藺相如と愉快な仲間

Tempp @ぷかぷか

第1話 和氏の璧

 韓非かんぴ先生がまたぐだぐだ言ってる。

 先生はかんの公子だし本当はきちっとした人なんだが、たまーに全然だめな人間になる。今日もそうだ。父君である桓恵かんけい王に法家の思想について進言したがてんでだめだったそうだ。

 今は部屋でグチグチ言いながら飲んでいる。


 先生はなぁ。言ってることはすげぇんだよ、多分。若いころは荀子じゅんしっていう偉い先生のところに弟子入りしててな、そこでいい論文をたくさん書いたって聞いたんだ。ちょっと見せてもらったけど、先生の書く御本はまるで渓流が流れてるみたいに頭の中にすらすら入ってくるんだ。

 でもなぁ。吃音っていうのかな。口を開くとうまく喋れなくて、兄弟の公子にも馬鹿にされてた。今は弁士ってのが幅をきかせてるからなぁ。先生みたいにうまく喋れないのはだめかもしれない。

 でも俺はこんな変な先生が好きだからさ、今日も愚痴につきあってるんだ。


「なあお前、こんな話知ってるか。」


 ああまた先生の愚痴が始まった。


「『和氏の璧かしのへき』って知ってるだろ。」

「ああ、先のちょう王がしん昭襄王しょうじょうおうに15の都市引き換えによこせって強請られたすげぇ宝玉っすね」

「そうだ、藺相如りんしょうじょの完璧帰趙というやつだな。実はその璧はだな」


◇◇◇


 楚山そざんから泣き声が響き渡るという噂が流れた。

 文王ぶんおうは即位したばかりで、その噂をいたく気に病んでいた。その声はまるでこの世が終わったかのように、長く寂しく尾を引いて聞こえたらしい。その泣き声は即位後の3日3晩の間響き続けていたというから、まるで文王の即位が天意に反するように思われかねないものだった。

 文王は諸国平定の野望を抱いていた。だからこのわけのわからぬ不吉な泣き声をそのままにしておくわけにはいかなかったのだ。


 文王は配下に速やかな調査を命じると、原因はすぐにわかった。

 その泣き声の主は卞和べんかという老人であり、声が枯れ果てた後も楚山の麓で無音の叫びを上げ続けていたらしい。その老人はかつて2回足切りの刑に処された者であることもわかった。

 先代の武王ぶおうと先々代の厲王れいおうを謀った罪で、それぞれの左右の足を切断されたということだ。なんだ、罪人の恨み言か。文王はそう思った。

 しかし解せぬことがあった。最初に左足を切断したのは先々代の王の時だ。もうかなり昔の時分だ。なぜいまさら泣くのだ。しかも私が即位した時に当てつけのように。


 だから文王は使者を送った。文王と関係ないのであればそれを明らかにする必要がある。そうでなければ人心は収まらぬ。


「足切りの刑を受ける者は多い。王を謀ったとあれば重罪だ。足切りですんだのは僥倖ではないのだろうか。何故泣くのだ」

「王様、私は楚山で宝を見つけました。それは素晴らしい玉なのです。原石ですが私にはわかります。先々代と先代の王様の即位を喜ばしいと思ってこの玉を捧げました。けれどもこれは玉ではなくただの石だと言われまいした。私はただ即位を祝いたいと思っただけですのに」

「そうであるか。だがそれは過去のことであろう。何故今泣くのだ」

「王様、私のこの石は磨かれていないだけで本当に素晴らしい玉なのです。私はこの玉を王様に捧げたいと思っています。でも王様にも信じてもらえないでしょう。だから私はこの玉を抱いて泣くしかないのです」


 文王はため息をついた。

 記録を調べたら、過去の2王とも名のある職人に確認させたという。その結果はただの石。つまり、卞和は狂人だ。職人が確認して石と判断した。そうであるならばやはり玉ではなく石なのだろう。職人でもない卞和が玉なのか石なのかわかるはずがない。

 そう側近に相談したが意外な声が帰ってきた。


「それであれば職人に磨かせればよいでしょう」

「石をか?」

「石であっても、です」

「無駄ではないか」

「職人に払う費用がいかほどかかるというのですか。それならば明らかにしてしまったほうがその卞和とやらも納得するでしょう。悪しき噂を払拭することこそが王に必要なことです。万一本当に宝であったら、それこそ儲けもの。美談にもなるでしょうな」

「なるほどな。それも1つか」


 そこで文王は早速その石を磨かせた。

 するとなんと、磨くがごとにじわりと光が湧き出、見事な璧が現れた。

 文王は即座に卞和のもとを訪れ、頭を下げた。卞和は喜んでこの璧を文王に捧げ、文王はこの素晴らしい璧に『和氏の璧』という名をつけたという。


◇◇◇


「という話をわしは以前聞いたことがあってな」

「はぁ」

「まあつまりはさ。結局は15もの都市と引き換えになるような立派な璧でも認められるのは大変なんだよ、俺の法術の話なんて両足切られたって認められねぇさ、おい聞いてるかお前」


 ちゃんと聞いてますよ。だから俺は先生の猪口に徳利を傾ける。先生はうむうむと髭をなでつける。なんかもう目がすわってきてるな。


「でな、国を治めるには法が一番なんだよ、今の縁故で親類貴族が好き勝手してるのを取り締まってさ、法で一元化してチャーっと国を纏めるのが一番なんだよ。でもなぁ。下手に進言しちゃうとさ、和氏みたいに足ちょん切られちゃうのよ。貴族の利権なくなっちゃうからな。桓恵王は父だから進言できるんだけどさ、結局ダメなんだねぇ」

「駄目ですか」

「駄目だねぇ。やっぱ利権があるからなぁ。そもそも法家ってのはどこでもうまくいかないんだよ。法家の呉起ごきは進言して却下されて八裂き、商鞅しょうおうは進言して入れられて車裂き。こんなだからだから中華統一をする覇王は現れないんだよ。もっとシステマティックにやらないとさ」

「大変なんですね」

「まぁ、璧争うよりどっかで俺の法術を認めてくんないかな」


 そういって先生は酔いつぶれた。あーあ、御本はいいの書くんだけどな。


 でもまぁ法家ってのはそんな定めなのかね。

 先生の書いた韓非子かんぴしっていう本は秦王せいの目に止まって是非にと請われた。先生は喜び勇んで秦に言ったけど、結局投獄されて服毒させられたらしい。

 でも秦王政は先生の思想の通りシステマティックに富国強兵して中華を統一して始皇帝になったから、本望なのかな?

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