第10話 仲良しではないふたり
靴ひもをしばり、コートのボタンをきっちり留めます。布製のバッグに『ヘンたて2』があるかどうか確かめました。玄関先からは冬の気配がひたひたと伝わってきました。
わたしは散策を日課としていますが、冬の日は外に出るのがいやになったりもします。そんな時はたいてい石油ストーブの前で本を読んでいるか、宿題をしているかのどちらかですが、家を出ない日が続くとなんだか後ろめたいような気がして、川べりをぽてぽてと歩きます。歩いているうちにぽかぽかと暖かくなって、結局気が済むまで歩いてしまうのですが、明日になるとそんな境地に至ったことは忘れてしまい、すっかり石油ストーブが恋しくなってしまうのは不思議です。
冬の昼下がりは空気がとても澄んでいました。乱反射する青空に照らされて、あたりの草花は淡い色をにじませています。
寒い日になればなるほど、青空の純度は上がっていく気がします。ぼやける春も、夏空の生命力も、ぴかぴかの秋空もみんな素敵ですが、混じりけのない冬の青空はわたしの一番のお気に入りでした。手を伸ばしてみれば、ノックをする音さえ聞こえるようにさえ感じるのです。
日差しだけ抜きとればまどろむくらいに暖かいのですが、透明な緊張はわたしのからだを引き締めました。
凍えるほどではありません。しかしときおり吹く風はしっかりと冷たいです。それでも公園につくころにはすこしからだが温まってきたような気がします。
沙良ちゃんはすでに公園で待っていました。
沙良ちゃんはまだわたしに気づいていません。中央の時計台を落ち着きなく見つめています。わたしを待っているのでしょうか。それにしてはやけに苛立っているようにもみえました。
わたしは手を振りながら近づきます。沙良ちゃんは小さな手のひらを見せました。
「寒いね」
「うん、寒いけど、わたしは歩いてきたから」
わたしがおどけると、沙良ちゃんは大げさにわたしをこづく仕草をしました。
「待ってたわたしは寒いの」
柔らかなこぶしがあたって、痛いというよりくすぐったいです。わたしたちは顔を見合わせてくすくす笑いました。
昨日の調子や、電話越しでの声はおかしかった沙良ちゃんですが、こうして出会ってみればいつも通りの沙良ちゃんです。ただ、わたしのバッグを見ると、
「先に返してもらうんだよ。貸すのはそれから」
なんて変なことを言っています。
戸辺さんの家は公園からは急ぎ足できたので沙良ちゃんはさほど寒い思いをせずに済みました。沙良ちゃんは運動も得意で早足といえどわたしは何度も置いてかれそうになります。そんなわたしを見て沙良ちゃんは焦れったそうにこちらを振り返りました。
わたしの息がすこし切れかけたころ、戸辺さんの家に着きました。チャイムを鳴らせば、戸辺さんはすぐにドアを開けてくれます。ドアを開けた戸部さんは沙良ちゃんが一緒についてきたと知り、意外そうな表情をしましたがすぐに微笑みへと変わりました。
「今日もう二人で来たんだ。入って」
そう言いながらも玄関にそろえられたスリッパはふたつありました。戸辺さんは照れくさそうに言います。
「今日はお使いを頼みたいと思っていたんだけど……。ふたりで言ってくれるのならちょうどいいかな、って考えてた」
もちろんそんなことはお安い御用です。わたしは深くうなずきます。ただ、事情を知らない沙良ちゃんは不安そうな顔をしました。
ソファーの脇には本がいくつもの塔をつくってならんでいました。色も高さもまちまちの小さな塔は書架にもたれるようにそびえています。突けばあっという間にこわれてしまいそうな儚い塔です。
リビングの大きなソファーに座るなり、戸辺さんは本を取り出しました。わたしたちの再会はいつもそうです。簡単な感想を言い合いながら本を手渡したり、受け取ったりするのを儀式のようにおこなってから、歓談を始めるのでした。
お使いがあるときはここで頼まれるのもいつものことです。
「小麦ちゃんたち、これお願いするね」
戸辺さんが風呂敷を取り出してきて言いました。わたしは手を伸ばしました。いまや、風呂敷の重さを感じようとするとき、
沙良ちゃんがわたしの手をつかみました。
さきほどまで外でわたしを待っていた沙良ちゃんの手のひらはおどろくほど冷えています。わたしは沙良ちゃんが手の甲をぎゅっと握るのをあぜんと見ました。
「これ、どこへ持っていくんですか」
沙良ちゃんが詰問します。
わたしを止めるためにつかんだ手首のはずなのに、沙良ちゃんはそれを命綱のように懸命につかんでいました。気丈に戸辺さんをきりりと睨みつける沙良ちゃんですが、その手は小刻みに震えています。
沙良ちゃんがもう一度、問いました。
「答えてください。これは何ですか。どこに持っていくのですか」
ガラス戸に北風が当たりました。間の抜けた甲高い音が鳴ります。
戸辺さんはふくふく笑って答えました。
「小麦粉だよ。農家さんから直接仕入れたものをわたしがパン屋さんに売っているの」
さきほどの激昂と次の沙良ちゃんの声。どちらが感情を高ぶらせていたのでしょうか。
ともかく沙良ちゃんは押し殺した声でつぶやきました。
「わたしたちもう、帰ります。配達はできません」
そしてわたしの手を引っ張って歩きだしてしまいます。
戸辺さんは追いかけてはきませんでした。
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