夢が無くなった世界で

抹茶ラテ

第0話 Essシステムとナノマシン

 Essエスシステム(Enhanced強化 Shared共有 Support支援 System)が世界中で使われるようになった時代。


 エスシステムと同期したナノマシンに体を委ねることで人は誰にでも何者にもなれるようになった。エスシステムを内蔵したデバイスさえ装着すれば、全くの他人になることが出来る。性別、学歴なんてものは一切関係がない。ただ装着するだけで、人は誰かに変身出来る様になった。


 エスシステムが普及しただけではなく、机上の空論だと信じられていたナノマシンも開発が進み、ナノマシンはいまや日常になくてはならないものになった。


 ナノマシンは空気中に散布され、今やだれもが体内にナノマシンを飼っている。当初の機能としては、体内に潜む病原体の早期解決を目的としていた。しかし、ナノマシン自身が進化を遂げられるようになった結果、人体が傷ついたり、他人に危害を加えたりすると、体内のナノマシンが反応し、人体の動きを制御する出来る様になった。ナノマシンは人の手を離れ独自に進化するようになったのだ。


 さらには、エスシステムとナノマシン、この二つの存在によってすべての国は一つの国へ合併され、差別や移民問題も解決された。世界から遺恨が消え、皆が同じ環境、同じ条件で生きていく事が出来る様になった。


 人は約10年で世界平和だけでなく、平等で公平な世界を手に入れた。誰かが傷つくことも、法律を破ることもない。誰もが誰かを思いやり、優しさを持って接することが出来る世界がついに実現したのだ。


 「誰かが出来ることは誰もが出来ること」


 この言葉が世界の当たり前へと変化した結果、人に求められるようになったのは、天寿を全うすることだけ。世界平和を実現した世界では働く必要はない。ナノマシンによって、法律を順守するようになれば、お金に意味は無くなるからだ。むしろ、お金という存在は世界平和を乱すもの。そうなれば、この世界でお金の存在意義はない。


 労働だってそうだ。労働は対価があって初めて成り立つもの。この世界では対価を払う必要はない。食料は国から支給され、何か欲しいものがあれば国から支給してもらえる。当然のことだが、人は対価が無ければわざわざ働こうとはしない。世界からお金と労働という言葉が消えていくのは時間の問題だった。


 人はまさに理想郷とも呼べる世界を手に入れた。人に求められるようになったのはただ一つ、天寿を全うすること。そして、人が考える必要があることはただ一つ。天寿を全うするまで、何をして退屈な時間を紛らわせるかについて考えることだった。


 だが、結局人はうまく時間を使う事は出来なかった。突然、到底使いきれないような時間を渡されても、人はただ困惑するだけだ。


 寿命よりも早く死ぬことはナノマシンによって許されていない。否が応でも人は時間と向き合わなければならなかった。そしてその結果、人は精神を疲弊させていった。ナノマシンで治すことが出来るのは、肉体的な損傷だけ。精神的に疲弊していく人々は段々と増えていき、国としても時間を消費することが出来るサービスを提供せざるを得なかった。


 そうして提供されたサービスがプロシステムとアマチュアシステムと呼ばれるものだ。


 エスシステムにより、人は誰にでもなれる。国はその性質を利用して、特定の職業に就くプロと、不特定の職業に就き、タスクと呼ばれる雑務を行うアマチュアと呼ばれるサービスの配信を行った。


 このサービスを行う事で人が得られる対価は時間の消費。別にしてもしなくても生活に何も変わりはない。ただ時間を消費することが出来るだけ。一見デメリットしかないこのサービスだが、たった一つのメリットである『時間を消費できる』この利点だけが人を救った。

 

 人の生きる目的が時間の消費へと変化すると、人は夢という言葉を使わなくなった。いや、死語となったといった方が正しいだろう。


 エスシステムさえあれば、だれであってもどんな夢だって叶えることが出来る。夢というのは叶わないから夢なのだ。人類すべての夢がかなってしまえばそれは夢ではない。夢ではなくただの現実。叶ってしまえば夢は現実になる。そんな現実では夢なんて存在するはずがない。皮肉にも世界が現実的になればなるほど夢は遠ざかっていった。


 人は現実を手に入れるために夢を捨てた。理想郷の前では夢なんてなくても生きていける。むしろ、夢は現実を蝕む悪夢のようなもの。人は理想に生きるのではなく、現実に生き、現実のまま死んでいく。これがこの世界の当たり前。誰もこの生き方を疑う事はないし、否定することもない。これが今の世界の現状だった。

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