第3話 秀頼の逆転勝利 始末 その三
畿内とその周辺の城を攻略し終えたおれ秀頼は、御所と京の都を守る為、兵士の詰所を聚楽第跡地に建てさせてほしいと朝廷に願い出た。京都の治安維持を担当したいと。
徳川方が引き上げてから京都を抑えるべく、あっという間に畿内周辺を支配下に治めてしまった秀頼の豊臣家は、石高で言えば二百万石近くになったのではないか。その石高から一般に割り出されて動員できる兵員数は五万人だが、豊臣家の豊富な財力を考慮すればもっと多いだろう。大阪夏の陣前には六十五万石だったから、約三倍になった計算だ。もう大大名と言っていいだろう。十分京の警護を申し出る実力はある。この頃既に大坂城下は浪人達が他の城に移り静かになってはいたが。
幸村が聞いて来た。
「うまくいくでしょうか」
「いくもいかぬも無い。やらねばならないのだ」
幕府とは将軍の任命を受けた者が、いわば朝廷の為に活動する事を目的に設けた役所である。将軍の任命を受けていない秀頼が幕府を開く事は出来ない。いかに豊臣が徳川軍を打ち破ったとはいえ、まだ徳川幕府は健在だ。いきなり新たな幕府を願い出ても難しいだろう。ここは少しづつ既成事実を積み上げていく。
建物の建築許可を願い出ているだけなのだが、これが許されれば、自動的に朝廷の警護をするという任命を受けたと解釈する。こちらがそう解釈するのである。実際朝廷の権威というものは、時の権力者次第で度々揺れ動いて来たものだ。建て増しを続ける詰所は、やがて役所となるだろう。それは豊臣が再び徳川と全面対決する時だ。
幸い豊臣家は関白を二人出している。さらに好都合な事に、秀頼の居城大阪城は御所に近い。遠く離れた江戸とは違いいろいろと都合がいいのだ。この好条件を生かさぬ手はない。
この年、夏の陣から約一年後家康はついに亡くなった。
「家康殿が亡くなりました」
「そのようだな」
幸村がおれの顔をじっと見ている。
「幸村」
「はい」
「弔問の使者を送れ」
「分かりました」
しかし幕府はその後も、あらゆる手段を動員して秀頼や淀君たちに圧迫を加え続けた。そして宮中でもまた、後水尾天皇も徳川幕府の圧迫政策に苦悩していた。
後水尾天皇の即位は、皇位継承も幕府の意のままにしたい家康により擁立された経緯がある。関ケ原の役で勝利を治め、朝廷に対する政治工作も着実に進めていたのだ。
さらに、後継者である徳川秀忠の娘・和子を入内させるべく朝廷と交渉していく。しかし大坂の陣や家康の死去などが続いたため延期されている。
「秀忠殿も今は亡き家康殿の意をくんで、このまま入内させようとするでしょう」
幸村はそう言うと、おれの顔をじっと見ている。
重ねて聞いて来た。
「秀頼様はどうなさるおつもりですか?」
「さあ、どうするかな。敢えて反対する事もないだろう」
「…………」
おれはこの先秀忠と朝廷の軋轢が激しくなっていくのを知っている。高みの見物だ。家康に代わって、いやそれ以上に秀忠は朝廷にとって憎々しい者となるのだ。
徳川秀忠は大御所が亡くなると、朝廷に対して何故か家康以上に苛烈な対応をしていったようです。
この時代の天皇家や公家たちの生活は窮乏を極めていたらしい。京都の政治勢力が肥大化して徳川家の脅威とならないよう、家康の意をくんだ家臣達も周到な策を弄していたからだ。だが幕府としても、真向から天皇と事を構えるのは良策ではない。幕府から朝廷へ御料が増加されても雀の涙ほどなどと、じわりじわりと兵糧から攻めていく。
天皇家からすれば徳川家は一家臣に過ぎない。そのさらに家臣からも軽く見られているような現状は、後水尾天皇の胸中決して穏やかではなかっただろう。
あの有名な禁中並公家諸法度が公布されるのは豊臣氏滅亡の二か月後だから、それまで家康はまだ大っぴらに態度を表明してはいなかった。それでも天皇は情勢の変化、幕府の意向を感じ取っていただろう。
この諸法度公布から幕府は宮中に対する干渉を更に強め、官位の叙任権や元号の改元も幕府が握る事となっていく。もともと禁中並公家諸法度、当初は公家諸法度、この法度の正式制定に先立ち、幕府は朝廷への干渉を強めていたからだ。
これらの状況から、後水尾天皇は徳川幕府に対抗する豊臣家、この新たな意味合いを必ず理解するだろう。そうなれば天皇の協力も仰げチャンスも生まれる。
だが……
「八条宮智仁親王を弟子としていた、細川藤孝のような者が豊臣側にもおればいいのだがな」
「…………」
おれのつぶやきに幸村は下を向いた。細川藤孝は和歌、茶道、蹴鞠などに対する造詣も深く、文武両道の人物でもあり、その教養は公家の中にさえ藤孝に及ぶ者はいなかったという。
特に和歌に関しては、田辺城の戦いで城を枕に討死という時に、朝廷から「古今和歌集の解釈を伝える人間が居なくなっては困る。攻撃側は直ちに攻撃を中止して、幽斎は城を明け渡しなさい」という勅使が来訪したという。
朝廷に対して、そのような影響力を持つ仲介者が居ると居ないとでは、この先の展開がまったく違ってくるだろう。現代人のおれにとっても、この時代のお公家さんは、まるで宇宙人ではないか。
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