第4話 無類の組み合わせです


 戸辺さんは素敵な女性でしたが、どこか浮世を忘れたようなきらいがあるました。

年齢は二十歳をこえたぐらいだとお見受けしますが、そのわりにはときどき幼い言動があります。そうかと思えば還暦をすぎたおばあさんように忘れっぽいことがありました。

 平日、わたしが遊びに行くときにもほとんど在宅で、家族もいない、お母さんはそのことをとても心配していたようです。

 もちろんわたしはそんな大人の事情は知りません。ただ雲のようにとらえどころがないひとだなぁ、と思っていたのです。

 わたしはソファーにちょこんと腰掛け、あたりを見まわします。リビングの壁にびっしりと、見下ろすかのように本棚がならんでいました。わたしが知らないような難しい本ばかりで、本好きを自任するわたしでさえもそのようすにはくらくらとしてしまいます。とにかくおびただしいほどの本の量でした。

 戸辺さんが薄紅色の紅茶を運んできました。ティーカップのふたをあけると爽やかな香りが漂います。これはアップルティーのようです。

「砂糖はいれる?」

 戸辺さんが無粋なことを言ってきますが、わたしはふるふると首をふりました。わたしは断固として紅茶に砂糖は入れない主義です。わたしは少し熱いくらいの紅茶を口に含み、綺麗に切り分けられたピーチパイにフォークを入れました。紅茶に洋菓子とは。まったく、無類の組み合わせです。ゆっくりゆっくり食べ進めたつもりがあっという間になくなってしまいました。

「ごちそうさまでした。とっても美味しかった」

 戸辺さんはわたしの賛辞を嬉しそうに受けとり、迷うことなく書架から本を取り出してきました。

 戸辺さんが差し出してきた本を見つめます。創元推理社の文庫本で、表紙にはアンニュイな表情の女性と、手許のカップを覗きこむような男性がうつっています。『春季限定いちごタルト事件』と書かれていました。

「最初は別のものを用意していたんだけど、小麦ちゃんがあまりにも楽しそうに食べるから変更したの。これにもお菓子が大好きな女の子が出てくる。どうかな」

知らない本でしたが、創元推理社の文庫には馴染みがあります。いつかその黄色い背 表紙で本棚を一色にしたい、というのがわたしのひそかな願いでした。もちろんわたしは受け取ります。

 わたしもお気に入りの一冊を渡したかったのですが、あいにく散歩中でしたので持ちあわせがありません。そのことを伝えると戸辺さんは分かっていたようで、

「返す時に持ってきてよ」

 と言ってくれます。それよりもわたしは次の約束が出来て嬉しくなりました。

 帰り際、わたしがおいとましようとすると、戸辺さんは「見送るから待ってて」と言い席をはずします。こんなことはわたしとお話をしているときにも二、三回ありました。失礼にあたるかどうか分かりかねますが、戸辺さんはとてもトイレが近いひとのようです。急にそわそわし始め、気づいたわたしがトイレを勧めると冷や水を浴びせられたようにおどろくのです。

 わたしは玄関で靴を履きました。その脇には大きめのスニーカーがあります。

ふふっ、どうやら戸辺さんはおひとりで住まわれているわけではなさそうです。いずれ紹介もしてくれるかもしれません。

 戸辺さんが慌てたようにやってきます。わたしはぺこりと頭をさげました。

「おじゃましました。本、楽しみにしててね」

「小麦ちゃんはセンスがありそうだからね。楽しみにしてるよ」

 わたしはドアノブをまわします。茶色い桃の木が見えました。

 もういちど振り返ると、がらんどうの廊下が目に入ります。にこやかな戸辺さんの姿はありませんでした。

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