第13話 秀頼の逆転勝利 始末 その十三

 先発隊長は兵士の手を借りてその重い身体を押し上げてもらう。ずりっずりっと両手両足を交互に動かし塀をよじ登ると、その姿が唐突に消えた。


「いてっ!」


 ほぼ漆黒の空間が、城内に転がり落ちた隊長を包んでいる。塀に取り付いた時は未だこれほど暗くは無かった。まるで城の中だけ時間が進んでいるようだ。


「誰かおるか?」


 月明かりでも有れば良いのだが。自分の手さえ見えない。これは得体の知れない暗さだ。


「返事をしろ」


 その声は心なしか震えているようにも聞こえる。

 恐る恐る手探りで進む隊長は、やがて階段のようなものに行き当たった。上が微かに明るい。

 だが、


「何だこれは?」


 その階段は途中で板が打ち付けられており、明らかに封印されているのだ。板の隙間から漏れている淡い光を、埃のようなものが横切っている。この板は下から上がって来る者を拒んでいるのか、それとも二階にいる者を閉じ込めているのか。

 隊長はその何枚かの横板を掴むと、思いっきり引き剥がした。

 そして階段の薄暗い上を見るが、なかなか足が上がらない。だがここで引き返す訳にはいかない。そんな事をしたら隊長の名が廃るというものだ。

 意を決したように、そろりそろりと、急な階段を四つ足となって上がって行く口髭の立派な隊長。

 踏板がぎしりっ、ぎしりっ、と音を立ててきしむ。

 階段を上り終わると、その先は狭い踊り場のようなところ。やっとここまで到達した隊長は、ゴクリ、生唾を飲み込むと、顔をにゅっと首だけ床から上に突き出した。  その首をゆっくり回して薄暗い辺りの様子を眺めてみる。

 踊り場の周囲はどう見ても二階の広い板の間。いつの間に室内に入ったのか。仄かに明るいのは、隅に置かれたロウソクの灯りであった。

 だが燭台の側に誰か立って居る。


「なんだ、居たのか。おい、おまえ」

「…………」

「返事をしないか」


 少し安心したのか、隊長は強気になって階段に立ったまま再び声をかける。

 風も無いのに、ロウソクの灯りはその者の影を背景に大きく揺らしている。だが後姿で顔は見えない。刀を腰に差した男のような身なりだったが、


「なあに」


 なんと女の声だ。

 だが、ゆっくり振り向いたその者の顔を見た隊長が叫んだ。


「お、大御所様!」


 そこに家康が立っていたのだ。

 直後、なぜか階段から転がり落ちた隊長は目を回し、上向きのまま股を開いて気を失った。隊長は急に階段が無くなったような感覚に襲われ、バランスを崩して転落したのだった。





「トキ」

「なあに」

「駿府城の方は上手くいっているか」

「勿論よ。でも入れさせないだけではつまらないから、ちょっとイタズラをしてあげたの」

「はあっ?」




 結局駿府城に入る事の出来なかった徳川軍は、野戦の体制を整える。兵員数はほぼ互角の勝負となりそうだ。関東以北の大名は豊臣側と徳川方に勢力が分かれ、上杉景勝殿や伊達政宗殿が他の大名を牽制してくれているようだ。西国の状況も似たようなものであるとの報告が来ていた。

 もはや徳川に全国の大名を従える力は無い。征夷大将軍の威信は何も無かった。


「勝家」

「はっ」

「大砲を全て水平撃ちとせよ」

「分かりました」


 だが互いに睨み合い、動こうとしない。


「勝永」

「はい」

「使者を出せ」


 降伏せよとは言わないが、せめて停戦に望みを託した。徳川軍にも大砲は有るようだが、明らかに数が少ない。対して豊臣軍の大砲はとてつもなく多いうえに、全て水平撃ちの体制である。このまま撃てば大変な死者が出るだろう。

 だが睨み合いは直ぐに終わった。徳川軍は使者の返答として、大砲を撃って来たのだ。


「勝家、撃て!」

「はっ」


 豊臣軍の横一列にびっしりと並んだ大砲が唸り声を上げた。重量五キロから八キロの砲弾が一斉に撃ち出され、土煙を上げて徳川軍の将兵をなぎ倒した。徳川方の大砲のように、放物線を描いて打ち出され、着弾するとその周囲の数人が倒されるのとは訳が違う。水平撃ちの砲弾は横一文字に将兵を全て倒して行くのだ。最初の一斉射撃を浴び、収拾のつかない混乱状態となってしまった徳川軍は明かに戦意を失ってしまっている。


「突撃せよ」


 全軍に突撃命令を出すと、その後は凄まじい殺戮戦となつた。逃げ惑う徳川軍の兵士を、一方的に槍や刀が襲ったのだ。

 

「ここまでだ。追撃を止めろ」


 駿府の城は豊臣軍の手に落ちた。

 翌年、徳川秀忠の元に朝廷より勅使がやって来る事となる。上洛して豊臣との戦を説明せよと、後水尾天皇が詰問して来たのだった。天皇の徳川幕府に対する態度は毅然としたものに変わっていた。

 



「殿」

「どうした」

「秀忠殿が征夷大将軍の職を辞任したようです」

「なに……」


 秀忠は上洛を拒んで、征夷大将軍の職を自ら放棄したのだった。これは非常に大きな出来事だ。徳川幕府は征夷大将軍が開いたものである。秀忠は後任も決めないまま、その官職を自ら辞任してしまったのだ。このままだと徳川幕府は自然消滅という事態になる。別な言い方をすれば、秀忠はやけくそになって政権を投げ出したという事だ。


 やがて当然の結果として、それまで全国に散らばっていた徳川幕府の直轄地は維持出来なくなったり、支配している事が難しくなってしまった。全国の直轄地で近隣の大名達が、その支配権を奪い始めたのだ。幕府の財政は次第に逼迫されてくる。奪われた利権の代表的な例が佐渡だ。当時の日本の金保有量の半分は佐渡から出たと言われ、世界的にも有数の金山だったのだ。その金山からの収入が途絶えている。未だ徳川の天下になったばかりだったから、蓄えもそれほど多くは無かった。従ってその財政の逼迫ぶりはひどいものであった。

 もう戦さとなっても十万人規模の軍は動員出来無いだろう。江戸の石高だけでの試算では、七万人の兵力が限度だ。第一江戸庶民が食べていくのに周辺の石高だけでは賄えないのだから当然だ。

 しかも先の戦さのように、一度大敗してしまうとそのダメージは数年間に渡って続く。一方豊臣家は、何度でも大軍を動員できる財力を有している。なしにしろ紙幣を印刷する権利を行使できるのだ。さらに戦と決まった時に、必要な費用だけの戦時債券を発行することも出来る。紙幣と違い金利が付く。短期の戦時債券だから高金利で庶民には人気が出るだろう。後日に税収などから購入者へ償還すればいい。その仕組みを聞いた宗湛殿はうなってしまった。

 もはや徳川が豊臣を凌駕する事などは、不可能になってしまったのだった。

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