第12話 奈良散策*奈良奥山ドライブウェー①
私達を乗せた白いヴィッツは、細い山道をゆっくりと降り、また奈良市内に戻って来た。浄瑠璃寺の後、紫陽花の寺として有名な岩船寺に行くのかなと思っていたが、和樹はその横を素通りして、山を降って行ったのだ。
西の空に太陽が少しずつ沈んで来ている。
楽しい時間はあっという間に過ぎようとしている。
もう、これで今日の散策は終わりなのだろうか……。
ぼんやりと考えていたら、『奈良奥山ドライブウェー』の看板が出ている小さな交差点で、和樹はハンドルを左に切った。
「ねぇ、和樹?もう五時過ぎてるけど、新幹線って大丈夫なん?」
急に離れるのは、今の私には寂しすぎる……。
だから、私はあえて残りの時間を尋ねることにした。
「ん?あー、そうやな。新幹線は結構遅くまであるしな。でもって、今はスマホで予約も変更も出来るし……。まあ、なんとでもなるわ」
「そうなんや。じゃあ、まだ大丈夫やね」
私は、少し笑顔になって返事をする。
「なんや、お前、寂しいんやろ?」
「ちっ、ちゃうわっ!新幹線乗られへんかったら大変やろうから言っただけやんか」
「ふっ、、、。まぁ、、そういうことにしといてやるわ」
「そうや、、そういうことにしといて!」
今日は、本当に色々とあった。
でも、私は、自分の気持ちに気づいたことで、頭の中はとてもクリアーになっていた。あれだけごちゃごちゃしていた気持ちは一体なんだったんだろう……。答えは本当に単純で、とてもシンプルなものだったのに……。
もしかしたら、東京と大阪の距離のせいかもしれないな、、と思った。
あと数時間で、和樹は新幹線に乗り、東京へと向かう。
『そう、、またしばらく会えなくなる……』
電話やメール、ライン、ズームなど、離れていてもお互いの距離を埋めるツールは沢山あるのだろうけど、私は和樹の温もりがすぐ横にあった方が、いつもとびきりの笑顔でいられるのだと思う。
仕事は楽しいし、仲間にも恵まれている。仕事への充実感で私の心は日々満たされていると思っていたのに、和樹に会えない寂しさや不安な思いが、心の奥底に少しずつ溜まっていったのだろう。だから、こうして、たまに和樹と会うと、どうしようもない感情が一気に湧き出してしまうのかもしれない……。
車は東大寺の敷地内にある『大仏池』の脇を通っていく。
すると、右手に正倉院が見えて来た。緑の垣根が邪魔して、日本史の教科書に載っている写真のような姿は見えないけど、確かにここに約千二百年以上前に作られた校倉作りの建物があると思うと奈良の底力を改めて感じてしまう。
二差路を左に折れると急な山道になった。
『奈良奥山ドライブウェー』と書かれた年季の入ったアーチ状の看板を抜けると料金所だ。
運転席の窓が静かに降りて行く。
「往復やね?はい、五百三十円〜」と元気のいいおじさんに和樹が千円札を渡す。お釣りを受け取った和樹は、その小銭を私に「はい」と渡してきた。
『あー、、懐かしい。そうだったな……』
車で色んな所に行った際、運転している和樹からお釣りを貰い、それを和樹のサイフに入れるのが私の役目だった。
「和樹、サイフは?」
「おっ、よろしくー」
左手で渡されたサイフを見て思わず声をだしそうになった。
これは、私が和樹の誕生日プレゼントにあげたものだ。ちょっと無理して買ったブランドの黒革の財布。
あれから、もう、五年以上は経っている……。
だからだろうか?形も崩れ、角も傷んでいる。なのに、まだこのサイフを使ってくれてるなんて……。
「和樹、来月、誕生日やんな〜。何か欲しい物ある?」
「う〜ん、、特に何もないな〜。いいで、気にすんな。お前も金欠やろう?気持ちだけで十分や」
そうは言われたものの、和樹の誕生日という特別な日に、やっぱり何かプレゼントをしたい。十二月生まれの和樹。本当は、手編みのマフラーをあげたいけど、彼女でもないのに重いだろうなと躊躇してしまう。
どうしよう……と数日悩んでいた私だったが、午後の講義が突然二つとも休校になった日、思い切ってプレゼントを探しに大阪・難波へ出かけたのだ。
何件か店を回ったところで、ふと黒い革の財布が目にとまった。そう言えば、今、和樹が使っているキャンバス地のサイフは汚れも酷く、小銭入れのボタンも壊れかけていたのを思い出した。
手に取ると手触りも滑らかでお札もカードもそして小銭も入れやすそうだ。
傍にいた店員さんに声を掛け、プレゼント用に包装をしてもらう。
「お待たせしました。彼氏さんにですか?きっと喜ばれると思いますよ!」
可愛い店員さんだったな。私もあの時からもっと素直になっていれば良かったとまた思ってしまう。
そして、誕生日の当日。
あえてムードも何もない大学の食堂でプレゼントを渡したんだっけ……。
「和樹、おめでとう。これ、良かったら使って」と恥ずかしい気持ちを悟られないように、できるだけ軽い口調で……。
そんな風に渡したサイフを和樹は、今も大事に使ってくれている……。
私は、小銭を入れ終わるとそっと黒革の財布を撫でてみる。
『ありがとうございます。彼氏さんにですか?きっと喜ばれると思いますよ!』
あの時、店員さんが言った言葉をまた思い出した。
私よりも和樹の事を分かっているような気がして、ちょっとだけひがんでしまう。
もう少しで、奥山ドライブウェーの頂上だ。
私は、今日、和樹に自分の気持ちを伝えようとしている。その結果、大事な人を無くしてしまうことになったとしても……。
緊張で手が震えている。
私は、ぎゅっと黒革のサイフを握りしめた。
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