第6話 二圏


 いいかげん背中に乗せろと煩いクラウンの声を聞き流し、シグルドは黙々と排石口を登った。転がり損ねた砂利が足下に溜まっており、重甲冑の足さえ踏み込みが滑る。生身のクラウンにとってはベアリング敷きの坂を登るようなものだろう。


 幸い、穴に格子や柵といった障害はなかった。ただし、いつ土砂が押し寄せるかも知れぬ不安と引き換えの登坂だ。だがそれも、疲弊したクラウンが登るより滑る幅が増え始めた頃には開口も見えた。重甲冑の灯火の先が暗闇に突き抜ける。


 肩から伸びる白い光条は遠い曲面を彷徨っていた。広角は早々に拡散し、鋭角も光の先が灰色に滲んでいる。ただ、この先は闇が薄い。屋外ではないが広く抜けた空間だ。後ろに藻掻くクラウンを置いて、シグルドは排石口から這い出した。


「何だこれは」


 シグルドは呆気に取られて呟いた。広く、どこまでも長く坑道が続いていた。左右を見渡せど終端に壁がない。幅はおよそ一五メフト、高さも一〇メフトほどはある、底を埋めた筒状の通路だ。噂に聞く機獣の最大種、巨環蟲シールドワームの掘り抜いた跡かも知れない。


 辺りを見渡すと、黒々と艶のある内壁は水気が強く湿って見えた。床板は平らで厚い鋼板が延々と敷かれている。その下からは微かな水音が聞こえた。恐らく円筒を底上げして床を設け、その下に排出した地下水を流しているのだろう。


 曲面を描く坑道の壁には点々と灯火が並んでいる。仄暗く照らされた坑道はゆっくりと弧を描き、遥か先で見通せなくなっていた。見るほどにシグルドの見当が迷う。人の世界にも坑道はあるが、これほど巨大で平板なものはなかった。


 あまりに人工的に過ぎる光景だ。幾多の犠牲を払って亡父が到達した巨人の世界の一端は、あまりにも人造的だった。幼いヴィーチェに永遠の犠牲を強いた呪いは、本当にこんな所から来たのだろうか。シグルドは記憶の幻痛に小さく呻いた。


「さて、どっちに行く?」


 呑気な声に引き戻される。まるで繁華街で店を探すようなクラウンの口振りだ。口許には何の動揺もなく、この状況を呆気なく受け入れている。こちらの心境などお構いなしに。そう思うと苛立つように胸が騒めいて、シグルドは自身に舌打ちした。


 とはいえ、方向を決めかねているのも確かだった。渓谷の架線は遥かに上層で、分隊を残した岩棚の高さまでは、まだ相当な距離がある。坑道に傾斜は見て取れないが、もし蟲巨人リジアンがここから来たとしたら、どこかに上に続く道もあるはずだ。


「まあ、そのうちどこかに着くか」

 そう言って、クラウンは勝手に歩き出した。

「待て、何の根拠があってそっちだ」


 シグルドが慌ててクラウンを追い掛ける。

「突っ立ってたって仕方ないだろう」

 結局は考えなしの行動のようだ。


 もう少し慎重に考えろ。シグルドはそう罵りたいのを自制する。感情的に反論して、子供っぽいと笑われるのだけは御免だ。実際、反対も反論も今のシグルドには拠り所がない。考えなしのクラウンにも、実のところ呆れと納得は半々だった。


 だが、大きく弧を描いた坑道は直線よりも厄介だった。どうにも位置が測り難い。排石口はまだ真っ直ぐで、溪谷に向かって直交していた。そこから測れば北に進んだのだが、勝手に進むクラウンを追ううち距離を録り損ねた。すでに方角は怪しい。


 だが延々と続くかに見えた坑道も、遥か先に掘削途中の壁を残して、唐突に途切れていた。その手前には弧の内側に向いた枝道がある。引き返して逆を行くよりは、と二人はその支道を潜った。だが、出たのはまた同じように大きな弧を描く坑道だ。


 伸びた道の湾曲が少し急になっていた。それが幾重あるのかは不明だが、坑道は同心円状に掘られているのだろう。大きさは変わらない。見た目の違いといえば、足下の水が床板を越えて溢れ出しているた。少し掘り下げられているのかも知れない。


「乗せてくれ、シグルド」


 坑道に響く水音を選り分けて、クラウンの声が冑に響いた。頻繁に話し掛けられるうち、分離集音機が声を覚えて勝手に漉し出して来る。ベルタも余計な機能を付けたものだ。子供のようにねだる声を何度も聞いて、シグルドは少し苛立っていた。


 もっとも、足下の水はクラウンの膝にも届きそうだった。どうやら流れも少し見て取れる。この先に排水口があるのかも知れなかった。加えて、シグルドが一歩あるくたび盛大に水が撥ね飛んでしまう。確かに重甲冑の隣を歩く生身は災難だろう。


「俺ひとりくらい軽いもんだろ」

「戦闘になったら出遅れる。機動甲冑が楽に動けると思ったら大間違いだ」

「背中が痒くなったら掻いてやるから」


「余計な所を触ったら指が飛ぶぞ」


 シグルドがあしらう。装甲具の可動部は入り組んでいる。武骨で容赦がなく、指を挟めば簡単に落ちる。整備員用の把手もあるにはあるが、無暗に触られるのが問題だった。今さらながらシグルドは、クラウンを背に乗せるのが居心地悪い。


「だったらせめて水を跳ねるな。もう少し静かに歩け。こっちはずぶ濡れだぞ」


 クラウンが悪態を吐くと、不意にシグルドが立ち止まった。腹を立てたか、素直に聞いたか。クラウンが怪訝な目で見上げると、幾つも眼を載せたタレットが忙しなく動いている。どうやらシグルドは行く手の暗闇に何か焦点を探しているようだ。


 重甲冑の目線を辿って、クラウンも奥に目を眇めてみた。坑道の先は暗い闇が煙っている。行き止まりのようだ。ところが、闇の縁に薄っすらと坑道の輪郭が伺える。点々と並ぶ燈も途切れずに続いていた。巨大な何かが坑道を塞いているらしい。


 一方それを映したシグルドの映写盤には、黒い塵が舞っていた。そのせいで重甲冑の眼は坑道を塞ぐ闇に焦点が合わず、正体も見通せない。いくらシグルドが映写盤に目を凝らしても、実際の塵か映写盤の雑像なのかが区別できないでいる。


「羽音だ」


 シグルドが確かめるその前に、分離集音機はクラウンの声を拾った。シグルドも言われて気づく。この塵は覗蠅フライだ。ならば先の暗がりには巨人の眷属がいる。生身のクラウンに先んじられたのも腹立たしくあり、シグルドを黒い苛立ちが苛んだ。


「そこを動くな」


 シグルドが言い捨て、床の水を撥ね上げた。避ける間もなくクラウンは頭から水を被る。前髪から落ちる雫の隙間に、前を行くシグルドを見上げて呆れる。その足音と水音に混じる騎体の駆動音に顔を顰めた。恐らく武装を点検しているに違いない。


 溜息で顔の水滴が飛んだ。こんな状況で喧嘩を売るなど、頭が悪いにも程がある。


「放って置けって。面倒を起こすな」

 クラウンの声にシグルドが振り返る。騎体の歩みを止めこそしないが、厚い冑の下で後背の映写盤を睨んでいる。背中に感じた寒気で、クラウンはそんな気がした。


「あれは敵だ。残らず潰す」

「そうか悪かった」

 声に気圧され、クラウンは反射的に頷いた。


 髪に被った水気を払い、クラウンはシグルドの背中を見送った。

「面倒なのはおまえの方だな」

 独り言ちて肩を竦めた。


 坑道の先には闇が黒々と澱んでいる。壁の灯を瞬かせているのは確かに覗蠅フライの小さな機影だった。その奥で道を塞いでいる輪郭は、まだ重甲冑の灯火でも照らし切れない。巨大な機獣か、ただの掘削機か、それとも巨人そのものだろうか。


 暗がりを目指してシグルドは重甲冑を駆った。進むにつれ飛沫は大きく撥ね上がる。そこにあるのが何であれ、重甲冑の接近を見逃すとは思えない。兵器それ自体が優先行動オーダーの障害だ。シグルドは敵と見做されるだろう。勿論、望むところだった。


 一方で、どうしたものかとクラウンは思案する。恥ずかしげもなくあんな物騒な台詞を吐くほど、シグルドは拗らせているようだ。巨人が嫌いなら放って置けばよいものを、人にとっての害悪だなどと自分に言い訳をするから、余計にタチが悪い。


 シグルドがどこでそんな呪いを貰ったかはさて置き、このまま放り出すのも少しばかり勿体ない。何せ貴重な乗り物だ。本来なら関わるのも御免だが、この際は世話を焼くのも仕方がない。とはいえ、機動甲冑を相手に生身で割って入るのは難しい。


 巻き込まれないよう対向の壁まで距離を置き、クラウンはシグルドを追い掛けた。


 溜まった水に足を取られ、自ずと距離は開いて行く。もとより重甲冑が大股に歩けば、クラウンとは大きく歩幅が違う。向こうは竹馬に乗っているようなものだ。巨大な圧搾機を積んだ両脛は、本気になれば兎のように跳ねて走ることもできる。


 重甲冑の外見は人の似姿だ。ただしそれは見掛けに過ぎない。脚の中身など鳥の骨格に近く、大腿は腹の中にあり、脚には脛と足の甲がある。操るシグルド本来の爪先は重甲冑の膝にも届いていないだろう。肩と腰の間が短いのも中の人の都合だ。


 当然、シグルド本来の関節は、重甲冑のそれと位置や自由度が異なっている。人に似た動作ができるのは全身を使った操作の賜物だ。手枷の鎖を断つのも器用だったが、同時にそうまでして人型、人を模した動きにする必要があるのかとも思う。


 そうか、巨人もそうだった。クラウンは呆れたような溜息を吐いた。


 先行するシグルドが睨む映写盤の先に、水鳥のような飛沫が上がった。五つ、六つ、撥ねる水面が重甲冑に寄って来る。肩から伸びた真っ直ぐな灯火を錆びた鉄が横切った。板金鬼ゴブリンだ。奥に近づいたシグルドを、ようやく敵と見做したらしい。


 早々に響く剣戟の音にクラウンは顔を顰めた。金属の軋む音。闇を切り刻む白い光芒。それで戦況が見通せるはずもないが、幸いシグルドの戦闘は坑道の向かい側だった。シグルドが機獣を引きつけてくれるなら、それはそれで好都合だ。


 クラウンには確かめたいことがあった。行き止まり間際の壁の格子だ。そんなものは他にはなかった。奥に支道があるかも知れない。なければいずれ引き返す必要もある。シグルドが暴れるのは勝手だが、逃げ道を確保するに越したことはない。


 クラウンの近づいた壁際には、曲面の壁に真っ直ぐな格子の板が立っている。鉄の目の奥はまだよく見えない。ただ、格子の端が空いていた。封じているわけではなく、ただ立て掛けているだけにも見える。巨人の仕事は大造りでよくわからない。


 思いを巡らせつつ壁に近づいたクラウンだが、どうにも足許が重く歩き辛かった。見れば水はいつの間にか膝上を越し、強い流れに足が引かれている。とはいえ格子の壁まであと少し、坑道を塞いだ黒々とした巨大な壁も、すぐその鼻先にあった。


 最後の数歩は足を取られ、倒れ込む寸前、クラウンは鉄の格子にしがみついた。


 顔を寄せ、並んだ格子の目の奥を覗き込む。そこには壁しかなかった。他と同じ湾曲した壁がずっと先まで続いているだけだ。クラウンはしばし途方に暮れた。巨人の設備が人に優しくないのは仕方がない。だがこの格子の意味はいったい何だ。


 そうするうち、覗蠅フライがクラウンを覗きにやって来た。それ自体には害こそないが、鬱陶しい。追い払うように手を振った丁度そのすぐ先に、飛んで来た板金鬼ゴブリンが撥ね飛んだ。格子に当って火花を散らし、足許に落ちて盛大な水飛沫を上げる。


「気をつけろ、静かに戦え」


 向かいの壁際で見境なく暴れるシグルドに向かって、クラウンは声を上げた。応えたのは鈍い金属音と派手に響く水音だけだ。まるで何事もなかったように、重甲冑の灯火がくるくると舞っている。シグルドはクラウンに気づいてもいないだろう。


 諦めたクラウンがふと足許を見ると、落ちた板金鬼ゴブリンの身体が坑道の中央に向かって向かって転がって行く。子供ほどある鉄塊を押し流すほどに水の勢いは増していた。ぼんやりとそれを目で追っていると、不意に沈んで水底に消えた。


 一気に嫌な汗が出た。辺りの水面に目を凝らし、壁の灯火が畝る範囲を目で測る。それは断崖に空いた排石口ほどの渦だ。数歩あるいたその下に巨大な排水口がぽかんと口を開けている。坑道の全域から集めた地下水を、一気に流し込んでいる。


 床下の構造が緩い水面を演出していたのだろう。そう気づくと身動きが取れない。


 巨人の造るものとはいえ、排水口ならグレーチングはあるだろう。流し出されることはないにせよ、水圧で張り付けば自力で剥がすのは難しい。万一の時はシグルドに引いて貰うしかない。重甲冑さえ入る径だが、踏み抜かない限りは大丈夫だ。


 水流に足を滑らせた先を想像したクラウンは、首を竦めていっそう強く格子にしがみついた。ふと手元のそれに目を凝らす。これが支道を塞ぐ扉でないなら、この格子の役割りはいったい何だ。クラウンの呆然とした顔に不意に巨大な影が落ちた。

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