第3話 前域
「見捨てられたと思ったじゃないか」
シグルドが扉を開けて倉庫に踏み込むと、床に座り込んだクラウンが拗ねた目で重甲冑を見上げた。あれほどの
こんな男は放って置け。シグルドの中で、もうひとりの自分が呆れたように声を上げている。あれは国軍が放置した囚人だ。猟兵が気遣う義理はない。たとえあの男に万一があったとしても、悪夢がひとつ増えるだけのこと。今さら何が変わるのか。
「俺を焦らすとは中々じゃないか。伊達にデカいのに乗ってるだけあるな」
調子に乗ったクラウンが軽口を叩いている。シグルドに向かって手首の枷を掲げ、早く外せと呑気に振って見せる。頽れそうなシグルドの膝は、幸い吊られて固定されていた。操作必須の重甲冑の四肢だからこそ、無意識に跪かないのが幸いしている。
「どうした何か酷いことを考えてないか?」
むっつりと黙って動かないシグルドを見上げ、クラウンは小首を傾げた。きょとんと惚けたその仕草が、余計にシグルドをちくちくと苛立たせる。シグルドは殴りつけるほどの勢いで壁に甲冑の腕を伸ばし、クラウンの頭の際で手枷の鎖を掴んだ。
小山のような黒い鉄の塊に伸し掛かられるのは、さぞ怖いだろう。懲りたら少しは弁えろ。首を竦めたクラウンが何か言おうとするのを無視して、シグルドは鎖を引き千切った。壁の留め具が弾け飛び、鎖に引かれてクラウンの身体が宙を泳いだ。
「乱暴だが、助かった」
勿論、クラウンが素直に礼を言うはずもなく、それを口にしたのは散々悪態を吐いた後だった。手枷に長い鎖をぶら下げたまま、どうしたものかと思案している。シグルドは伝声管で準備を確認しつつ、指先を振ってクラウンに倉庫の奥を示した。
「ここを出て建物の前にいろ。何もないから逃げても無駄だ。邪魔だけはするな」
だがシグルドが映写盤の中継に目を遣るあいだ、クラウンは辺りを見回すと、壁面に棚を見つけて駆け寄って行く。片端から物色して戦闘糧食を探り当てるや、思うさま外套に詰め込んだ。シグルドが目を戻すと、当然その場にクラウンの姿はない。
『待て、こら馬鹿、そっちじゃない』
伝声管から飛び出したシグルドの叫び声に、分隊の皆は思わず手を止めた。普段そう聞くことのない調子の声だ。ことこの状況で歳相応のシグルドは珍しかった。
「どこへ行く気だ、戻って来いクラウン」
今度は勝手に扉を潜り、ぶらりと鉄塔に向かって行く。よりによって人用の扉だ。渓谷の風が髪を嬲り、長い外套の裾を引いている。舌打ちしながらシグルドは追い掛けた。
「そんなにこっちが気になるのか?」
鉄塔を眺めてクラウンが呟いた。堀を覗き込んで顔を顰め、小石を蹴り込む。
「ずいぶん熱心なことだ」
「下がれ、クラウン」
割れた大声と圧搾気の足音にクラウンが振り返る。
「こいつらを狩るの? 放って置けよ、どうせこっちを見向きもしないんだから」
「適当なことを言うな。機獣は人の敵だ」
クラウンを鉄柱から引き戻そうと手を伸ばし、シグルドは一拍、呼吸を整えた。重甲冑の指が生身を握り潰さぬよう加減を自制するためだ。正直このままクラウンを払い退け、いっそ
「敵だの味方だの、人を襲う気があるなら俺が繋がれたままの訳ないだろう」
「そこにいるのは機獣だ、巨人の眷属だぞ」
「人より理屈で動く輩だ。大砲でも構えない限り向かってなんぞ来るものか」
クラウンのあまりの能天気にシグルドは震えた。怒りを通り越して呆れ果てた。例えこの男が余所者であれ、道理を知らないにも程がある。巨人は人の世を蝕む毒蟲だ。潰さなければ全てを奪われる。例え
「そこに存在しているだけで機獣は害悪だ」
そう言い放つシグルドを見上げて、クラウンは呆れたように口許をひん曲げた。
「おまえ、頭の中まで鉄でできてるのか?」
『
今度こそシグルドの自制が飛びそうな瞬間、狙ったように伝声管に大声が流れた。投射砲を立ち上げたアルヴィンの鬨の声だった。不意を突かれたシグルドは、惚けた顔で見上げるクラウンを睨みつけ、辛うじて重甲冑の操作を踏み止まった。
大容量の投射砲は蓄動器の充填に時間を要する。重甲冑の格闘戦も然り。「
だが、不意にクラウンが鉄塔を振り返り、堀を覗き込んで顔を顰めた。重甲冑の中のシグルドでさえ周囲の空気が変わるのを感じた。それは意識外のノイズの空隙、息を殺すような微かな振動の断絶だ。竪穴の底の
堀を覗く重甲冑の補眼に視覚外補正の光点が灯った。奥底の暗闇が、ひとつ、またひとつ色域外の探知光で埋め尽くされて行く。施設からの給電、あるいは投射砲の電磁波を危険と認識したのだろうか。機獣はそれを
「敵性反応、感。状況開始」
伝声管に宣言すると同時にシグルドは竪穴に榴弾を投擲した。状況が少し早まっただけだ。問題はない。行動はまだ予定の通り、このまま
シグルドはクラウンの腕を掴み引き摺るように距離を取った。くぐもった金属質の破裂音。悲鳴と悪態が耳を素通りする。生身の腕はまだ握り潰してはいない。運が良ければ脱臼程度で済むだろう。いずれ
爆煙が縦に吹き上がる。鉄塔の足下に鉄の雨音が鳴る。もう一方の鉄塔からも破裂音が響いた。急な合図にも関わらず、ネルソンの行動には遅滞がない。シグルドが次の投擲角を定めるや、穴の縁に金属肢が覗いた。
薬式兵器は当り所の運次第だ。残りの榴弾を躊躇いなく撃ち出し、シグルドは腕を振ってクラウンを後ろに放り出した。悪態が聞こえるからには無事だろう。シグルドは背にある磁性の固定具を解き、張り付けた槍を取る。鉄の毒蟲を潰す作業だ。
機獣が穴から這い出して来る。泥と鉄錆に汚れた爪を突き、地面を掻くように身を起こす。機体に吊った鉄の板が鳴った。円筒形の身体に半円形の頭。
最初の一機がシグルドを見るよりも迅く、槍先は鉄片の隙間から胴を射抜いていた。機獣の息の根を止めるには、炉心殻への導管を断つか頭の下の中枢盤を潰すほかない。後の素材回収を鑑みても、近接戦闘で潰して行くのが効率に優る。
槍先を薙いで鉄塊を穴に投げ落とし、擦り抜けようとした
いったいどれほど潜んでいたのか、想定よりも数が多い。
伝声管にネルソンの指示が飛んでいる。映写盤を横目にヴィヴィの回収車が格納庫から走り出るのを確認した。アルヴィンの投射砲に動力線の中継が繋がり、支援範囲が拡大したのだろう。映写盤の下の液柱計を覗き見て、シグルドはハスロを呼んだ。
『そこの馬鹿を放り出して、動力をくれ』
伝声管のシグルドの声に、フリーダ・ハスロは充填済みの蓄動器を担いで車両を取って返した。シグルドまで伝動線を延ばすのは難しい。そもそも包囲された状況での有線格闘には無理がある。当座のシグルドの動力は、これで持たせるほかにない。
ハスロは岩棚を駆けて渡りつつ、はてシグルドの言う馬鹿はどこかと頸を巡らせた。彼女の軽甲冑はシグルドのそれと異なり、人の動作を補完する仕組みだ。膂力の高い機動甲冑とはいえ、着衣と同じで操作にあたる動作はほとんどない。
正確には、重甲冑にも内鎧として同型の軽甲冑が格納されている。構造的には軽甲冑に装甲具を被せたものが重甲冑だ。装甲具それぞれに大型の炉心殻と武装を備え、太い導力管が束になって詰まっている。そのため出力は桁違いだ。
左翼の鉄塔の掘の縁に、小山に取り付く餓鬼の群れがあった。シグルドの重甲冑だ。そんな状況であれ、シグルドにとっては服に付いた蟻を払うようなものだろう。それを遠巻きに眺めて、手から鎖を垂らした男が所在なさげに突っ立っていた。
なるほど馬鹿と言われても仕方がない。まるで芝居小屋でも覗いているようなその姿にハスロは納得した。シグルドを歳相応に苛立たせたのは中々どうして見所はあるが、常に巨人と睨み合うマグナフォルツの北西部で生き残るのは難しそうだ。
ハスロはクラウンの背中に駆け寄った。シグルドの一撃で跳ね散った
「いきなり何だ」
頸を捻ってクラウンが見上げる。クラウンを押さえ込んだ甲冑は、シグルドに比べて人の形身のままだ。背丈も人とそう変わらない。ただし、増強された筋力は生身の比にならず、押さえ込まれたクラウンが足掻いても視界に入るのは胸甲だけだ。
「ここにいると邪魔だ」
言葉はシグルドの重甲冑より聴き取り易く、相手が女だとクラウンにもわかった。そう思って見上げれば、甲冑の凹凸も体形に沿って見えるから不思議だ。気後れしたような視線に気づいて、ハスロは呆れたような声でクラウンを詰った。
「おまえ、この状況がわからないのか」
襟首を絞められ、伸し掛かられた状態で、クラウンは器用に肩を竦めて見せた。
「どうもこの国は乱暴者が多いな」
クラウンの悪態は思いのほか平静だった。否、まるで緊張感がない。馬鹿か賢者か判じかねる男だ。これは恐らく顧問のベルタと同じ類だ。煮ても食えないタチの悪い人種だとハスロは悟った。なるほどシグルドには理解し難い相手に違いない。
「隊長がおまえを助けろと仰せだ。有難く思え」
そう言って、ハスロは襟首を掴んだままクラウンを片手で引き上げた。馬鹿であろうと戦場に放置する訳にはいかない。このまま加工場跡に監禁するか、万一を考えて車両に放り込むべきだろうか。面食いのヴィヴィには丁度よいかも知れない。
「俺だって居たくて居る訳じゃない。何を言ってもあいつが聞きやしないんだ」
クラウンのぼやきにハスロも内心は同意した。巨人や機獣を相手にしたシグルドはネルソンさえ及び腰になるほど凶悪だ。ただ、そんな鬼神の如きシグルドを見て、まだ声を掛ける機会を伺おうとするクラウンの神経も人としてどうかしている。
「言いたいことがあるなら後で聴く」
「向こう岸からデカいのが来るぞ。せいぜい後があったら聴いてくれ」
「デカいの?」
ハスロは思わずクラウンの襟首を掴んだまま渓谷が見通せる位置に走った。首の絞まったクラウンは暴れるが、それどころではなかった。白煙にけむる鉄塔の先、溪谷の向こうに目を凝らす。谷を渡る鋼索を辿って、吊られたゴンドラを見た。
気づけば黒い雲霞が纏わり付いていた。巨人の眼、
その銀色の半身は、重甲冑の二倍の上背がある。
『渓谷側、
焦ったハスロの声が伝声管を走り、割れた鳴音が尾を引いた。
一拍、皆の時間が止まる。
映写盤の中継枠が同じ映像で埋まって行った。全員の眼が同じものを見ている。吊られたゴンドラに乗る巨人。その絵面こそ滑稽に映るが、対峙する相手としては致命的だった。綿密な戦術があってさえ、分隊単騎が狩るには賭けになる代物だ。
曲面の装甲が幾重に噛み合い巨人の体躯は分厚く膨らんでいる。頸はなく、肩に埋まった面覆の中に幾つもの眼が巡っていた。特徴的な無数の指こそ今は隠れて見えないが、起立した甲殻類のような姿は明らかに
『綱を切れ、早く』
ネルソンが車両のアルヴィンに向かって叫んだ。巨人の装甲は抜けないが、鉄塔の上の鋼索ならば断つことができる。ヴィヴィの捨て鉢な悲鳴と共に車両は崖の縁に躍り出た。射線を確保するためだ。荷台の青ざめたアルヴィンが動力線の尾を手繰る。
「隠れていろ。出て来るなよ」
ハスロはようやくクラウンに気づき、掴んだ襟首を突き放した。シグルドはまだ
「何度やれば気が済むのかな」
独り放り出されたクラウンは、岩棚の騒乱をぼんやりと見渡した。肩を竦めて嘆息すると、まだ戦闘糧食の包みは残っているだろうかと倉庫に向かって踵を返した。
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