第5話

関ケ原。


関ヶ原の戦い(せきがはらのたたかい)は、安土桃山時代の慶長5年9月15日(西暦1600年10月21日)に、美濃国不破郡関ヶ原(岐阜県不破郡関ケ原町)を主戦場として行われた野戦。関ヶ原における決戦を中心に日本の全国各地で戦闘が行われ、関ヶ原の合戦、関ヶ原合戦とも呼ばれる[4]。合戦当時は南北朝時代の古戦場・「青野原」や「青野カ原」と書かれた文献もある[注釈 1][5]。


主戦場となった関ヶ原古戦場跡は国指定の史跡となっている。


人類滅亡回避の起点である。


2.


恒久平和。


安寧。


涅槃。


だったら苦労、苦はねーW。


完全から不完全に落とされて帰還するにヌルゲーだったら意味も価値も勝ちもねーW。


と、全知前納なる我らが在りて在る者が考えたか?全知成らざる我らが汁芳も無し。


我らが苦難は此処依り始まる(ネイティブ日本語圏の皆様サーセンWまあカルマの為せる業という事で陳謝)。


まー兎に角関ケ原だ!。


「金吾めが」


主君、東軍総大将たる三州公の独語は、存外に重く、大きく、幕下に響いた。


無理も無い。


金吾中納言、小早川 秀秋の、事前の約定通りに。


寝返りが、呼応無くば。


東軍は。


我が軍は。


徳川は。


否。


人類は…滅亡する!。


3.


往時の家康の心境を嗤うのは現代であれば容易であろう。


が。


当事者にしか判らぬ、我ら三次元人の事情もある。


ここは、万難を排して寛恕願いたい。


4.


SKYOKOMATHU THUTHUIYASUTAKA TAKKUKENZAINARIYA FURUNERUSON YAMAZAKI 霊長類南へ 小川一水 店名の導 あー一発変換せなんだご免。えTC。


「放て」


は?近侍は。


「金吾に向け!放て!!」


それは…。


窮したか。


近侍は恐れ惑う。


恐れ多くも、東軍の敗北。


否。


壊走。


ひいては滅亡は目に見えていた。


それ程無能では無い。


否。


この時点で、無能が。


約束された天下人。


徳川家康公の近侍で居られる訳もないお!。


物理的に不可能だお!宇宙が赦さない、神が赦しても我、家康が赦さん!。


5.


ファイナル一縷の望み、金吾中納言小早川秀秋の寝返りに総てを賭けているのに!。


それに向けて天唾とか!!。


何処迄舐めプなんだこの殿は!。

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