第3話 後輩の田中君
化粧室で自分の顔を見る。なんだかとても疲れた顔だった。
席に戻った私は、勤怠アプリで『退勤』を押すと、トートバックを持ち、小さい声で「お先に失礼します」と言って席を立った。
「あっ、お疲れ〜〜!それにしても、今日、凄かったやん〜〜。仕事への集中力、、、過去最高じゃない〜!?」
エレベーターに乗る際、すれ違った先輩の麻由美さんからグッジョブと言ってもらった私は、「今日は、やってやりましたよ〜!」と親指を立てて返事をする。
正直、かなりの空元気だったが、鋭い麻由美さんのことだから、もう気がついているだろうな……。
あの田中君の取引先からのクレームの件、私が取った行動があれで良かったのかどうか、、私はまだ、頭の何処かに残したままだった。
会社が入っているオシャレな十八階建てのビルから出た私は、地下鉄御堂筋線の本町駅に向かって歩いて行く。
改札へと続く階段を降りようとした時、早歩きで登ってきた男性とすれ違った。
「あっ、田中君!!!!」
「えっ?あっ——」
何故か田中君は、私が掛けた声よりも大きな声を出している。
田中君は、私より一年後に入社した後輩で、とても優秀な営業マンだ。
視野が広いんだろうなと思う事が何度もあったし、誰に対してもさりげない気配りが出来る。そういうこともあってか、皆がいう『田中君は誠実』という言葉がぴったりの人だと私も思っていた。
田中君は、私が受け持つ営業マン三名の中で、私と最も年齢が近いこともあり、仕事以外の事でも色々と悩みなどを言い合う良い関係だ。
彼は私に対して、一度も気分を害する様なことをしなかった。それくらい、常に気を使ってくれるし、なにより私をきちんと一人の同士として見てくれている。それは、些細なことだと思うけど、妙に嬉しく感じた。
会社では『田中さん』と呼んでいるが、会社をいったん出れば、『田中君』とある意味親しみを込めて呼んでいるけど、彼はそうした時、いつも笑顔で返してくれる。
『にしても、和樹とはえらい違いだ……』
いつも私を怒らせる和樹のことをふと思い出す……。
明日、私は、一日中笑顔で和樹と一緒にいられるだろうか……。
今までそんなことを思ったことは無かったのに、和樹と田中君を比べている私がいた。
「田中君、私のメール見た?ほら、高音商事から見積もりが来ないって、クレームが来たんやで!」
「えっ、、。ごめん。まだ、そのメール見てないわ。でも、そんな約束したかな〜」
「そうなん!? でも、なんでも、今日の午後六時までに田中君が、先方に見積もり送るといってたのに、送ってけーへんって凄い圧の掛かった声で言われちゃったよ。だから、私、田中君が承認したという内容で簡易的な見積もり書作ってメールしたんやけど・・・。それで良かったんやろか?」
まだ、田中君は、「え〜!?」「なんやそれ〜?」と頭を捻っている。だが、私に笑顔を向けてこういったのだ。
「うん。大丈夫。ありがとうな。それでいいわ。助かった。今度、お礼に奢るからな!!」
「う、、うん。なんか、ほんとにこれで良かったん?」
「良かったってば!俺がおらん時に、そんなクレーム受けてもらってごめんな。ありがと」
田中君は、両手を合わせて、もう一度「ありがとな」と言ってから、「じゃぁ!」と会社のビルに向かって歩き出した。
私は、その背中に向かって、「お先に〜!頑張って〜!」と声を掛け、地下鉄への階段を降っていく。
たった今まで、自分が凄く気にしていたことを、田中君がさりげない言葉で受け止めてくれた気がした。
私は、彼の度量の広さに改めて感謝するのだった。
改札を抜けるとすぐに電車がホームに入ってきた。
帰宅ラッシュの時間ということもあり、今日も御堂筋線の千里中央行きは満員だった。私は、出来る限り電車の奥に入ると、トートバックを両手で持つ。
電車が揺れる度に、両隣、前後の人と触れてしまう満員電車にも、漸く慣れてきた。
そう言えば、就職して数ヶ月した頃、久しぶりに和樹と会った際、「電車の中で知らない人に密着するのが嫌や」と言ったら、「そもそもお前が自意識過剰なんじゃ!」と一蹴されたっけ……。
怒った私が、「なにっ!!そんな訳ないやろ!」と和樹を叩いて話は終わってしまったのだけど、私はあの時、本当は和樹になんて言って欲しかったのだろう?
もし、こういう時、田中君だったら、なんて言うんだろう?
梅田に着いた電車からは、多くの人が降りていったが、逆に降りた数よりも多くの人が負けじと乗ってきている。
人の流れに押され、さらに電車の奥に運ばれながら、私は頭の中で、まだ二人を比べていた。
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