第9話 奈良散策*興福寺国宝館
美味しい昼食を終えた私達は、来た道をのんびりと戻っていく。
緩やかな坂を今度は登って行くと、左手には、お土産屋が沢山並んでいて、ここが観光地であることを思い出させる。
空気で膨らます鹿のおもちゃを持った子供達が目の前にいるが、どうやらこの店で買ったようだ。
「まだ、スケジュール的には時間があるから、阿修羅さん見に行こうや!」
「あ〜。見たい!」
私達は、階段を登って興福寺の境内へと入っていく。
興福寺国宝館は、その名の如く、国宝の数々が、惜しげもなく展示されているところで、七百円という入館料が安いと思えるほど見応えのある場所だ。
学生時代、折角、奈良にいるんやからとお寺を回り始めた私達は、ここも数回訪れたことがあった。
私は、この国宝館の中でも、とりわけ阿修羅像が好きだった。
和樹には、「お前はミーハーやな」と何度も揶揄われたが、お釈迦様を守る神とは思えないくらいの優しい表情、そして、何よりも精悍で凛々しいお顔は、見る時間を忘れてしまうくらい素敵だと感じてしまうのだ。
拝観料を払った私達は、早速順番に眺めていく。
所々、他の博物館へと出張している仏像があるけど、代わりに展示されてる複製でも迫力は満点だ。そして、お目当ての阿修羅像へとたどり着いた私達は、「はぁっー」と息をのんだ。
やはり、何度見ても本当に素晴らしい。
いや、んっ?今日は前に見た時よりもなんだか笑っているような気もする。
そんなことを思っていた時、和樹が話し出した。
「この間、阿修羅さん、上野の国立博物館に来られたんやで。その時、俺、見に行ったんやけど、入場するまで一時間も外で待ってさー。ほんま疲れたわ」
「え、、そうなん?あー、確か、ニュースでも言ってたなぁ。ふーん。和樹は一人で行ったん?」
「えっ?」
なんだか、和樹の目が泳いでいる。
「いや、なんか仏像好きやっていう後輩がおってな。そいつと行ったんやけどまあ、ほんま大変やったな。人が多くて……」
何かやましいことがあるのだろうか?和樹は無駄に話を続けていく。
「ほんで、凄いのろのろ状態でやなぁ、漸く阿修羅さんの所に来たっちゅうのに、足を止めないでくれって係の人に言われてな。もう数分だけやで、、、近くにおれたのは。ほんまに、疲れただけやったわ。でも、唯一良かったのは、展示が通路の中央にされとったことやな。だから、行きはお顔、帰りは背中側を見ることができたんやで。ほら、ここでは、前からしか見られへんやろ?」
でも、和樹のそんな作戦なんて、私はお見通し。
「で、その後輩ってのはどんな人なん?」
「えっ、、、。いや、、後輩って、、後輩やんけ……」
「だ、か、ら!どんな人なん?って聞いてるやろ?」
あー、、イラッとする。
「……っ。そ、そうやな、俺と同じ部署の後輩で、、、。まあ、俺より一つ年下の女の子や。あっ、だけど、なんもないで。阿修羅像の拝観チケットを持っとったのをどこかで見たらしく、『私も好きなんで、行きましょうよ』と誘われて、ただ見に行っただけや」
なんだか、無性に腹がたった。
私がこんなに和樹のことを考えているのに、当の本人は、若い女の子と上野でデートして……。
もう、私、なにやってるんだろう?
「あのな、何怒ってんねんな。お前が怒ることか?これって。俺には俺の東京での生活があるし、お前もお前で大阪での生活ってのがあるんやろ?お互い様やろ。正直……」
和樹が発する言葉はどれも凄く冷たく感じた……。なのに、それを言い放った和樹自身、とても哀しそうな目をしている。
『そんなの分かるけど……。だけど……。なんで?なんで分かってくれへんの!?』
心の中でもう一人の私が叫ぶ。
その時、、、こんな私にさえ、いつも全力で気を使ってくれる田中君のことを思い出した。
「そうやな。確かに私には私の生活があるわ。だから、私にも一歳下の後輩で、なんでも話が出来て、誠実な人柄で通ってて、凄く気が利いて、仲良くしてる男の子がおるし……」
あっ、、、私、今、きっと酷い顔してると思う……。
和樹が女の子と出かけたからって、田中君のことをこんな時に、話さなくても良かったのに……。
正直、田中君にも失礼だと思った。
だって、彼は、私のことを恋愛なんかの対象で見てないかもしれない。
なのに、勝手に田中君を逃げ場所にしているのは、私の思い上がりだと思った。
やっぱり、私は、田中君に気持ちが傾いているのではなく、和樹が私の心を埋めてくれない寂しさを紛らわせるために、田中君を利用しようとしているだけなんだ……。
そう思うと、結論はでてしまう。
そう、やっぱり、私には和樹しかいないのだと……。
なんだかもう泣きたくなった……。
そう思った瞬間、私は、声を殺して泣き出してしまった。
私の思いを悟ったような表情をした和樹が、私の右腕を掴んで休憩スペースへ私を引っ張っていく。
時間がゆっくりと過ぎていく。だけど、私は、まだ泣いていた。
こう見えて、余り人前では泣かない性格だけど、今日はもう思いっきり泣きたい気分だった。
和樹は、「ごめんごめん。俺が悪かったな。ほら、もう泣くな」といって、かなり戸惑ってるようだ。
何も解決していないけど、今はこのまま和樹の腕の中で静かに泣かせてもらおう。
薄暗い館内のベンチで一つになっている私達を、国宝の仏像達が、『ニヤリ』としながら見ているような気がした。
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