第11話 七圏

 シグルドが衝立から騎体を退いたのは半ば無意識だった。眼前の鋼板が打ち、音を立てて揺れる。それは耳を弄するほど鳴り続け、不意に止んだ。シグルドが耳を欹てる。歪んだ衝立に白煙が立ち上り、気づけば鋼板の温度がが急激に上昇している。


「逃げろ」


 クラウンの声に煽られるようにシグルドは騎体を回した。散在する展示物の間を抜けて通路に連なる幅のある間隙に出る。同時に、周囲の区画から衝立に向かって荷役の板金鬼ゴブリンが殺到した。思わず身構えるシグルドにクラウンが背中から叫ぶ。


「構うな」


 わかっている。喉元で叫んでシグルドは重甲冑を駆った。板金鬼ゴブリンの軌道は明らかに黒い巨人の衝立だ。シグルドが補眼を回して目を遣るや、その衝立が弾け飛んだ。爆風に煽られたクラウンが騎体にしがみつき、幾つかの補眼が塞がれて暗くなる。


 衝立の中に充満した白煙が吸い出されるように流れ出す。クラウンが装甲を叩いてシグルドを急かした。言われなくても距離を取る。子供じみた言い訳を堪えて、シグルドは殺到する板金鬼ゴブリンを躱して駆け出した。もっとも、進路妨害に気遣うほどの数だ。


 白煙から離れ、シグルドは衝立の陰に騎体を滑り込ませた。

「何が起きてる」

 腕の補眼を突き出し後方を窺いながらクラウンに問う。黒い人型が垣間見えた。


「面倒くさい兵隊が起きた」

「全然、意味がわからない」

 返すシグルドにクラウンは唸って、吐息と一緒に口調を変えた。


「あれは戦闘用だ。感染予防の効いた自立型だ。ここの連中がみな壊れているなら、あの頑丈な奴が壊れたのは、きっと頭の中だろう。敵性排除が優先行動オーダーだから見境なく人を殺すし、見境なく邪魔ものを壊す。おまえと一緒だ。わかったか?」


 白煙の纏わり付く影に板金鬼ゴブリンが突っ込んだ。煙に何かが閃いたかと思うと機獣は転げて綺麗に割れた。走る勢いそのままに、赤熱して溶けた二つの破片が転がって行く。ぬっと白煙に突き出した漆黒のタレットが、しきりに辺りを見回している。


 黒い巨人は二人を捜している。あるいは炉心殻なしに動くクラウンを。確証はないがシグルドは怖気で感じた。なおも板金鬼ゴブリンたちは巨人を取り囲む。だが取り付いた板金鬼ゴブリンは造作もなく剥がされ、蹴られ、引き千切られた。仲間と認識していない。


 細い神経線を構えた板金鬼ゴブリンが中にいた。巨人の頸筋に剥き出した制御盤を狙っているようだ。クラウンの言う壊れた制御術式オーダーキャストを上書きする気だろうか。だが、いかんせん戦力に差があり過ぎる。板金鬼ゴブリンでは黒い巨人の障害にさえならない。


 巨人は身悶えるように歩みを進めた。見えない刃物に切り捨てられた板金鬼ゴブリンの破片が幾つも転がっている。蹴られ、跳ね飛ばされた破片が宙を飛び、身を潜めたシグルドの間近に落ちた。目の前の床を滑って、火花を散らしながら行き過ぎる。


「ほら、さっさと逃げろ」

 声を殺してクラウンが囁いた。

「おまえがあんな風になったら俺が困るんだ」


 クラウンはまるでシグルドが先の説明を気に病むと知っているような口振りだ。

「でも、どこへ」

 あれから逃げられると思うのか。シグルドは咄嗟に弱音を飲み込んだ。


「どこへなりと。あいつが押さえ込まれるまで逃げ切れば勝ちだ」

 まるで落ち葉のように蹴散らされて行く板金鬼ゴブリンを遠目にシグルドは呻いた。

「あまり期待できそうにないな」


「そのうち権限者が本腰を入れる。何なら部屋ごと閉じ込めるさ」

 そう口にしてからクラウンは気づいて、後背の補眼に向かって頭を掻いた。

「だから、早くここを出よう」


 シグルドが飛び出した。いくら広いとはいえ、巨人と閉じ込められるのは御免だ。


 長く突き抜けた通路に飛び込み、シグルドは両脚の圧搾機を使って跳ねるように重甲冑を駆った。先には直上の視線を遮るようにコンテナが点々と停まっている。しかも通路の先の荷置場からは、板金鬼ゴブリンの増援が引っ切りなしに走り込んで来た。


「うわ、見つかった。こっちに来るぞ」


 クラウンの悲鳴と同時に、シグルドの背中に怖気が走った。壁、天井を何かが走り抜け、赤熱する細い溝を刻んだ。目に見えない火箸が重甲冑すぐ傍の路面を一直線に削り上げている。後背の映写盤には板金鬼ゴブリンを振り払う巨人が覗いていた。


 見えない射線が辛うじて逸れたのはそのせいだろうか。


 笛のような音を立て、機獣の破片が風を切って飛んだ。踏み砕かれ、床に跳ね散る鉄の音が聞こえた。纏わりついた板金鬼ゴブリンたちが、無意識に黒い巨人の狙いを妨げ、足留めしている。今はまだ。そう長くは持ちそうにない。それだけは明らかだ。


 導力管が接地で自重を打ち上げ騎体は宙を跳ねる。距離は稼げるが回避は運任せだ。蓄動器の液柱計も穴が開いたように減って行く。だが回復を待つ余裕はない。格闘用の蓄動器は片肺だ。巡行動力だけでは、逃げることも戦うこともままならない。


 不意に研削盤のような金属音がシグルドの背後に軋り上げた。


「ずるいな、あれ」


 呆れたようなクラウンの声に後背の映写盤を覗き見れば、黒い巨人は拍車のような両足の車輪に火花を上げている。交差する板金鬼ゴブリンを無造作に撥ね散らしながら、まるで氷上のように路面を滑る。通路の残りを僅かに残し、距離が詰まって行く。


「避けろ」


 クラウンの声にシグルドは無意識に騎体をずらした。通路の壁を擦り上げ、転がるようにコンテナを越える。それは傍らで吹き飛んだ。飛び散る鋼板を掻い潜り、白煙を盾に走る。見えない射線がシグルドを追い、壁面に赤熱の溝を点々と抉った。


 通路の外だ。だが、騎体が荷揚場に飛び出すなりコンテナの列が左右から圧し迫る。咄嗟にシグルドは天板に飛び乗りコンテナを踏み渡った。間に合わせの防護壁だ。先まで行って転がり込み、巨人の眼から身を隠す。つい鼻先に昇降口が見えた。


「クラウン」

 コンテナの影に身を屈め、シグルドは堪らず名を呼んだ。突然の動作に気遣う暇がなかった。落ちてはいないか。撃たれてはいないか。後背の映写盤を覗き込む。


「駄目だ」

 クラウンの呻き声に血の気が失せた。

「吐きそう」


 詰めていた喉に息を通してシグルドが唸る。

「汚したら捨てるぞ」

 クラウンは口許を押さえながら補眼に手を振ると、シグルドに昇降口を指さした。


「下に?」


 板金鬼ゴブリン優先行動オーダーがまだ有効なら、ここでも「生きた」人の移送が優先されるはずだ。階層間の保護順位を想像するに、暴走する黒い巨人を下層に下ろすとも思えない。上手く立ち回ることができれば、追跡を逃れることもできるだろう。


 昇降盤がまだ動いているなら、少なくとも生身のクラウンは移送対象になる。

「ほら、言ってるうちに迎えが来たぞ」

 クラウンが目の前に降下した昇降盤を指して言う。だが、シグルドは目を剥いた。


 防護柵の向こうに犇めいていたのは、板金鬼ゴブリン蛮鬼長オークだ。奥には屑巨人トロルも身を屈めている。広い昇降盤の上に、隙間がないほど機獣が詰め込まれていた。血の気の引いたシグルドの背中で、クラウンも呆然と口を開け、はっと我に返って騎体を叩く。


「退けシグルド降車が先だ。マナーを守れ」


 混乱してわけのわからないことを言う。シグルドが昇降口の脇に駆け込むと同時に、背後のコンテナが破裂した。爆風で鋼板が跳ね上がり、破片が榴弾のように降り注ぐ。防護柵が開き切り、我先に飛び出した機獣が白煙の中に突っ込んで行った。


 まるで猟兵の共同作戦を見るような錯覚に襲われ、シグルドは慌てて首を振った。

「ほら、今のうちに行くぞ」

 クラウンが装甲を叩いてシグルドを急かす。


 渦巻く白煙の中では戦闘、あるいは虐殺が始まっていた。霞に閃く射線が薙いで、辺りに溶けた鉄片と破壊の音が降り注いだ。昇降口は開いたままだった。裸の板金鬼ゴブリンが一機、柵の手前に佇んでいる。それは二人が前を通っても動こうとしない。


 見れば、板金鬼ゴブリンは昇降機に架線されている。間に神経線が繋がっていた。不意にクラウンが背中を滑り降り、接続された板金鬼ゴブリンに無防備に近づいて行く。

「おい」


 黒い巨人に麻痺しているが、板金鬼ゴブリンといえど生身のクラウンには脅威だ。だが、それを気にした風もなく、クラウンは板金鬼ゴブリンをあちこち覗き込んでいる。

「鍵だな。あの黒いのに施設を制御させないようにかも」

 

「そんなもの簡単に壊せるだろう」

「下手に壊すと動かなくなるかもな。さて優先行動オーダーとどちらが強いか」

 クラウンが板金鬼ゴブリンを睨んで頭を掻く。


「とりあえず中に入れ。こいつをどうにか、うわ、来るぞ」


 言葉の途中でクラウンが声を上げた。その警告は映写盤の影に直結した。シグルドは咄嗟に跳んで腕の鉤綱を撃つ。突き出た腕に鉤が弾かれ、鋼索が宙に弧を描いた。目の前に黒い影がよろめき出た。頭部のタレットが激しく揺れている。


 白煙から踏み出した黒い巨人は、あちこちが歪み剥がれ落ちていた。あれだけの機獣を瞬く間に殲滅したとはいえ、同族相手にまったく無傷ともいかなかったようだ。ただし機能不全にはまだ程遠い。戦力差は絶望的だ。シグルドは呼吸を整えた。


「昇降機の中にいろ」


 クラウンに言い捨て、シグルドは巨人に対峙した。避けるのを見越して腕を薙ぐ。巻かずに置いた鋼索がしなって巨人に折れる。鉤が頭のタレットに降った。無造作に払われ火花と弾けたが、シグルドは懐に入り込む。右腕の圧搾槍を打ち込んだ。


 巨人は人のように身体を捻って身を躱しす。槍先は胸板を削っただけだ。振り下ろされた腕がシグルドの肩を打った。装甲具が撓んで落ち、露わになった関節が悲鳴を上げる。残した軸脚で強引に騎体を回し、巨人の身体に足をぶつけて跳ね飛んだ。


 黒い巨人がシグルドに迫る。クラウンの姿を追う余裕はなかった。


 シグルドは左腕を突き出した。圧搾槍を警戒した巨人が半身を捻って躱す。腕を重甲冑の肘に叩き下ろした。まるで人のような癖のある動作だ。シグルドが笑う。左の圧搾槍は、とうに壊れて動かない。腕で隠した腰の鈎を間近で巨人に撃ち込んだ。


 鉤が剥き出しの導力管を噛んだ。肘を壊すか、身を引くか、巨人が動作に迷った一瞬、シグルドは右腕の圧搾槍で頭部を抉って反動で離れた。そのまま鈎の掴んだ導力管を毟り取る。刹那、煙る視界に何かが閃き、映写盤がぷつりと途絶えた。


 騎体に局所的な高温を捉えて胸部の伝動線が断ち切れる。主眼の映写盤は黒いまま、残った小さな補眼の枠も、ひとつずつ消えて行いった。大鐘の中にいるように全身が揺れる。シグルドは振動に歯を食いしばり、甲冑の中の暗闇に目を眇めた。


 見えないが、まだ四肢はある。まだ騎体は動く。だが鼻先に鉄の軋る音がして、シグルドの裸眼に外が映った。そのまま横に裂け拡がり、シグルドの口許に外光が射す。黒いタレットに載った紅い眼が、甲冑の中の生身のシグルドを覗き込んだ。


 それは、今までシグルドが潰し続けた機獣の眼と同じだ。初めて正面からそれを見た気がする。憎悪で恐怖を塗り潰し、ずっと目を閉じて闘っていたのかも知れない。引き剥がされる冑の隙間に無機質な光学素子を睨み、シグルドは腕を振り上げた。


 圧搾槍が巨人の肩を削り取る。巨人が腕を掴んで捻じ上げた。右腕が軋み、神経線が不通になった。腕の重みが消え、床に落ちた装甲具が視界の外で音を立てる。剥き出しになったのは内鎧の籠手だ。それでもシグルドは巨人に掴み掛かった。


 払い除ける巨人の一撃で右腕が砕け、導力管が弾け出た。折れたシグルドの右腕にタレットを回し、巨人は不思議なものを見たように身動いだ。人の血肉はどこにあるのか。裂けた冑に覗くシグルドの口許は、嘲るような歪んだ笑みを浮かべていた。


 巨人がシグルドを突き放した。騎体は安定器の作用で後退ったが、直立を保てず膝を折った。切り裂かれた胸甲が内側に落ちてシグルドの身体を軋ませる。内鎧がなければ一瞬で潰されていただろう。それでも吸気が儘ならず、意識が揺らいだ。


 外光の混じる冑の内は、残った映写盤の不全表示で溢れていた。裂け目の端に覗くのは、床に散った装甲具と作り物の右手。弧状の境界を踏み越えようとする巨人の足。それでようやく気がついた。ここは昇降盤の上だ。クラウンはどこにいる。


「おっと、おまえはそっちに行くな」

 不意に巨人が仰け反り、崩れた。膝裏を打ったのは板金鬼ゴブリンの身体だろうか。その呆気なさが信じられない。次の瞬間、シグルド目の前で昇降口の柵が落ちた。


「構造まで人を真似るなぞ、大概だな」


 クラウン。名を呼ぼうとしてシグルドは咽せた。動力の絶たれた鉄塊はもはや、ぴくりとも動かない。柵の向こうで灰色の外套が黒い機体を駆け上がった。クラウンの手許に垂れているのは板金鬼ゴブリンから伸びた神経線だろうか。


 黒い巨人が震えて崩れた。柵を掴んでずり落ちる。昇降盤の調速器が擦り上げるような音を立てた。声を出そうとしてシグルドは吸気に喘ぐ。剥き出しの右腕を伸ばしても、機械仕掛けのそれは肘から折れて先がない。やがて、昇降盤が沈み始めた。


「迎えに行くから、待っていろ」

 どちらが発した言葉かもわからないまま、シグルドの視界は暗転した。身体の降下をなぞるように、シグルドの意識は深く沈み込んで行った。

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