第2話 私の仕事は、営業アシスタント
金曜日、私は、増えてばかりで一向に減らない仕事に、全力で向き合っていた。
私が勤める会社は、株式会社ベクターという今年、創立九十周年を迎える企業だ。関連会社も含めると従業員は三千名を超えるらしく、音楽関連の企業では、間違い無くトップクラスの企業だと思う。
社内には、幾つもの事業部があるが、私は会社の中でも中核を担う『音楽営業部』に所属し、肩書きは『営業アシスタント』となっている。
営業アシスタントを一言で言えば、タッグを組んだ営業マンと一緒になって成果を上げるというものだ。
仕事内容は、CDショップや楽器店への売り込み、アーティストのライブ時に会場のエントランスでグッズと一緒にCDを売ったり、海外大物アーティストの来日を企画し、それに合わせて日本独自のベスト盤をリリースする、、、はたまた、音楽教室の立ちあげなど、果てしなく広い。
それに、最近はサブスクリプションに対応すべく、著作権などへの対応や課金率決定に際してのミーティングなどにも顔を出すことが多くなった。
ほぼ内勤ではあるものの、先週は人手が足らないということで、大阪城ホールで開催されたアイドルグループのライブに急に駆り出されれるなど、いい感じでこき使われているという所かもしれない。
そう、、こう見えて、営業アシスタントは、何気に雑用も多いのだ。
資料を作成したら得意先にメール、そして、十分後に電話をして、会話の中でさりげなくメールを見てくれたことを確認したら、すぐに営業マンに連絡するなどは、基本中の基本。
CDショップで行うミニライブなどのでは、入場整理、アーティストへの昼食、ドリンクの手配、会場へのアテンドなど、それこそ言い出すとキリが無い。
勿論、外回り中の営業マンからもどんどん依頼が入ってくる。酷い時は本当に仕事が折り重なってしまい、目が回りそうな時もある……。
だけど、、、、
私はこの会社がとても好きだった。
だって、大学で一年生から軽音楽部に所属していた私は、大学時代の延長のような、良い意味での遊び心を持ったまま仕事が出来ているからかもしれない。
まあ、本当はそんな甘い気持ちでは駄目なんだろうけど、逆にちょっとだけ軽い気持ちが、こわばる肩の力を抜くことになり、結果的に良い方向に向いているような気がしている。
私は、ふと、就職活動をしていた頃を思い返した。
『なんのレクチャーも無い中、自分一人だけで暗闇を突き進む感じ、、。あの頃は、とにかく全てが不安だったな……』
私が、就職活動を始めたのは大学三年の秋だった。
この頃になると、ゼミで一緒だったみんなはとっくに動き始めていた。だから、私はかなり遅い方だったと思う。
そんな時、これまで名前は知ってたものの、自分が働くなんて全く思ってなかったこの会社のWEBサイトを見てから、私の心に火が付いた・・・と思う。
WEBエントリーから、書類選考、一次面接、二次面接と進んでいく中で、私は、ますますこの会社が好きになっていた。
だから、気合いを入れて臨んだ二次面接だったのだが、執行役員と営業本部長という強面の面接官と最後には何故か談笑しているという変な形になってしまい、かえって焦ったのも今となっては良い思い出だ。
最終面接では、社長との一対一の面接だったが、ここでも、私は特に緊張せず、これまで思っていた音楽への情熱を熱く語っていたと思う。
そして、ゴールデンウィークが終わった頃、軽音学部に所属している学生なら誰でも羨む、狭き門と謳われたこの会社から内定をもらったのだ。
実は、和樹もこの会社を本命としていたのだが、結局二次で落選してしまい、二人で同じ会社で働けるかもという淡い夢は儚くも消えてしまった。
和樹は、二次を落選した際、強がってはいたが、心の底からがっかりしていたと思う。
そして、その時、和樹は、何か違う雰囲気を纏った気がした。
だからだろうか、、、
内定をもらった私に、「良かったな」と言ってくれたものの、二人の間に微妙な空気が流れはじめたのは……。
それにしても、今日は、本当に仕事が多い。
もしかして、残業になるかもしれない……。
でも、明日の大樹との奈良散策の為にも、何とか早く終わらせて、ゆっくりと睡眠を取っておきたい。
だから、私は、いつもの倍以上の集中力と熱量で動いていた。
それなのに、、、、
得てしてこんな時に限って何かが起きる、、。
なんと、私が担当している三名の営業マンの一人、田中雄介に取引先からクレームの電話が入ったのだ。
「おたくの田中さんさぁ、今日中に見積もり送りますって言ってたのにまだ来ないんだけど」
あえて淡々としているのだろうか?取引先の男性の声の端々からイライラが感じられる。
「大変申し訳ございません。すぐに確認いたしますので少しお待ちください」
私は一旦保留にして、すぐさま、田中くんに電話をするも繋がらない。電話をしながらショートメールを送ったが既読にもならない。
もう、自分が前面に立ちフォローするしかないみたいだ・・・。
「お待たせいたしました。田中は只今外出中で、すぐに連絡をとりますので少しだけお待ちいただけませんでしょうか?」
私は、冷静になれと自分に言い聞かせながら相手に話しかける。少し声が震えているのは相手からの威圧感からだろうか、、、。
「あのね、うちも急いでるんだよ。今日がうちの締め日だし。田中さんにお願いしていた要件というのは、新譜を五十万円分取るからうちにあるデッドストックを三十万円分、返品させてくれということ。彼はわかりましたと私に言ってたのに一向に見積書をくれないから処理ができないんだよ」
『えっ!?たった五十万の仕入れで三十万も返品!?』
田中くんがこんな要求を飲むわけない。
彼は、相手先の無理難題にも『誠実』その一つだけで上手く対応していることは、まだ彼のアシスタントになって一年も経ってない私でさえ知っている。
彼を気に入っている会社はとても多く、仕事の事以外でも彼と会話をしたいからと電話をしてくる人がいるくらいだ。そんな彼が、本当にこんな商談を良しとしたのだろうか?
「あの、、、じゃあ、今から言うメルアドに見積もり送ってくださいよ。これって儀式みたいなもんやし、メモみたいな文章でもメールでもなんでもいいんで。だから、貴方が作ってすぐにメールして欲しいんだけど。ほら、あと五分でうち、締まってしまうから、早くしてな。じゃあ待ってますから」
「っ、あっ、、お待ちく、、、、」
私が言う前に、その電話は切れてしまった。
再度、田中君に電話やメールを流すも応答がない。
覚悟を決めた私は、Wordを立ちあげると、仕入れ、返品の金額や返品の送付先、そして送付方法などを記載し、PDF形式で保存する。
そして、簡単な挨拶と謝罪を記したメールに作成した見積書を添付した。
『本当にこれでいいのか?田中君の連絡を待った方が良いのか・・・』
悩みに悩んだものの、時間はいたずらに過ぎていく・・・。
結局、最終的に、私は自分で判断した後、そのメールを送付したのだった。
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