第3話 訪問者
金翁は、拳銃を放り投げて私を挑発した。
「二階の3人を助ける代わりに、おまえが死ね、この場で」
「それはできないわ。私が死んだら、彼らを守る者がいなくなる。彼らが助かる保証はない。あなたの言葉は信用できない」
金翁は声を立てて笑った。
「さすがだな。おまえが死んだら、二階の人間を生かす理由もない。夫を亡くして自暴自棄になったおまえが、彼らを殺した後に自殺したものとして、偽装するだろうね」
この金翁は、かつて私が任務として、スパイとして入り込んでいた会社の会長だ。
表向きは健全な会社だったが、その裏で、あの大男のような、心のない怪物を生み出す実験をしていた。
あれは、人間の一部の細胞を埋め込まれたマシンだ。人間のDNAが使われているので、表向きは人間のように生活することもできるが、インプットした主人の指示に従う忠実なロボットでもある。
主人の指示があれば、強力な力で破壊活動も殺戮も行う危険なマシンだった。まだ開発段階で、完成してはいなかったが、金翁はそのような研究をしていた。
三年前に、私が会社の機密データを盗んで公表したため、会社は潰れ、会長は再起不能となった。
巧く痕跡を消して去ったつもりだったが、この三年で、社員の中のスパイが私だったことを突き止めたのだろう。
金翁は私を強く恨んでいるようだ。
あの大男のような実験マシンは、秘密裡にすべて警察に回収されたと聞いていたが、まだ一体残っていたようだ。
実験施設は解体されたから、あのような実験マシンを新たに生み出すことはできないはずだった。
手下が5人と金翁。多勢に無勢だが、ここにはもうあの殺人マシンはいない。
そしてここは私の家だ。もしものための用意はもちろんしてあった。
私は転がった銃を拾い上げると、二か所の電球に向かって二発続けて撃った。
途端に訪れた暗闇の中で、家財道具の場所を全て覚えている私は、素早く秘密の通路を通って二階に行った。
寝室に入ると、家族を見張っていた二名の部下を蹴り上げて倒すと、後は簡単だった。
いざと言う時のために用意していた、寝室の本棚の奥にあるボタンを押せば、寝室のベッドは反転して、天井は滑り台のように斜めになって、真下に位置する車庫に置いてある車のルーフをリモコンで開けると、家族三人は、車の中に転がりながら納まった。
私も続いて車に飛び乗った。
家族は起きない。金扇に薬品で眠らされているようだ。
金翁が追いかけてくるよりも早く、私は車を発進させて、昔所属していた組織、ロタン・アップルに連絡を取った。
プライドを捨てて「助けてください」と。
ロタン・アップルのボスである、コードネームカシスは、かつては恋人だった男だ。
結婚願望もなく未来のないあの男との関係に縁を切りたい気持ちもあって、私は足を洗ったのに。
カシスは最初から私に対して愛情なんてなかったと思う。単に、自分を裏切らない手駒を確保するつもりだったのだろう。
そのカシスに、こうして結局は頼るしかなかった。
金翁が警察の手に負えないのはわかった。
犠牲者をもうこれ以上出したくない。
「久しぶりだな。君から連絡をするとは」
私はカシスにすべての事情を話した。
「昔のよしみで手を貸してやろう。ただし、条件がある。君がまた私の元に戻ることだ」
それは、私の想像していた通りの条件だった。
この男が、ただで手を貸してくれるはずはなかった。
「……わかりました。組織に戻ります」
また命がけのスパイ活動をするのは、2歳の息子がいる私にとっては、この上なく辛いことだったが、今は承諾するしか他に選択肢はなかった。
私は、彼が指定した場所に行った。そこは、山奥などではない、普通の住宅街の一角だった。
車を敷地内まで乗り入れて、私は息子と義両親を組織の人間に預けた。
「ここが今の西東京のアジトだよ。二人貸してやる。それでなんとかしろ」
カシスはそう言って、アジトにいる仲間を、私に二人貸してくれた。
一人は昔からの知り合いで後輩だった、私の良く知っている男、イチジク。もう一人はミカンと言う名の若い女で、初見だった。
もちろん二人ともコードネームだ。ちなみに私は組織の中では、ビワと呼ばれている。
私は、目が覚めた時に息子たちが怯えないように、『ママの古くからの友人の家だから安心するように』とのビデオメッセージを残して、アジトから出発した。
家族の安全は任せた。あとは、私が決着をつけるしかない。
「はじめまして、私は元警察事務員だったのよ。ニュースで見たわ、私の古巣をよくも荒らしたくれたわね」
ミカンが警察にいた頃のかつての同僚などが、あの大男の襲撃で殺されたらしい。
「あなたの指一本くらいもらわないと、気が済まないわ。それが禊よ」
そう言われたが、私は動じなかった。
「彼らは、自分の信念のもとに戦い殉職した英雄よ。私のような陳腐な女のせいにして、その尊い死を汚さないで」
ミカンが放り投げてよこしたナイフを、私は空いている助手席のシートに突き立てた。
「……なるほどね。たいしたタマね。ボスは今は私のものよ。手出ししないで」
そうか、この敵意はそういうことか。嫉妬とけん制からくる敵意だ。
「安心して。あなたのボスと今更どうこうなるつもりはないわ」
私は苦笑する。この三年で私の生活は一転したのだ。もう過去のようにはならない。
「自分の現在の恋人を私にあてがうとは、どういう嫌がらせかしら」
あとでボスに向かって、チクリと電話で言ったが、
「はっはっ誤解だ。私を裏切らない女を君に貸しただけだよ。もう一人も気心の知れた後輩だろう。君に貸した人間が二重スパイだと、君の命が危ないからな」
ミカンはカッカしながら私に突っかかって来るし、もう一人のイチジクは全く口を利かなかった。イチジクはかつて組織にいた時にも無口な男だったが、何を考えているのか掴みにくい。
とりあえず、傷口に瘡蓋をつけたような不安定さながら、この3人で決行するしかなかった。
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