第10話 六圏

 停車の階層が近づくと調速器の唸りが高まった。下りの行程は思いのほか長く、地上は遥かに遠退いている。よもや地底湖に下層があるとは。昇降盤が減速し、誘導軌条から外れて階層の床に受け渡されると、二人の前で防護柵が開いた。


「どこを見てたシグルド。格好つけてたくせに上り下りの違いもわからないのか」

「お互い様だ。ぼうっとして攫われた間抜けに、言われる筋合いなんてない」

 遠目に見た塔には上下方向があった。折り返していると思い込んでいたのだ。


 動き出したコンテナを押し退け、クラウンとシグルドは昇降口を飛び出した。昇降盤が下り始めて以来、ずっと二人は言い争っている。口も歩調も競うように、昇降口を回り込んだ。昇降帯は表裏で向きが変わる。裏手に上りの搬入口もあるはずだ。


 勢い駆け出した二人だが、ほんの数歩で壁に阻まれた。頭を巡らせ先を辿るも、ただの折り返しだ。ようやく完全に囲われた場所だと気づいた。塔の基部はほとんど壁の中に埋め込まれており、露出しているのは下り専用の搬入口だけだった。


 辺りを見渡し二人は呆然と立ち竦んだ。ここの広間には荷上場だ。しかも上層からの受取口しかない。四方には幾筋もの通路が伸びている。ただし、どれにも標識らしきものはなく、昇降機の裏側に至る道筋など、おおよそ見当もつかなかった。


 広間には大型倉庫のような天高があった。造作の規模は、やはり人とは尺が異なっている。上層とは異なり周囲ののすべてが製造物で、岩や水辺といった自然の名残りはどこにも見当たらない。天井の光は明るいが、それでも閉塞感は拭えなかった。


 上層の都市も中央の見通しは悪かった。高い壁が間近にあって路地を掻き分けて進まねばならなかった。それでも地下洞の天蓋は遥かに高く、湖の対岸から見た都市の規模感は把握できた。それがここでは、どこまで広がっているかがわからない。


 今いる場所の全容が見通せず、シグルドは最初から迷路の中にいる。把握できる範囲は目の前がすべてだ。上りの昇降機を探すにも、歩いて路を辿る他にない。

「仕方ない、また探検だ」


 クラウンは驚くほど切り替えが早かった。そう宣言するなり、当然のように重甲冑の背を這い上る。油断も隙もなかった。また勝手に攫われるよりはマシだと自分に言い聞かせ、シグルドは振り落としたい衝動をどうにか抑え込んだ。


 昇降口を出たコンテナが二人の前を滑って行く。ここの床に軌条はないが、コンテナには底板に小さな車輪が付いている。定められた目的地に向かう自動機械か、あるいはこれも機獣の一種か。従蛮機コボルド変種だったしても、その境目は曖昧だ。


 背後で昇降口の柵が閉じた。そう言えば、攫われたクラウンはどこに運ばれるはずだったのだろう。ふとシグルドは思い出し、扉の壊れたコンテナを探した。見当たらない。どうやら昇降機から出なかったようだ。行く先はここより下層だったらしい。


「俺がどこに連れて行かれるはずだったのか、気になるのか」

 クラウンの惚けた顔が後背の映写盤に大写しになった。こういう所だけは聡い。

「巨人の餌場だったらどうする気だ。頭からバリバリ齧られるなんて御免だからな」


 思いきや心配顔で馬鹿を言う。確かに喰人機オーガ屍喰機グールのように、人を捕食する悪趣味な巨人もいる。だが、それらは人も獣も生死を問わず、むしろ抵抗しない屍肉が主体だ。当然、機獣の中でも嫌われてはいるか、生物素材を回収しているに過ぎない。


「おまえを食うような悪食の巨人がいるものか」


 思えば喰人機オーガも人ほど貪欲ではない。群れで襲い掛かり螺子ひとつ残さず貪ることはない。巨人にとっては人こそが喰人鬼オーガだ。その考えを払うようにシグルドは首を振る。それがどうした。巨人が人類圏を脅かす敵であることには変わりない。


「そんなの、おまえが硬くて不味そうだっただけだろう」


 背中の上でクラウンが能天気に笑う。この男のせいで考えずに済んだことさえ露わになって行く気がすした。硬くなんかない。そう呟いてシグルドは乱暴に歩き出した。振り落とされそうになったクラウンが慌ててしがみつき、抗議の声を上げる。


「先にこの階層を調べてから考える。上か下かは、その後だ」


 シグルドはそう言った。考えの通りなら、下層に人が囚われているいる可能性はある。焦る気持ちもなくはなかった。だが、地上が遠退いた今、上りの経路を確かめる方が重要だった。また闇雲に突き進んでクラウンに失態を見せたくはない。


 荷揚場から伸びた通路は、どれもコンテナが交差する路幅があり、先はいずれも仄暗かった。シグルドは自走するコンテナのひとつに続いて通路に入り歩を進める。クラウンに倣って適当だ。あえて後ろを歩くのは、何か遮るものが欲しかったからだ。


 自走コンテナに合わせてシグルドは通路を行く。通路自体はのっぺりとして、最初に延々と歩いた坑道のような道行きだった。比べて壁は平面で、周囲は遥かに明るいが。先に何があるか見通せないのは同じ、傍にクラウンがいるのも同じだった。


「生きたまま、というのが解せない」

 何となく面と向かって訊くのも癪で、シグルドは独り言のように話し掛けた。

「みっともないほど暴れていたのに、板金鬼ゴブリンはおまえを黙らせようともしない」


 みっともないは余計だ、とクラウンが口を尖らせる。

優先行動オーダーが連行だったからだろう。他に理由があるか」

 シグルドが訊きたいのは、その理由だ。


「俺に何かあるかと言えば、なくもないが」


 シグルドの疑いを見透かしたようにクラウンは嫌な笑い方をした。機獣の優先行動オーダーが人の全般に適応されるのか、それともクラウン自身に何かあってのことか。それを笑い飛ばせるほどシグルドはクラウンのことを知らない。


「まあ、あいつらに人の見分けがつくとも思えないな」


 確かに板金鬼ゴブリン程度の機獣に個体認識ができるとも思えない。高位の巨人であってさえ人はすべて一括りだ。ただクラウンの言葉には含みもあった。厄介なことにクラウンは冗談と真実の境界が曖昧だ。却って悶々としたものが残る。


「ならば、殺すな、逃がすなの優先行動オーダーは、何に対してだ」

 拗ねそうな口調を堪えてシグルドは言った。

「巨人が捕虜を取るなんて聞いたことがない」


 仮に巨人にも社会や文化があったとして、人のそれと同じであるはずがなかった。それが優先行動オーダーであれ、巨人の価値観などシグルドの想像も及ばない。皇王と兵士の区別もつかない巨人が、人に対して生物素材以上の関心を持つとも思えなかった。


「そうだな、もしあいつらが欲しがるとしたら」

 クラウンは呟いた。

「魔術師かな」


「魔術師だって?」

 オウム返しに問うと、クラウンはひらひらと手を振った。

「魔術ばかりは、あいつらにも行使権限がないからな」


 確かに魔術は後方の生産部署に欠かせない。現にこの甲冑の人造素材も魔術によるものがほとんどだ。だが、それ自体が精密に過ぎる巨人の製造に魔術は不要だ。勿論、戦場で使用する機会もない。これが人どうしの争いなら別かも知れないが。


「だからって魔術師が何の役に、」


 クラウンに問い返そうとした矢先、不意に視界が突き抜けた。気づけばコンテナは通路を抜け、柱のない大空間に出たところだった。映写盤のなか、どこまでも拡がる無機質な天井は、マグナフォルツ中央都の大競技場ほどの広さがあった。


 天板は投光器もなく自ら光り、格子に組まれた鉄の梁が走っている。一方、床は樹脂に似た質感だ。こちらにも直上の梁に沿った格子が刻まれていた。壁を立てる仕組みのようだが、実際に四方を囲われているものは一部しか見当たらない。


 その広間にあったのは、巨人、機獣の全身像や胸像、得体の知れない無数のオブジェだった。区画のひと枠に満たない機械の塊から、その何倍もの枠を占有する巨人まで、点在する大小無数の展示が並んでいる。まるで巨大な博物館のようだ。


 まだ無意識にコンテナについて歩きながら、シグルドはただ呆然と周囲を見回していた。そこにある巨人は、どれひとつ動かない。オブジェを取り巻く繊細な作業椀や忙しなく働く裸の板金鬼ゴブリン、悠々と移動する自走コンテナだけが生きている。


「これは、何だ」

 シグルドはようやく呟いた。主眼を周囲に巡らせ、遠くを覗き、近くを拡大する。息を殺して冑の中の全天の映写盤を覗き込み、この場所に思索を巡らせた。


 上層の続きとして造られた巨人の製造所だろうか。製錬、鋳造に始まり、より精密な作業を行うための場所だ。いや違う。そこで蜘蛛の脚に似た作業腕が囲んでいるのは喰人機オーガ半壊した頭部だ。ここで行われているの製造ではなく、修繕かも知れない。


「いや、病院にしては辛気臭い」

 シグルドの推測を評してクラウンは口許を顰めて見せた。

「こんな場所を見たことはないのか?」


 クラウンは逆にシグルドに問う。あるわけがない。そう答えようとしてシグルドは思い留まった。あった。ベルタの工房だ。機工士の彼女の部屋は機獣の脳髄がそこかしこに転がっていた。無数のケーブルで繋ぎ止め制御術式オーダーキャストで映写盤を埋めていた。


「研究? 実験? 自分たちをか? そんな馬鹿なことがあるか」


 木で鼻をくくってようなシグルドの反応に、クラウンはただ肩を竦めて見せた。シグルドは後背の補眼から目を逸らし、映写盤に壊れた巨人の半身を眺め遣る。シグルドは再びクラウンの表情を目で追って、言いようのない不安を抑え込んだ。


「どうにも面倒くさい奴がいるな。魔術師集めも本当にありそうな気がして来た」


 シグルドにはクラウンの独り言がわからない。時に巨人を擁護するクラウンそのものが、よくわからなかった。まるで自分は人でもなく、巨人でもない立ち位置にいて、すべてを他人事のように茶化しているようだ。そんな気がしてならない。


「どうして、そんな知ったようなことを言う」


 後背の補眼を振り返ったクラウンから思わず目を逸らし、シグルドは誤魔化すように液柱計の泡に見を遣った。そんな見えもしないシグルドの仕草を見透かしたように、クラウンはシグルドに意地の悪い目を向けて、小さく囁いた。


「俺が古巨人カルティベータどもの知り合いだからさ」


 冷たい手がシグルドの心臓を鷲掴みにした。息もできないままシグルドは喉の奥で悲鳴を上げる。それは忌み名だ。マグナフォルツの者ならば、子供でさえ決して口にはしない。父のように幼いヴィーチェに呪いを呼び寄せる、巨人の王のその真名だ。


「効いたか」

 映写盤の惚けたクラウンをシグルドは思い切り睨む。

「この手の話が俺の仕事の種だからな。人の嫌がる知識だけは山ほど知ってる」


「何の自慢だ。そんな仕事があってたまるか」

 喉を詰まらせながらシグルドが責める。まだ鼓動が鐘のように鳴っていた。

「あるんだな、それが。元手のいらない商売だが、その分、買い手も少ない」


 そう言ってクラウンは気にした風もなく肩を竦めて見せた。街で暮らす分には何の役にも立たないし、と独りで勝手に落ち込んでいる。シグルドは呻いた。人を心底怖がらせておいて、気にもしていない。重甲冑でなければ殴り飛ばしているところだ。


「その仕事とやらで、こんな所に来たのか」

「言ったろう。ここには知り合いを捜しに来たんだ。話の種には変わりはないが」

 シグルドが返す言葉に迷ううち、クラウンは出鼻を挫いて指さした。


「あれ、何だろうな」

 そこにはは毛色の違う衝立があった。多くが剥き出しになった展示のなか、完全に四方が囲われている。しかも材質や構造が異様に堅牢に造られている。


「近づけシグルド。俺の探しものかも知れない」


 そんな所にいる知り合いとは何だ。偉そうな指図は気に障ったが、確かに閉じ込める造りだとシグルドも思う。魔術師云々はさて置くも、渓谷を渡った国軍の備品の可能性もあった。シグルドは辺りを見渡し、コンテナを離れて衝立に走り寄った。


 補強材が剥き出しになった周囲を巡る。シグルドは開口を探したが見当たらない。衝立は高い梁に固定され、乗り越えることも覗き込むこともできなかった。辛うじて作業椀を通すための細い溝があるだけだ。シグルドが補眼を掲げて覗き込む。


 黒い鋼の人型だ。国軍のものでもさそうだ。重甲冑ほど背丈はあるが、鋭角的で刺々しい。知る限りの巨人にも似た姿はなかった。見たところ欠損はないが、装甲や装備が引き剥がされたような痕もある。クラウンが補眼の横から割り込んだ。


「あれは駄目だ」


 身を乗り出して覗き込むクラウンが顔を顰めて舌打ちした。主眼に身体を擦り寄せるせいで、無精髭が擦るほど映写盤の横顔が近い。シグルドは無意識に映写盤をから身を逸らした。そのせいで、補眼の映した黒い巨人が微かに身動ぐのを見逃した。


「前に言っただろう、あれが」

 不意に言葉の途中でクラウンは覗き込んだ溝から顔を逸らした。

「目が合った」


 クラウン葉に呆けてシグルドは咄嗟に理解ができなかった。目線などわかるはずがない。何かに慌てたクラウンが、しきりに騎体を叩いてシグルドの注意を引く。

「離れろ、早く。あんなのに関わるな」


「何を馬鹿な。ここにいるのは全部、」


 死んでいる。シグルドがそう言い終らぬうちに、天板の灯が揺らいだ。見上げれば真上で梁が揺れている。吊られた鋼索が千切れ落ちた。火花の散る音、機材を打つ音が響く。人には無音のはずの警報が二人にもはっきり聞こえた気がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る