第9話 五圏

 高架の先にあったのは、鉄と混凝土と合成樹脂でできた、深く無骨な切通しだった。左右の壁は首が天を向くほど高く、まるで峡谷の細道を行くようだ。気づけば自走路の振動音が変わっており、足下はすでに地盤の上に乗っていた。


 作り物の溪谷を潜る辺りから路は分岐し始めた。鉱石を載せたバケットは、数珠繋ぎに外縁の施設へと吸い込まれて行く。直前に迫る分岐の手前で、シグルドは自走路を飛び降りた。辺りの空気さえ赤熱するような製錬施設群を走り抜ける。


 島の中央を目指した。できるだけ早く、溶鉱炉の並ぶ外縁部を離れたかった。長居すれば重甲冑さえ蒸窯になりそうだ。生身のクラウンなど、ひとたまりもないだろう。内心の焦りを抱え、跳ねるように騎体を駆る。すると唐突に視野が開けた。


 それは都市か、都市に似た何かだった。主に立方体をした鉄と混凝土の塊が、縦に長く伸びている。天地を貫く長い格子の鉄塔を中心に、それらが無数に寄り集まっていた。まるで狭い鉢のなか一杯に、ぎゅっと詰めて生え伸びた草のようだ。


 それらの施設には窓がなかった。階段や手摺、目に見える標識といった、行動を補完する設備が何もない。無骨に積まれた装飾のないそれらは、人の存在を欠いた構造物だ。シグルドは何故か、石筍のようなある種の天然の造形を想起した。


「人も巨人も似たようなもんだな」


 辺りの気温が落ち着いたのか、クラウンが背中で嘯いた。うっかりシグルドは耳を傾ける。曰く、城壁の内側に行き場を失くした街は延々と空に向かって伸びて行く。環状都市と呼ばれる隣国のワーデンが、これによく似た風景であるらしい。


 とはいえ、この場のすべてが巨大だった。まるで重甲冑が子供に見えるほど、建物の規模感は異なっている。中でも四基の塔は遥か天蓋まで真っ直ぐに伸びていた。

「とりあえずは近くの塔かな?」


 クラウンが指したのは同心円上に並ぶ三基の塔だ。それぞれ上下する二対の昇降路があり、荷を載せたケージが一定の速さで上下していた。対して中央の塔はとんど稼働していない。だが、気づけば目で追うのも危うい速さでケージが昇って行く。


「中央の塔を目指そう」

 シグルドの答えにクラウンは顔を顰めた。

「あんな速いのに乗ったら潰れるぞ」


「耐えられる」

 そう言ってシグルドは歩き出した。文句は言ってもクラウンは背を降りない。

「そのぶん上に早く着く」


 都市の幹線は概ね放射状の構成だ。とはいえ区画の割りは一定ではなく、中心部に向かうほど高い建物が密集している。天蓋まで届く塔は迷いようのない目印だったが、その足許で方角を確かめられるかは、行ってみなければわからない。


 重甲冑の巨体を駆って生身のように身を潜めるのは、シグルドにも新鮮だった。勿論、完全に身を隠せるわけもなく、機獣の無関心に救われているだけだが。これも周囲の縮尺が間延びしているせいだ。主眼の視点が生身より低く思えるほどだった。


 目の前の幹線路をコンテナが自走し、板金の鎧のない裸の板金鬼ゴブリンが隊列で移動する。大きな施設の内部には、それぞれの役割に特化した機獣が蠢いていた。都市の内側に向かうにつれ巨人の眷属は形状が多彩になって行く。


 当初、幹線路を辿れば塔に至るのもそう難しくはない、とシグルドは踏んでいた。だが、遮るもののない路の先に人型の巨人を見て、その甘い考えは消し飛んだ。咄嗟に建物の影に身を伏せたシグルドは、全身から冷たい汗が吹き出るのを感じた。


 その上背は蟲巨人リジアンよりも小振りだが、体型はより人に近い。まるで内鎧を大きくしたようなその見目は、恐らく守護巨人アークギガスだ。シグルドも話にしか聞いたことのない上位巨人だった。戦力は勿論、知能も高く、人語を解するとの噂まである。


「あれは面倒だな。誤魔化すのは無理だ」

 クラウンがのんびりと呟いた。緊張感がなさ過ぎる。シグルドは映写盤を睨んだ。

「道を変える。あれと戦闘になれば中隊以上の戦力が必要だ」


 悔し気なシグルドの声を聞いて、クラウンは口許が裂けたような笑みを浮かべた。

「無闇に突っ込まないだけ成長したな」

 真っ赤になったシグルドは熱い頬を深呼吸で抑え、どうにか言葉に嫌味を載せた。


「残念だ。あいつは自律炉心殻が入ってる。手に入れば一生遊んで暮らせたんだが」

「え、そうなの?」

 慌てたクラウンを映写盤に眺めて、シグルドは少しだけ溜飲を下げた。


 巨人への憎悪は今もシグルドを苛んでいる。ただ、今さらながら損失を秤に掛けて行動することは学んだ。臆病だが、クラウンは成長と言う。思えばネルソンにも無謀も蛮勇も作戦には不用だと言われていた。今までは皆が守ってくれていたのだ。


 あえてシグルドが選んだ脇道は、路地というより施設の隙間だった。辺りはすべて白と黒と灰色の壁だ。当然、地図も目印もない。いずれ全体が俯瞰できない以上は、迷路の中の鼠の如く行き当たる分岐ごとに方向を決めて行くほかなかった。


「そこいらの奴をとっ捕まえて、頭の中の地図を引っ張り出せよ」

「機工士でもないのに、そんな器用な真似ができるか」

 道理を知らないクラウンに、声を殺してシグルドは返した。


「そもそも奴らに手を出すなと言ったのはおまえだろう」

「そりゃそうか」

 悪びれもせずクラウンはきょとんとした顔で笑う。


 後背の映写盤から目を逸らし、シグルドは唸った。ときおりクラウンの見せる無垢な表情が無性に腹立たしい。外見は二〇代の中頃、アルヴィンほどの頃合いだが、ネルソンより老成して見えることもあれば、ヴィヴィより遥かに子供っぽくも見える。


 大ぶりな建物が並ぶ島の外縁部に比べて中央は区画が小刻みだった。この都市が工業施設であるのなら、中央に向かうほど製造規模がより小さく、作業も精密になっているのだろうか。ただ、壁の高さは増しており、路地はますます狭く複雑だ。


 案の定、道幅がなくて見通しがきかず、ともすれば塔を見失うほどだった。重甲冑の幅が通れず迂回を余儀なくされる路も増え始めた。このまま足許を見ているだけでは、そのうち目標を消失する。シグルドは背中のクラウンに斥候を促した。


「ようやく役に立つ時が来たぞ」

「生身の俺に路を探して来いってか。覗蠅フライみたいなのは持ってないのか」

「働け。文句を言うな」


 クラウンは文句を垂れながら甲冑の背を滑り降り、渋々辺りを覗きに出掛けた。


 細い路地を分岐まで駆けて行き、見通しの利く通りで塔の建つ方向を確かめる。騎体の通れる道筋を見つけてシグルドを誘導し、また数区画ほど進んで斥候に出る。しばらくそれを繰り返し、二人は追い掛けっこのように都市を横切って行った。


「働かせ過ぎじゃないか?」


 また不平を零してクラウンが細い路地を潜って行く。シグルドも戯言には飽きていた。抜けた先は仄かに明るく、クラウンに影が射す。路を渡って四方を見上げ、塔の方角を探している。シグルドは辺りを警戒しながら、映写盤のクラウンを追った。


 クラウンの長い手脚が逆光で強調されるせいで、路地の隙間で棒切れが踊っているようだった。左を指してぐるぐると腕を回している。回り込めるということか。知らず頬に浮かんだ笑みを噛み殺し、シグルドはクラウンに戻れと合図を出した。


 合図に気づいて頷く動作の気配の直後、ふとクラウンが右手を向いた。飛び上がり、慌てて路地に逃げ込もうとする。不意に横から板金鬼ゴブリンが飛び出した。壁に切り取られた狭い画角の中で、板金鬼ゴブリンがクラウンを掴んで左手に消えた。


 あっという間だ。ぽかんと口を開けたまま、シグルドは暫し立ち尽くした。


 我に返った。思わず路地に突っ込みんで、壁に撥ねてひっくり返った。通れないことすら意識から飛んでいた。悪態を吐いて騎体を起こし、シグルドは左手に走り出した。クラウンは回り込めると合図を寄越していた。迂回路があるはずだ。


 シグルドは辛うじて騎体の通る分岐を抜け、クラウンの攫われた広い路地に出た。幹線路ほどではないが、塔を仰ぎ見ることができるだけの道幅がある。シグルドは辺りを見回しつつ、全身の補眼を駆使してクラウンを掴んだ板金鬼ゴブリンを探した。


「放せこら、放せって」


 板金鬼ゴブリンは左を向いて通りを先行していた。鎧のない裸の板金鬼ゴブリンだ。担ぎ上げられたクラウンが、じたばたと藻掻いている。溜息と苦笑が同時に出るほど無様だ。騎体を回してシグルドが追い掛ける。だが板金鬼ゴブリンの足は異様に速い。


 板金鬼ゴブリンはまるで路面を滑るように走る。見れば二本の足の先に車輪が付いていた。まるで荷運びに徹した従蛮機コボルドの脚だ。特長的な金属板もないのは平坦なこの島に特化した変種だからか。直線が速いだけでなく、入り組んだ路地にも小回りが利く。


 歩幅はあっても重甲冑は遅い。圧搾機を使った跳躍は速いが小回りが利かない。この入り組んだ路地で追跡は不利だ。シグルドは駆けながら腕を上げ、裸の板金鬼ゴブリンに鉤綱の狙いを付ける。射程の内にはある。しかし逡巡し、思い直して引き金を戻した。


 クラウンを攫った理由は不明だが、いま板金鬼ゴブリンを撃てばシグルドは行動順位オーダーの障害と見做される。この都市のすべてが一瞬で敵になる。たとえクラウンを取り戻せたとしても、今の戦力ではあの守護巨人アークギガスからクラウンを守ることはできない。


 迷ううち板金鬼ゴブリンが分岐を折れて路地に飛び込む。騎体が閊えた。

「糞っ」

 回り込める路地を探してシグルドが走る。


 だが焦りに任せて駆けるうち、気づけば方向さえ見失っている。

「塔だ、塔だぞ。早く来い、シグルド」

 喉に悲鳴が込み上げたその一瞬、分離集音機がクラウンの声を漉し出した。


 打たれたように顔を上げ、シグルドは映写盤を見渡した。無意識に呼吸を整えながら、幅のある路地を探す。開けた視界が欲しい。塔を見つけられるなら巨人のいる幹線路でも構わない。シグルドは塔の見える路地だけを探して重甲冑を駆った。


 幾度も潜った通りの先で天蓋を仰げば、まるで真下にいるほど塔は間近にあった。方向を記憶に刻んでシグルドは走り出す。右に折れ、左に折れても、糸を繋いだように意識は塔を辿っている。肩で壁を削りながら、最後の細い路地も押し通った。


 抜けたのは、大きく開けた荷置場だった。床には円形の軌条が敷かれ、それを欠いて立ち上がる曲面の壁があった。周囲にあるのは無数のコンテナ、幹線路の終端。壁のその奥にはもうひとつ、同じ広場と軌条もあった。この場所が塔の基部だ。


 裾の広がる壁の上には、遥か天蓋まで格子が伸びている。遠目に見えた黒色のそれは、実際は鉄の部分が少なく、螺旋に編まれた非金属の素材のようだ。これほど間近に見上げる位置では目が詰まり、塔の中で上下するケージも窺えない。


 昇降機のある塔に至ったのは皮肉にも当初の目的通りだった。ただし、目指した中央の塔ではなく同心円上に並ぶ一基だが。クラウンの主張した通り、これは怪我の功名だろうか。シグルドは我に返ってクラウンと板金鬼ゴブリンの行方を探した。


 軌条の上をコンテナが流れて行く。基部の間際で一塊りになり塔の中に滑り込む。広場に集まるコンテナは、方々から軌条の上まで自走していた。仕分け役さえ見当たらない。コンテナは荷造りの時点で行先が決まっているのだろう。


「放せ馬鹿者」


 クラウンの声がした。蓋の開いた小振りのコンテナに板金鬼ゴブリンが犇めいている。それだけがまだ荷づくりの終わっていないコンテナだ。本来なら荷役に介在しないはずが、蓋から長い手脚が突き出てるたび、板金鬼ゴブリンたちが慌てて押し込んでいる。


「ウエットウエアはもっと丁寧に扱え」


 わけのわからないことを喚きながら、クラウンがコンテナの奥で暴れている。蹴られ、殴られ、押し返され、それでも働く板金鬼ゴブリンを見ていると、シグルドさえ彼らが健気に思えた。機獣にもクラウンは迷惑なのだろう。そう思うと同情する。


 今すぐ飛び出して行きたいのを堪えシグルドは路地に身を潜めた。ここで奪還すれば行動順位オーダーに触れる。今は板金鬼ゴブリンが離れるのを待つべきだ。だから、おまえはさっさと大人しくコンテナに入ってしまえ。声に出さずにシグルドはクラウンを詰った。


 だが板金鬼ゴブリンがクラウンを排除するでもなく、捕獲と移送を行動順位オーダーとしているのは何故だ。重甲冑のシグルドと異なり生身のクラウンが人と認識されたせいだとしたら、何かしら捕虜にする状況が発生したに違いない。それは国軍のせいだろうか。


 ようやく鋼板の扉が閉じられ、クラウンの悪態が聞き取り難くなった。コンテナを軌条に送り出すと、集まった板金鬼ゴブリンたちが、やれやれと肩を落として散って行く。シグルドが救出の頃合いを見計らううち、コンテナは塔の基部に近づいていた。


 辺りから機獣が消えたのを確認すると、シグルドは急いで路地から走り出た。クラウンを積めたコンテナは、すでに昇降盤の上に載せられ、他の荷に寄って行く。傍に立っては挟まれるやも知れず、シグルドは咄嗟にコンテナの上に飛び乗った。


 コンテナの天板を叩き、中のクラウンに助けに来たと合図を送る。安堵の響き悟られぬように、シグルドは一拍おいてから、むっつりとクラウンに言い放った。

「この間抜け」


「シグルド」

 足下からクラウンのくぐもった声が返る。

「来てくれると思った。愛してるぞ」


 シグルドは無意識にコンテナを殴りつけた。

「気色の悪いことを言うな。置いて行くぞ」

「調子に乗りました。ごめんなさい」


 シグルドはコンテナの留め具を探り扉板を引いた。寄せられた他の荷でコンテナの手前が閊え、扉が開き切らない。隙間を開けるのがせいぜいだった。頭を突き出すクラウンに、そのまま潜れと促した。その間もコンテナは軌条を流れて行く。


 不意にコンテナの周囲が陰った。塔の基部を潜ったらしい。クラウンはどうにか隙間に肩を通したばかりだった。急かされ、身悶え、芋虫のように扉板の間を潜り抜ける。慌てて昇降盤に踏み出すも、二人の目の前で防護柵が下りた。


 昇降盤が揺れ、誘導軌条に固定される。絶えず稼働する昇降帯を調速器が噛み込んで、擦り上げるような音を立てた。揺れに身体を支えつつ、クラウンはコンテナの上に身を屈めるシグルドを振り返った。小さく肩を竦めて見せる。


「まあ、いいか」


 クラウンの言葉にシグルドは短く息を吐いた。どうしようもない。意図と段取りは大きく違うが、辿り着いたのは昇降機だ。このまま地上に近づけるなら、むしろ好都合と言えるだろう。慌てる必要は何もない。シグルドはそう思うことにした。


 そう考え直した刹那、二人を乗せた昇降盤は動き始めた。下層に向かって。

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