第6話 紹介したい人がいるのです①
わたしと戸辺さんの交流は続きました。
玄関先で本を交換するだけの日もあれば、おじゃましてお茶とお菓子をいただく日もあります。お菓子はどれも戸辺さんの手作りだそうで、ショートケーキやクッキー。ときにはまだ温かいあんぱんが出てきたこともありました。
その代わりというわけではないでしょうが、戸辺さんにはときどきお使いを頼まれました。川の上流にある小さなパン屋さんに風呂敷を持っていくのがそれです。わたしが配達を済ませると戸辺さんは決まって嬉しそうにするのでした。
わたしが圧倒されたリビングの書架はまだほんの一部だそうです。二階に上がればそれこそ図書館のように本棚が乱立しているようでした。戸辺さんは二階がぎしぎしと音をたてるたびに、二階の床がそろそろ抜けるかもしれないといってわたしを脅かすのでした。
そうこうしているうちに季節は過ぎていきます。師走のはじめに雪が舞い、こたつが恋しくなる頃になりました。お正月が過ぎ、長いようで短い冬休みもあっというまに過ぎていきました。
沙良ちゃんは苗字が葵なのに赤が好きなようです。曇天もようのこの日も赤いマフラーと耳あてをして、一緒に下校をしていました。
わたしと沙良ちゃんが一緒に下校することは珍しいことです。わたしと沙良ちゃんは既に親友でしたが、私立と区立のため下校時間があわないことがほとんどでした。遊ぶときも前述したとおり公園で待ちあわせをするのがいつもだったのです。
今日も公園で会う約束をしていましたが、校門の角を曲がったらランドセルを背負った沙良ちゃんとばったりと出くわしました。わたしは思わす手を叩いて、「ぎょーこーぎょーこー」と節をつけてしまいます。沙良ちゃんは「うるさい」と一喝しましたがその表情はほころんでいました。
灰色の空をつぐみが飛んでいきます。沙良ちゃんが「冬だね」とつぶやき、その声が嬉しそうだったのでわたしまでもが楽しい気分になってしました。つぐみは雲の切れ間へと挑戦するように飛び、やがて雲にすっぽりと覆われ見えなくなりました。
沙良ちゃんと他愛のない話をしているうちに戸辺さんの家が見えます。わたしは戸辺さんのことを思い出しました。
「そういえば、戸辺さんっていうひとがいるんだけど」
「うん?」
「公園で会ってからいつも本の貸し借りをしているんだ」
「うそ、小麦が本の貸し借り?」
沙良ちゃんは聞き間違いかというように耳あてをはずしました。思えば沙良ちゃんには戸辺さんとの交流を伝えていません。沙良ちゃんはまさか自分以外の友達がいることに驚いたようです。
「そう、二ヶ月前くらい。公園で会って、ピーチパイをご馳走してくれたの。それから本を貸したり、貸してもらったり」
わたしがしゃべっていくうちに沙良ちゃんの顔がどんどん険しいものへとかわっていきます。それに比例してわたしの話し声も小さくなってしまうのでした。
「小麦、もしかしてついていったんじゃないよね」
わたしがぎくり、とすると沙良ちゃんは盛大なため息をつき、わたしを諭しました。
「そんなのだめだって分かるでしょ。悪いひとだったらどうするの」
「戸辺さんは悪いひとじゃないし」
わたしはそっぽをむいて言います。そんなわたしに、沙良ちゃんの言葉も詰問調から少し柔らかくなりました。川沿いにつらなる住宅を眺めています。
「それはそうかもしれないけど……。ここら辺に住んでいるひと?」
どうやら、沙良ちゃん、ちょっと興味を惹かれているようです。
「そうだよ、すぐそこ」
わたしがそう応えると沙良ちゃんの表情はすっかり晴れやかなものになりました。頬に手を当て、考え込んでいます。悪戯っぽく口は弧を描き、好奇の瞳が輝きました。わたしはタイミングを見計らってかぶせました。
「今から行こうよ」
「いいよ」
沙良ちゃんが口をぽかんとあけましたが、こんなことは造作もないことです。わたしはもう一度言いました。
「一緒におじゃましようよ」
沙良ちゃんは頷き、耳あてを耳に戻します。灰色の空はずいぶんと低く、今にも冷たいみぞれが降ってきそうです。白い息をはきながら、目鼻の先にある戸辺さんのドアをノックしました。乾いた桃の木のはずですが、かすかに甘い香りが漂っているような気がします。ややあって「はーい」という声が聞こえました。慌しく廊下をわたる音がします。
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