第12話 秀頼の逆転勝利 始末 その十二

 今回の行幸は、秀頼が名実ともに京の支配者になった事を公にしてしまったと言っても良いほどの出来事だ。決定的だったのは、徳川幕府が豊臣家の行幸警護も、名古屋城での饗応にも一切口出しが出来なかった事であった。

 さらに大阪城ではそれを知らしめる状況が続く事になる。


「殿」

「どうした」

「近隣の大名達から年賀の挨拶に伺いたいと連絡がございました」


 上杉景勝殿と伊達政宗殿、島津義弘殿からも、ぜひ会談をしたいとの書状が来ていた。

 実際その年賀には、全国から多くの大名達が大阪城に集まり、徳川幕府の影響力低下を印象付ける結果となった。幕府の顔色ではなく、豊臣家の方を見る者が増えて来ていたのだった。更に上杉や伊達、島津殿だけでなく、多くの大名がおれ秀頼との会談を願い出て来た。


 そこで島津義弘殿には特別な申し込みをしてみた。九州でのキリシタン救済をお願いしたいと。派遣していた織田秀則らの報告で、これは何とかしなくてはと考えていたのだ。義弘殿は当初驚いていたが、協力して頂けるのであれば、豊臣家は島津家を全面的に支援すると伝えた。九州で戦が有れば必ず支援するからと。

 豊臣と徳川の勢力、状況はもう完全に入れ替わって、幕府の禁教令もすでに有名無実となっている。島津家がキリシタンを匿っても、さほど問題は無いだろう。




「殿、佐渡より連絡がございました」


 幕府が佐渡奪還の為五隻の軍船を繰り出して来たと言うものだった。だが港に近づくと、至近距離から大砲の水平撃ちを喰らい、軍船は横腹に風穴を開けられて逃げて行ったと言う。湾岸には、それを見送る者達がいた。新たに創設された無宿者達の部隊であった。

 しかし次に来た報告には、おれの顔も曇ってしまう。


「殿、又飢饉が起きておるようでございます」

「なに」

 

 寛永の大飢饉は江戸時代初期の一六四〇年から一六四三年にかけて起こった飢饉だが、それ以外にも頻繁に起きていた。三年ごとの周期ではないかとも言われる程多かったようです。


「今回も食料を送ろう」

「分かりました」


 江戸時代、百姓らは権利要求の手段として、逃散を行うこともあり、江戸などの都市部へ流入した。その結果、都市部では貧民が多く存在するようになる。

 幸い豊臣の領国に飢饉の害は及んでいなかったが、それだけに農民達の流入は以前にも増して増えて行った。




 この小説「秀頼の逆転勝利」を現代に当てはめてみるとこんな感じになります。

 豊臣秀吉は株式会社豊臣を設立すると、支店の全国展開を急速に進めていた。専務取締役は徳川家康であった。

 だがその秀吉が亡くなると、後には未だ幼い秀頼が残された。ここで秀頼の後見人である家康はクーデターを起こした。会社を乗っ取り、あろう事か秀頼を追い出したのだ。

 しかしその後成長した秀頼も黙ってはいなかった。反撃が始まったのだ。新たな会社を立ち上げると、幸村や神屋宗湛などと、インターネット上で商品やサービスの売買を行うEコマース路線を鮮明にしていった。

 実店舗にこだわった古いタイプの家康とは、真反対の経営方針を選択したのだった。


「世界のBtoC-EC化率は十八%と推計されるが、日本は八%台とはるかに遅れている。これからは全てネットで買い物を済ませる時代が来る」


 そう言う若い秀頼は時代の先を見据えていた。だが家康も苦労人で、叩き上げた経営者としての経歴を持つ。遅ればせながらEC路線の道を模索して動いてはいた。しかしやはり付け焼き刃であった。ECネット部門の責任者に、苦境に陥っていた百貨店の元経営者を据えるなどと、ピントの外れた事をして経営は迷走していった。EC部門の新設は世間の流れに併合しただけで、本気ではなかった。いや理解してはいなかったのだ。

 これでは差が付くのは時間の問題だった。



 そして翌年、おれは徳川方への攻勢を強めるべく、駿府城への進軍を決めた。彦根城の二.五万と名古屋城の二.五万、さらに八万の軍を合わせて十二万の豊臣軍が名古屋城の東に集結する。幸村には又領国の守備を頼んだ。

 駿府城までは七日程の距離である。


 慶長十四年一六〇九年徳川頼宣が五十万石で入封したりして、駿府藩は廃藩と復活を繰り返している。ただし頼宣は幼少の上、家康がなおも幕政を駿府城で執っていたことから、藩主とはいっても実際の権限はなかった。

 元和五年一六一九年、家康没後三年して徳川頼宣は紀伊和歌山藩に移封され、駿府藩は廃藩となった。その後は寛永二年一六二五年徳川忠長が駿河・遠江・甲斐などに五十五万石で封じられ、駿府藩が再び成立している。

 つまり駿府城及び駿府の領国は、家康の没後九年間は政治的空白の期間であった。豊臣軍の駿府城への進軍はその空白の期間を狙った事となる。


「徳川軍とは先に着いた方が城を取り有利になる、早い者勝ちでしょうか?」


 勝永がそう聞いて来た。駿府城は特別堅固な城と言う訳では無い。だから城に入って戦う方が有利だとは限らないが、それでも徳川にとって象徴的な城なのだ。


「勿論そうなるな」

「では一部の隊だけでも急がせます」

「いや、その必要は無い」

「しかし」


 駿府は尾張と江戸との丁度中間あたり。いや、実際には江戸からの方が一日早いだろう。それに近場の大名を先行させて進軍して来る事は十分考えられる。確かに早く城に着ける徳川方の方が有利だ。しかし城には管理をする者達だけで、多くの軍は常駐していないはずだから、徳川方も急ぐに違いない。


「おれに考えがある」


 つまり先に徳川軍が着いても、中に入れさせなければ良いのだ。そして既に城内に居る者達を無力化してしまえばいいではないか。


「そう言う訳だ。トキ、頼むよ」

「わかったわ、任せて」




 しかしやはりと言うか、徳川軍の先発隊がいち早く駿府城に着いたようであった。何しろ家康亡き後、駿府城は徳川にとって聖域の様な城なのだ。豊臣軍に入らせてはならないと、遮二無二駆けつけたんだろう。

 だが、何故か門が開かない。


「駄目です。返事がありません」

「そんな訳は無いだろう。留守居兵がいるはずだ」


 しかし何度城内に大声で呼びかけるも、返事がない。


「よし、誰か塀を上って入ってみろ」

「分かりました」


 結局数人の兵士が塀を乗り越えて中に入った。

 ところが奇妙な事が起こる。いくら待ってもやはり門が開かないのだ。


「何だあの者達は、何をしておるのだ」


 仕方なく又新たに数人の兵士が塀をよじ登って行くが、これもまるで霞みの様に消えてしまう。どうなっているのだと皆苛立つが、どうしようもなかった。勿論指揮官は躍起になって次々と命令を出すが、次第に誰もが不気味に感じ始め、尻込みしてしまう。

 既に夕刻で、辺りは暗くなって来ているのに、城内には明りが灯る気配が無い。


「他に行く者はもう誰も居ないのか!」

「…………」

「大御所様の見守っていらっしゃる城なのだぞ。何をそんなに恐れておるのだ」

「…………」


 遂にここで先発隊長自身の出番となる。


「こう見えても儂の先祖はな、甲賀の出なんだ」

「…………」

「見ておれ、儂の足さばきを」


 部下達の見守る中、口髭を蓄えた小太りの隊長は、塀を睨み付けると蛙のように取り付いた。


「うりゃあ!」

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