


 優馬というのは木村のことだ。小幡から見ても、木村が俺に対してヘイトを向けているのはわかるらしい。


「それに、入るといろいろ面倒なことあるしな」


 退会させられるかどうかは正直どうでもいいが、シンプルに、入った時の挨拶やら何かしらの問いかけに対して返信を求められるのは面倒だ。

 コミュ障ここに極まれりである。


「あとはまあ、同じ学部のやつだいたい嫌いだしな。普通に入りたくない」


「まだほとんどだれとも話したことないのに!?」


 なんかちょっと言い方に棘があるが置いておこう。


「とにかく、俺はLINEグループなんかに興味ねーんだよ」


「なんか宗教勧誘断る人みたいになってる......」


 ちょっとなに言ってるのか分からないが、これで俺の意思は伝わったはずだ。

 と、遠くからパラパラと足音とにぎやかな話し声が近づいてきた。


「じゃあ、これで」


 あまり俺と小幡が話している姿を他人に見られるのはよろしくないだろう。

 俺がいそいそ振り返ってバス停へ急ごうとすると、グイっと後ろからリュックが引っ張られた。


「わかった、それならこうしよ」


「おい、もう人来るぞ」


「すぐ終わるから。スマホ出して」


「え、あ、ちょっと」


 ポケットからスマホを取り出してロックを解除した瞬間、すぐさま小幡にひったくられた。

 なにすんだと手を伸ばして奪還を試みるが、ひらりとかわされる。そしてあろうことか鋭い目でけん制までされた。

 それ俺のスマホだよね? 怒るの俺のほうだよね?


「――これで多分登録できたから、今度からはこっちで連絡するね。じゃあまた、今度は水曜日に行くかも!」


 全ての操作を終えたのか俺のスマホがポイっと雑に返却された。

 今のはどういうことか聞き返そうとしたが、小幡はそう言うとすぐさま振り返って、先ほど俺が降りた階段に駆けていく。


 後を追うことを考えるが、するとちょうどそこで木村たちが降りてきたのが見えた。タイミングが悪い奴め。

 そうなればもう声はかけられない。仕方なく回れ右してバス停を目指す。

 その間にスマホの画面に目を落とし、そこでさっきの言葉の意味を知る。


「登録ってそういうことか」


 画面には小幡のLINEのプロフィール画面が表示されていた。ユーザーの名前欄に『さえ』と書いてあるのでまず間違いないだろう。

 とりあえず変な操作をされていないのを確認してから、俺はスマホをポケットにしまう。

 何気に、大学に入って初めて手に入れた連絡先が女子ってすごいのかもしれない。

 そんな小さな幸福をかみしめつつ、俺はゆっくりとその日は帰途についた。

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