第7話 秀頼の逆転勝利 始末 その七

 千六百年代初頭、大阪夏の陣が戦われた頃、大阪の人口は約三十万人程度だろうと思われます。そこに十万とか二十万人とかの軍がやって来て激突したんだから、天地がひっくり返ったような凄まじい状況だったんでしょう。

 だから戦が終わっても、浪人達が仮に十万人なんて居残っていたら、三十万のところに十万人の浪人ですからね、それはもう目立って仕方がない。

 ところがその浪人達が近畿各地の城に去ったかと思えば、今度は豊臣の領地を目指してキリシタンや農民が押し寄せて来た。その全てが大阪に来た訳では無いが、それでも騒然とした雰囲気は一向に変わらなかった。

 豊臣の領内ではキリシタンを保護している。仏教徒もキリシタンも差別をしていなかった。だから徳川幕府の弾圧を受けたキリシタンは、次々と豊臣領内を目指して来ることになり、近畿一帯の人口はどんどん膨らんでいった。まあ言葉を変えれば賑わって来たという事か。

 関ヶ原の戦いが起こった頃には三十万人程のキリシタン、それが大坂夏の陣が起こった十五年後には、既に六十万にも増えていたと言われている。古い時代の話ですから、正確な数はもちろんハッキリとはしていないようです。それでも大阪の人口が約三十万と考えられる時代だから、流入するキリシタンの数はとんでもない比率となっていた。ただキリシタンという言葉は、江戸時代以降の当て字であったようで『切死丹』の文字を見れば、確かに侮蔑の意味が込められ、蔑称として使われてきたようです。もちろん今ではそのような意味合いでは無く、一般的な用語として使っています。





「殿」

「んっ」

「お呼びでしたでしょうか」

「幸村、今度は冷害や病害にも強いコシヒカリの種籾(たねもみ)を購入して、農民達に渡す事にするぞ」

「…………」


 幸村が今度は何を言い出したのかと、おれを見つめている。次々と新しい言葉を聞いて、なかなか慣れる事がないようだ。

 おれは豊臣領内の人口爆発に対処する為には、コメの増産がどうしても欠かせない事業だと、それを幸村に言って聞かせた。


「豊臣の領地はこれからもどんどん領民が増えるぞ」

「…………」





 そしてコシヒカリの苗も順調に伸びている季節になった。


「殿」

「なんだ」

「殿の仰っていた神屋宗湛という者が見つかり、呼んで参りました」

「そうか!」


 神屋宗湛は戦国時代から江戸時代前期にかけての博多商人であり茶人であった。





「神屋宗湛で御座います」


 おれの前で頭を深く下げた宗湛は、この時点で既に齢七十近くになっている。穏やかな物腰ではあるが、その眼光には鋭いものがあった。


「宗湛殿、私は秀頼と申します」

「…………」

「実は宗湛殿には父秀吉同様、商いのご指導をお願い致したく、こうしてお越し頂きました」


 宗湛は目を細めて、


「確かに、秀吉様には大変お世話になりました。こうして立派になられた秀頼様ともお目にかかることが出来て、もう何も申し上げる事が御座いません」


 宗湛はまた深々と頭を下げた。


 神屋宗湛、信長死後に天下人となった秀吉に謁見した時は、居並ぶ堺や大和の豪商らの中で最上席に座った。秀吉に気に入られて以後は、特権を与えられ商人として栄華を極めた。ところがその後に天下人となった徳川家康からは冷遇されていたようだ。


「今回お越しいただいた趣旨ですが、実は総合商社を設立して、海外との交易を盛んにしたいと考えているのです」

「…………」

「その為、宗湛殿のお力をお借りできればと」


 宗湛の目は総合商社という言葉を聞いて光った。


「その総合商社とはどのようなものなのでしょうか?」


 おれも実務経験がある訳ではなく、これはあくまで聞きかじりだ。それでも知っている限りの知識を伝えた。


「分かりました。商いには違いがなさそうです。やってみましょう」

「おおっ、それは助かります。ではよろしくお願いします」


 こうして神屋宗湛は、おれの目指す総合商社の設立に努力してくれる事となった。その後は何ら衰えを見せず精力的に動き、史実でも八十四歳までの長寿となっている。



 今はなりを潜めている徳川幕府も、状況が落ち着いたらいずれ攻勢に出て来るだろう。豊臣家を潰しにかかるに違いない。その時までに力を蓄えておく必要が有るのだ。力とは財力、情報力、そして武力だ。この三つを制する者が次の日本の為政者となる事は間違いない。

 徳川家は佐渡の金山を手中に収め、最近では世界でも有数な、とんでもない埋蔵量の金脈が見つかったようだ。秀吉に仕えていた上杉景勝は秀吉から佐渡の支配を任されていた。秀吉の強さのひとつには、佐渡の金山があった。10万人規模の兵を動かそうと考えると、土地からあがる年貢だけでは足りなかったのだ。

 だが豊臣家も秀吉が残した黄金をいつまでもあてにしている訳にはいかない。

 豊臣が徳川に対抗するにはまず財力を一番に蓄える必要がある。それは大阪城の地下に眠る黄金では無いのだ。豊臣領内での作物の生産、商業の繁栄がもたらす財力だ。溢れるほどの人口と、商人の流通を守る事。さらに豊富な黄金に裏打ちされている、豊臣家が発行した紙幣の流通網を確立する事だ。

 おれは神屋宗湛を豊臣銀行の初代総裁とする事にした。





「幸村」

「はい」

「これまで半分は米で払ってきた家臣達の家禄を、全て紙幣とするぞ」

「えっ、では米は」

「米は紙幣で必要なだけ買えばいいではないか」


 農民は生産された米を自由に市場で売って良い事になっていたのだが、そこも変えた。農民達の裁量ではなく、生産された米は一旦全て市場に出す。受け取った紙幣から豊臣家には年貢の代わりの税金を払う事とする。すべては紙幣の流通を促すためだ。

 紙幣が流通し始めた当初は、金と交換しようとする商人達がどうしても居た。やはり紙幣は唯の紙ではないかと、心配だったのだ。だがあらゆる支払いは全て紙幣と決められている。結局紙幣を使わざるを得ず、やがて金と交換しようとする者など居なくなっていった。



 そしてコシヒカリの収穫時期になった。


「殿、農民達の代表がお目に掛かりたいと、参っております」

「よし、会おう」


 だが農民達の話を聞くまでも無い、稲穂が豊かにこうべを垂れているのは、領内何処でもはっきり分かるからだ。もちろん結果は大豊作となり、領内は笑顔が溢れていた。

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