第9話 秀頼の逆転勝利 始末 その九

 次はこの大垣城から東に約十キロの加納城を攻める。

 加納藩、加納城の城主は奥平忠隆。五万石だから兵はせいぜい二千程度しか居ないに違い無い。

 進軍先では避難し遅れたらしい農民達を見かける。だが大垣城の攻防でも、城下の町民に被害が出なかった事が伝わっているのか、比較的落ち着いていてパニックになってはいなかった。

 

 加納城の前に着くと、城内から出ていた加納軍と前哨戦になった。勝家隊が攻撃を開始したのだが、加納軍はすぐ敗走し、城内に逃げ込んで城門を閉める。

 そしてすぐ豊臣軍の砲撃が始まり三の丸を攻撃、早くも落ちて二の丸に向かう。

 城内の家老らが木村重成の説得に応じようとするも、発覚して誅殺されてしまう。こうして、城主忠隆は引き続き抵抗し、徹底抗戦の籠城を続けようとする。

 だが負け戦を感じ取ったのか、城兵の逃亡が相次ぐ。最後は秀頼からの、投降すれば全員助命すると伝える使者の説得を受けて、奥平忠隆は降伏し開城した。


 次はいよいよ五十四万石の名古屋城攻略だが、周囲にはまだ支城がいくつか残っている。


「勝永」

「はい」

「他の城は無視するぞ」


 名古屋城を降して大勢が決まればそれでいい。寡兵の城を大軍で囲むのは無駄だからな。打って出て来たら反撃すれば良いだけだ。

 加納城を下した後、五十キロほど南下すると、夕刻になっていたが、そびえたつ天守閣が見えて来る。豊臣軍は四方を囲み、砲撃の体制を敷いた。


「勝永」

「はい」

「降伏するよう使者を出せ」

「はっ」


 だが、その使者はけんもほろろに追い返される。

 そして到着した翌日の未明、辺りの静寂は砲撃の音で破られた。まだ夜が明けぬ前からの砲撃には城兵も驚いただろう。しかも一発や二発ではない。四方から雨あられのごとく砲弾が降り注がれたのだ。

 名古屋城での武器弾薬の補充もやはり完了しておらず、大砲も少ないのか、慌てて反撃しようとしているようだ。だが物量で押している豊臣軍の前ではなんとも頼りないものであった。

 この城でも決め手は至近距離から大砲の水平撃ちで、城兵を動揺させる。

 火縄銃でも間近から撃てば十分威力がある。この時代の大砲は、放物線を描いて鉄の玉を投げるというのんびりしたもの。だがそんな大砲でも、至近距離から水平に撃てば凄まじい威力を発揮するのだ。


 次に明石全登の隊が東門に攻めかかった。敵は死に物狂いの抵抗を続けるが、やはり鉄砲が不足しているようで、反撃の銃弾がまばらだ。そこへ木村重成が駆けつけ、明石全登と共に門を破り、塀を乗り越え三の丸に突入、明石全登、木村重成らの隊は凄まじい死闘を繰り広げた。だが前面の敵を破り進んで行くと、驚いた事に槍も刀も持っていない城兵がいるではないか。その者達は、倒れている兵から槍や刀を取り戦っている。明石全登もこれにはあきれてしまった。


 城の南側でも水平撃ち砲撃を加えると、表門からの反撃が散発的な銃撃となっている。やはり今の徳川方が抱える最大の弱点は、武器が少ない事だ。

 鉄砲、槍、刀とどれも職人の手作りで、オートメーションではない。しかも全国の徳川方軍が皆躍起になって注文しているだろう。どれだけの注文残が工房に積み上がっているかを考えてみればすぐ分かる。当然そんな簡単に出来るものではない。納入が数年後と言われるのは当たり前だ。補充が進んでいない。従ってここは力攻めで行くのが、一番良いのではないか。城兵全員に武器が行き渡っていないのでは、戦にならないだろう。逃亡兵が出るのも無理はない。素手でどう戦えと言うのだ。

 南門の勝永隊と勝家隊が三ノ丸になだれ込み、二の丸から激しく本丸に攻めかかる。徳川義直は必死の防戦をして持ちこたえていたが、本丸内へ矢文が射込まれ、降伏を勧告された。義直は残された城兵の助命をしてもらえるならば開城しようと返答。その後は家臣達を皆退けて腹を切り自決をする、あっぱれな最後であった。




「重成」

「はい」

「これからはその方にこの地の統治を任せる事にする。頼むぞ」

「はっ、承知しました」


 史実で木村重成は秀頼の信頼が厚く、元服すると豊臣家の重臣となり重要な会議などにも出席するようになる。家康でさえ重成の死に臨む武将としての嗜みの深さを誉めたとされる。初陣にして敵の武将を討ち取り、豊臣家に重成ありと世に知らしめ、真田信繁らと共に、豊臣四天王と呼ばれる活躍をした。

 おれはその重成を名古屋城主として指名し、城兵は三万を置き一時帰還する事にした。帰路の途中では、彦根城に勝家とやはり三万の軍を残した。東からの攻勢に備える為だ。


「勝家」

「はい」

「その方は名古屋城の重成殿と連携して東の守りを固めろ」

「分かりました」


 そして次は速水守久を呼び出した。


「守久」

「はっ」

「その方には特別な使命を与えるから、よく聞け」

「はい」


 速水守久、秀吉死後も秀頼に仕え、七手組頭兼検地奉行として活躍。旗本部隊の中核を担った七手組の筆頭となっている。


「名古屋は下したが、平野の北には北陸まで、まだまだ多くの徳川方と思われる大名諸城が連なっている」

「…………」

「私の名前で書状を出すなりして、それらを豊臣の側に付くよう説得しろ」


 さらに北からの侵略が無いか、動向を常に監視をするようにと指示した。難しい使命だったが、守久は分かりましたと頭を下げた。

 戦をせずに豊臣側になるならそれが一番だ。豊臣側に付く経済的利点を提示せよと守久に伝えた。平野を完璧に支配して人口を増やし、経済活動を活発にすれば圧倒的な力が付く。それが分かっていて、わざわざ山奥まで戦をしに行く事は無い。向こうが武器を携え出て来るのなら迎え撃つだけだ。そうでなければほって置けば良い。経済の流れ、時代の流れに乗れない者に関わる必要はない。いずれ勢力図は大きく変わるはず。その時既に豊臣は、天下に並ぶ者の無い巨人となっている。この新しい経済戦に耐え抜いた者が、最後の勝利者となるのだ。



 豊臣領内に帰ると、幸村が笑顔で出迎えに出る。結局西からの攻勢は無かったらしい。

 兵を率いて来た徳川方と思われる大名も有ったのだが、幸村の指揮する大軍を目にして、戦わず引いて行ったようだ。

 そして翌年、


「幸村」

「はい」

「今度は佐渡だ」

「…………」


 次の攻略先を佐渡と決めた。勿論目的は佐渡の金山を手に入れる為だ。徳川に独占されているからな。その佐渡を攻める。文字通り金脈は領国経営の要なのだ。


「幸村」

「はい」

「宗湛殿をお呼びしろ」

「分かりました」


 宗湛殿には、日本海側にできる大きな船を回航してもらえないかと尋ねた。豊臣軍を佐渡まで輸送したいと。


「それはたしかに大きな船が要りますね」

「舞鶴の港から佐渡に軍を渡らせたいのだ。必要なら造ってくれ。一隻で二百人は運びたい」

「分かりました。なければ造ってでも、博多から舞鶴まで回航するように致します」


 流石は宗湛殿だ。舞鶴の港は大阪から北に向かって百二十キロくらいで、軍は四日ほどで行けるだろう。

 一隻で二百人なら五隻で千人だ。二往復で二千人運べる。徳川幕府が気づく前に佐渡を占領してしまいたい。佐渡奉行の配下は組頭、同心、与力など三百人ほどだと言う。もちろん当初渡る豊臣軍千人で、十分占領出来ると思われる。


 しかしその後、博多に居る宗湛殿から連絡があり、自身の持ち船は一隻であるが、オランダ二隻、イギリスとスペインから一隻づつ買い取りの交渉中であるとの事だった。契約が出来れば、合計五隻が確保できそうだと言う内容だ。ただそれでも一隻当たりの運べる人数は、百五十人が限度だろうと言って来た。

 百五十人なら五隻で七百五十人だ。初動で三百人の奉行所は制圧出来るだろう。二往復すれば千五百人だから、それで佐渡国を維持する。



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