第13話 奈良散策*奈良奥山ドライブウェー②

 奈良奥山ドライブウェーの頂上にある駐車場が見えて来た。

 今日も多くの車で賑わっている。でも、私達の車を止める位のスペースは空いているようだ。


 車を降りた私達は、左右に樹木がうっそうと茂る砂利の小道を歩いて行く。

 太陽はあと少しで沈むのだろう。茜色に染まった空が、幾つもの雲と一緒にドラマチックな情景を繰り広げている。


「ほら、ここ滑るから気を付けろよ」

「う、、うん。きゃぁ——」


 言ってる傍から足を滑らせた私は、咄嗟に和樹のジャケットの裾を掴む。

「おい〜、、俺も道連れにするつもりやろう!?」と和樹もふざけてよろめく。そして、二人揃って「「はははっ」」と顔を見合わせて笑いあった。


 周りから見たら私達はきっと仲の良いカップルに見えるのだろうな。

 出会って八年も経っているけど、そんな関係には一度もなってないのに……。

 


 だけど、今日、私はそれを変えるんだ。

 私の決意は揺るぎないものとなっていた。



 緩やかな坂道を登って行くと急に視界が広がった。

 今、私達がいる場所は、『若草山』の頂上付近だ。


 若草山と言えば、やはり『若草山焼き』が有名だ。

 そういえば、大学時代に、和樹と薬師寺の傍にある池から若草山焼きを見たことを思い出した。

 薬師寺の二つの五重塔が暗闇に浮かぶ。その遥か向こうの山の頂きが、真っ赤な炎で燃えさかる……。その炎が余りに神秘的で、寒さを忘れて見入ってしまったっけ。


 ここは、一年に一度、山焼きをしているおかげか、背の低い草しかないので、視界を邪魔されず奈良市街を一望出来る。

 昼はピクニック、夜は夜景見学と多くの人が訪れる素敵な場所だ。

 今も、三脚を立てて写真を撮っている人や家族連れ、それに腕を組んでる若いカップルなど、沢山の人が来ている。みんな静かにこの夜景を楽しんでいるようだ。


 私と和樹は、さらに景色がよく見える高台へと歩いていく。

 たった少し登っただけなのに、さっきよりさらに景色が良くなったと感じる。


 遠くを見渡すと、左手には東大寺や興福寺、そしてほぼ正面には平城宮跡が小さく見える。

 暮れゆく古都・奈良の情景を、私達はしばらく黙って眺めていた。


 すっかり日が落ちると、空は、薄オレンジ色から濃紺へと変わり、そして最後は濃いグレーになっていく。すると、今度は街明かりがどんどん鮮明になっていき、まるで浮かび上がっているように見えてきた。

 百万ドルの夜景には負けるけど、私はここで見る奈良の夜景が一番好きだ。


 


「あのさ、ちょっといいか?」


 私は、和樹の方へ顔を向ける。

 すると一瞬、二人の視線が絡まった……。

 でも、和樹はそれを嫌うように、ゆっくりと夜景の方へと視線を戻していく……。


『なんなんだろう?こんな和樹の表情は初めて見た……。もしかして、もしかして……』


 そう思うと心臓がドクドクと大きな音を立てる。


「あのな、俺、、。今やから言うけど、大学二年の始め位から、お前のこと好きやったんや」


『えっ?それって……和樹は私と同じ気持ちやったん!?ほんとに?』


 私は和樹の顔を見つめる。


「お前と一緒に過ごした学生時代が、俺の宝物やって、、、最近、ほんまにそう思うんや。でも、俺が東京に行ってから、たまにお前と会ってもすぐに口げんかみたいになってしもうて、それがずっと嫌やったんや。だから、今日は、奈良を回って、二人で思い出を語ろうって思ってたんやけど……。言葉はいらんかったな。もう、俺らって、同じ事考えているし……。ほんま、俺、今日、色んなことがようわかったわ」


「……。うん、、」


 もっと、言葉を出したいのに、和樹が何を言おうとしているか分からない……。


 怖い、、だから、何も言えない……。



「あんな、、東京ってな、色んなものがあるんやで。なんせ、首都やからな。街も凄いし、交通の便も最高や。芸術も音楽もそして、情報とか、、もうありとあらゆるもの全てが集まってくる。そして、何より、人が多いんや。それも、色んな性格、考え方を持った人がな……。俺さ、東京に行って、きっと疲れたんやと思うねん。何より、お前もおらんしな……」



 私は、和樹の顔を見上げる。なんて寂しい顔をしているんだろう。

『私はここにいるよ』そう言いたいけど言えない……。


 また、二人で夜景の方に顔を向ける。

 徐々に空気が冷えてきたのか、さっきよりさらに街の灯りが綺麗になっているようだ。




「俺さ、、好きな人が出来たんだ……」



 唐突に出された言葉。

 それは、私がもっとも恐れていた言葉だった。


 息ができない……。苦しい……。



「えっ、、、、、、。そ、そうなん……。そうかぁ。そうやねんな。うん、、。そうなんや……」


 私は、『そうなんや』しか言えないまま、目に一杯の涙を浮かべる。でも、それを悟られないように、、そして、涙が頬に落ちないように必死で和樹の裾を握りしめた。


「うっ、うっ、、、」


 それでも、小さな嗚咽が漏れる。

 すると不意に、和樹が優しく抱きしめてくれた。


「あほっ。最後まで話を聞けって。俺な、、大学時代のお前より、今のお前が好きなんや」


「……。えっ?」


 私は、涙でぐしゃぐしゃになった顔のままで和樹を見上げる。


「お前とたまに会うたび、、そうやな、、正直、大学時代より、もっともっとお前に惚れていったんや。仕事一生懸命やって、活き活きしてるお前を見るとなんか俺も頑張らなあかんなって思えたし。お前、俺の変化、分からんかったんか?」


「もうっ!!わかるわけないやんか!!!ほんまにもうっ!!」

「えー、わからんかー!?何でー?」ってちょっとふざけた感じで言う和樹。

 だから、私も少し嫌味を言いたくなった。


「でも、私、ようわかったわ。顔もまあまあで、歌も上手いのに、ずっともてへんかったんは、和樹が女心を全くわからんからなんやな……」


「ったく……。なんやねんそれって、酷い言われようやな」


 和樹は、ちょっと不満そうな顔をしながらも、私をもう一度強く抱きしめる。


「絶対失ったらあかんものを俺は、今日見つけたで。お前はどうや?」

「そんなの、私はずっと前から見つけてたわ!あほっ!!」


 私は和樹の胸を両手で叩く。和樹は、私を離さないように抱きしめてくれている。

 

 すると、和樹が突然大声で叫んだ。


「和葉、俺と結婚してくれ—!!」

「えっー?」


 近くにいた人達が全員、私達の方に視線を向けている。

 勿論、みんな驚いた顔をしている。当たり前だろう。こんなに静かな山の頂で結婚しようなんて叫ぶ人ってそうはいないと思うし……。

 でも、中には、『うわぁー』と言いながら、拍手をしている人もいる。『素敵ね〜。私もこんなふうに言われたかったわー』なんていいながら動画を撮っている人達もいるみたいだ。

 私は違った意味で頭が真っ白になっていた。


 『恥ずかしい!恥ずかしすぎる!!』

 

 ずっと言わへんかったくせに、今、ここで、こんなに人が多い中でなんで言うん!?ありえへん!!!

 でも、和樹はそんなことは全く気にしていないようだ。


「俺な、来年の四月から大阪本社に転勤することになったんや。ずっと希望を出してたんやけど、三年間真面目に一生懸命働いたご褒美やな。そう、だから、、これからずっとお前と一緒におれるんやでー!」


 もう、言ってることが無茶苦茶だ。

 『付き合って下さい』もなしに、『結婚して下さい』って、和樹って本当に女心をわかってない。

 でも、凄く自分に正直で、そして、とっても素直で不器用な人。そんな人を私は好きになったのだ。私には、この人しかいない。こんなにも好きになれる人は他にはいない……。

 今、輝く夜景を見ながら私はそう思うのだ。



「あのさ……。出来れば、今すぐ返事をくれっ……。いや、、下さい」

「えー、だって、付き合って下さいを飛び越えて結婚してって言われても、、。ほんま、和樹って頭おかしいんとちゃう?」

「おまえ、、、むっちゃ喜んでるくせに、ほんまに天の邪鬼やな。まあ、、そこもいいんやけど」

「えっ!?今、何て言った?何て?」

「はいはい。俺の好きな女は、ほんまにひねくれてるって言いました」

「もうっ!!!折角、いいよって言ってあげようと思ったのに、もう絶対言わへん」

「えー、、、聞かせてくれや。俺、今日、ここで聞きたいねん!!」



 私は、和樹の胸に顔を埋めたまま、小さく『うん』と頷いたのだが、どうやら和樹は気づかなかったようだ。


 『和樹と和葉のかずかずコンビって、本当仲がええよなー。早く結婚しちゃえー!』と大学時代、友達に良く揶揄われたっけ。

 でも、私はそう言われる度に落ち込んでいたのだ。

 仲が良いけど付き合ってない。友達以上だけど恋人ではない。

 ずっとそういう関係もあるんだと自分に言い聞かせてきた。でも、それは自分を偽る事で、とても辛い事だったのだ。

 今、思えば、お互いがほんの少しだけ正直になればもっと早く答えを見つけられたのかもしれない……。

 

 でも、それが出来なかったからこそ今があるんだ。


 すごく遠回りしたけど、それは決して無駄ではなかったんだ。いや、遠回りしたからこそ、お互いがこんなにも大事なものだということを理解出来たんだ。


 まだ、返事返事とうるさい和樹をスルーして、もう少し焦らしてやろう。

 それくらいの意地悪はいいよねと思いながら、私はもう一度素晴らしい夜景の方へ視線を向けた。




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