第8話 奈良散策*ランチはあの店で!

 私達を乗せた白いヴィッツは、法華寺から東に向かって快調に走っていた。正面にはこんもりと青々しい若草山も見えている。

 休日というのに今日は車がやけに少ない。おかげで、私達のランチはそう遅くならずにすみそうだ。


 近鉄奈良駅を通り過ぎ、奈良県庁の信号を右手に折れると興福寺のエリアに入る。威厳さえも感じさせる興福寺五重塔が私達を出迎えてくれているようだ。


 車は猿沢の池へと続く細い道を下っていく。すると、少し向こうに有料駐車場の看板が見えた。


「まあ、ここら辺りは、駐車料金も高いけどしゃーないな」と和樹が呟く。確かに、近鉄奈良駅付近は、駐車場自体少なく、料金も割高だ。

 多分、ここに車を止めると、奈良公園、東大寺、春日大社など、奈良観光でも指折りのスポットに歩いて行けるからだろう。


 駐車場に車を止めた私達は、猿沢の池の淵をゆっくりと歩く。

 丁度、池の向こうに五重塔が見える所でしばらく立ち止まっていた私達は、タイミングを合わせたかのように同時に歩き出した。


 そして、私達は、『東向き商店街』へと三条通りを緩やかに降っていく。

 お目当ての店はもうすぐだ。





「もう昼の時間やな。お前、今日って、どんな気分なん?うどん?そば?イタメシ?それとも牛丼?」


 法華寺を出て、駐車場に向かうとき、和樹が私に尋ねた。


「あのさ、レディーに向かって、牛丼はないやろ!」

「良く言うわ!お前、牛丼大好きなくせに!っふふ」

「あ—、思い出さんでええのに——!!!」



 それは、大学四年の頃だった。

 たまたま、帰りが遅くなった私達は、一緒に夕御飯を食べることにしたのだが、スパゲッティーにしようと言う私に、どうしても牛丼が食べたいと和樹が聞かず、結局私が折れたのだ。

 そして、その時初めて、私は牛丼のチェーン店に行くことになったのだが、入った店は、なんと私以外全てが男性客。しかも、カウンターだけの小さな店だったこともあり、とにかく居心地が悪い……。

 私は、ここに来たことを凄く後悔していた。なのに、和樹はそんなことには気づかずいつも通りだ。


「お前、何にする?俺は、特盛りやな」

「なあ、和樹。私、ここでほんまに食べるん?女の人私だけやで」

「全く、関係ないで。安心しーや。女性一人で食べてはる人も結構おんねんで」

「ほんまに!?」

「そうや。だから、ほら、お前も早くどれにするか決めんかいな」

「えっと、、、私ここ、初めてなんやけど何がお勧めなん?」

「お勧めって、、ここ何処かわかっとるやろ?牛丼に決まってるやんか」

「やっぱそうやんな。じゃあ、私はこのアタマ大盛りってやつで」

「えっ、、、お前、初めての吉牛で、、、。わかっとんな〜〜」



 実は、そこで、初めて食べた牛丼がとても美味しく、大ファンになった私は、それ以降、和樹から「メシ何処行く?」と聞かれたら、真っ先に「牛丼!」と言っていた時期があったのだ。



「あー、、、恥ずかしい。今ならもっと女の子っぽく、オシャレな店を言うのに—!!」


 和樹はまだ笑っている。


「まあ、でも、今日は、俺、あそこにしようかなって思ってるんやけど」

「えっ、どこどこ!?」

「東向き商店街抜けたところにある『ガルーダ』はどうや?」

「あー!懐かしい〜〜!あそこのオムライス食べたい〜!」

「そやろ?俺もなんか今日は、無性にあそこの焼きそばが食べたいねん」

「うん。賛成!!!」


 二人の意見が一致した結果、東向き商店街と三条通りがぶつかる場所にある『喫茶ガルーダ』という小さなカフェに向かっているのだ。


『喫茶ガルーダ』は、『びっくりうどん』という店の二階にある小さなカフェだ。ただ、喫茶店とは言うものの、何気に食べ物メニューも豊富で、看板メニューは、焼きそばとオムライス、そして焼き肉定食も美味しかったな。


「「あっ、あった!」」


 二人の声がシンクロする。

 もしかして、もう無くなっているのでは……と二人とも思っていたのかもしれない。営業中という看板をみると本当に嬉しくなる。


「カランカラン——」


 店に入ると、私達は四人掛けのテーブルに案内された。私達で、全部のテーブルが埋まることになる、、、。今も喫茶ガルーダは繁盛しているようだ。


 オムライスと特製焼きそばを注文した私達は、何故か無言でお互いを見つめ合った。精悍な顔に凜々しさが滲み出る和樹が凄く格好良く見えて仕方ない。

 ちょっと顔が赤らんで来た私は、咄嗟に顔をそらす。

 その時、視線の向こうに見えた本棚にびっしりと並んでいるノートを見つけた私は、そっと席を立ち懐かしむようにそれを手に取った。


『ガルーダ日記 平成二十年』


 そのノートの表紙には、ここのマスターが書いたのだろうか。印刷ではなく、サインペンの太い方で書かれた、なんとも味のある文字が並んでいた。


 そのノートをパラパラっとめくってみる。

『名前入りの相合い傘』、『付き合い始めて今日が三ヶ月の記念日。絶対、私達、結婚しようね〜』、『二人が、いつまでも恋人でいられますように』など、恋人達が書いたであろう甘い言葉がずらっと並んでいる。また、『仕事に行き詰まり、青森から奈良にやって来たけど、仏様のお顔を見たらそんな気持ちはフッと消えてしまった』など、自分の思いを長文で書いている人も結構いるようだ。


 確か、和樹と私が最後に来たのは平成三十一年だったと思う。

 私は、本棚から、この辺りだろうというものを抜いては戻している内に、ついに平成三十一年のノートを探し当てた。


「お待たせしました。オムライスと特製焼きそばです」


 アルバイトの学生だろうか。お皿を持つ仕草がまだぎこちない。でも、凄く可愛いな。私より肌が綺麗だし……。やはり、ティーンエイジャーには負けるな……。


「ありがとう」


 和樹がその店員に呟く。ちょっと見とれているような気もする。私は、「ほら、和樹、食べるで!」とちょっと強めに言葉を発すると、「はっ」としたように私を見つめてきた。


「あの子、お前の大学時代に雰囲気が凄く似ててさぁ、ちょっとびっくりしたわ」

「えっ!?似てる?」

「うん。似てる。可愛いな」

「えっ!!!!!」


 和樹は、また「はっ」として、「アホ、嘘や、冗談や」と言いながらもなんだか焦っているようだ。

 なんだかな—。私達っていつもこうなんだよな、、なんて思いながら、そんな和樹を私は見ているのだった。



「う、、、上手い!!!」


 和樹は、特製焼きそばに、ガルーダ特製のオーロラソースを垂らして食べている。カレー店でルーが乗ってくる容器に入っているこのソースを少し多めに掛けるとなんとも不思議な味がするようだ。


 オムライスも最高に美味しい。

 絶妙な味加減、そしてふんわりしてるけど、最近流行のドロドロではないオムライス。少し懐かしい気持ちもあってかとにかく美味しい。


「ごちそうさん」、「ごちそうさま」


 私達は、ほぼ同時に綺麗に完食した。


「珈琲、頼むやろ?どうする?」

「うん。私はアイスで」

「了解! すみません〜!冷コー二つお願いします」


 和樹はテーブルからちょっと大きな声でオーダをする。


「ごめん、ちょっと手ー洗ってくるわ」


 そういって、和樹はお手洗いに向かう。


 手持ち無沙汰になった私は、さっき本棚からとった『ガルーダ日記 平成三十一年』をめくっていく。


「何月頃に来たんだっけ……」


 ぱらぱらとめくって行く。

 確かに私はこのノートに当時思ったことを記した覚えがある。あの時、学生時代、、私はどんな事をどんな風に書いたのだろう?




「お待たせ。ん?お前、、どーしたんや?暑いんか?顔、真っ赤やで!?」


 和樹が手洗いから戻ってきて、顔を真っ赤にしている私をみて驚いている。

 どうやってもこの熱さを引かせることが出来ない私は、ただ下を向いてごまかしている。


 テーブルの上には、閉じられた『ガルーダ日記』が置いてある。

 そこには、確かに私の筆記体で書かれた文章があった。



『今日は、和樹とつかの間のデート中。デートとは違うかも知れへんけど、今私はとても幸せ。この気持ちを伝えたいけど、やっぱり無理やな。でも、いつか聞いてみたい。私のことどー思ってんのって。でも、一体、いつになったら聞けるんやろう?聞くのが怖いのも正直な気持ちだし。神様、私はどうしたらええんやろ?』



 正直、超恥ずかしい……。

 こんなことを多くの人が見るノートに堂々と書いてるなんて……。

 でも、私は、このノートを書いた時から今までずっと同じ気持ちだったんだと再認識することが出来たと思う。



 ただ、私が顔を赤くしてうろたえているのはそれだけではなかったのだ。


 あの時、四年前……。

 今の和樹と同じように、私が手洗いに行ったんだっけ。きっと、その隙に和樹が密かに返事を書いていたのだ。



『お前のこと!?好きに決まってるやろ!そんなことも分からんとは、お前、ほんまに鈍感やな』


 見るとすぐに分かる。ちょっと右下がりのその文字。

 それは、和樹が書いたものだった。

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