第2話 門口

「あーあーあー」

 不意に男は横を向き、枯れた声を張り上げた。咳払いをひとつする。

「俺の話は通じるか?」


 男は床に座り込んだまま、壁に背を預けてそう訊ねた。痩せた男だ。針金細工のように手脚が長く、肉付きが貧相で頼り気がない。見れば両手首に手枷が嵌められていた。伸びた鎖は頭上で二ヵ所、急拵えの金具でしっかりと固定されている。


 鬱陶しい前髪に隠れて目許はよく見えないが、男は思いのほか若かった。線が細く、だが輪郭は硬い鋭角で、尖った顎には疎らな不精髭が浮いている。身に着けているのは国軍の支給服ではなく、魔術師の胴衣に似た長い灰色の外套だった。


 勿論、見目に魔術師からはほど遠い。あえていうなら盛り場の客引きだ。

「何とか言いなよ。やっぱり巨人ギガスか?」

「何者だ」


 言うに事欠いてと舌打ちし、シグルドは誰何で男の口を遮った。重甲冑の鳴らした音量に、男が思わず首を竦める。知らず大声が出たようだ。甲冑に備えた外向けの発声管は、割れて聴き取りにくいうえ、肉声に対応するため調整に難がある。


「こちらは北溝デルタ七八分隊だ。救難要請で立ち入った。ここで何があった?」

 喉に残った苛立ちを宥めて、シグルドは改めて茫洋と見上げるその男に問う。

「何だ、兵隊か」


 男は無意識かも知れないが、シグルドにとってはいちいち棘のある言葉を返す。

「連邦認可兵だ」

 男は小首を傾げて口を曲げ、暫し考え込んでから、はたと嬉しそうに顔を上げた。


「ああ、猟兵ってやつだな。なるほど」

「質問に答えろ」

 男はまた顔を顰めた。


「乱暴な奴だが、まあいいや」

 一拍むっつりと間を置いて、拗ねたように息を吐く。

「最初は大勢いたが、どたばた騒いで、みな消えた」


「消えた?」

「少し前にな」

 男の話は何やらさっぱり要領を得ない。


 救援要請は確かにあった。ただし、発信は何かの拍子に再生された可能性もある。ならばこの男はいったい何だ。いつからここにいるのだろう。懲罰を受けた囚人にしても、こんな馬鹿げた様はない。拘束が雑に過ぎる。まるで獣の扱いだ。


「敵は?」

「巨人のことを言っているのか? それとも俺をここに繋いだ将校のことか?」

 惚けた顔で言って、シグルドに手枷を振って見せる。


「何があったかなんて俺に訊くなよ。この様でわかる訳がないだろう?」


 蹴りたい衝動を辛うじて抑え、シグルドは大きく息を吸い込んだ。惚けた口許、

前髪の向こうに覗く悪戯な黒い瞳が、どうにもシグルドを苛立たせる。胸元がざわついて冷静でいられなかった。この男とは根本的に相性が悪いに違いない。


「おまえ」

「クランだ」

 苛立つシグルドを遮り、悠々と男が名乗る。


「いやクライン、は駄目だ。ええと、そうだなクラウンだ。クラウンと呼ぶといい」


 指摘する気力も失せるほど、あからさまに怪しい。クラウンは子供のような顔で笑っている。まるで意味がわからなかった。シグルドの混乱と苛立ちに拍車が掛かる。ただひとつ、このまま関わっていては行動に支障を来す。それだけは確かだった。


「了解した、クラウン」

 そう言ってシグルドは映写盤を切り替えた。

「ずっとそこで繋がれていろ」


 ようやく伝声管に意識を戻し、シグルドはネルソンに呼び掛けた。

「今から溪谷側に出る」

『今のところ生存者その男だけだ。尋問を続けないのか』


「知るか、こいつはただの阿呆だ」


 きょとんと見上げるクラウンを見捨て、シグルドは騎体を倉庫の開口に向けた。戸口に備えられた重機用の把手を探す。扉の横に並んだ巻き上げ扉が、溪谷から吹く強風に煽られて微かに波打っている。こんな所にどれだけ独りでいたのだろう。


「あ、待て。こいつを外してから、」


 慌てたクラウンがシグルドを追い掛け、繋がれた鎖に引かれて背中から転んだ。後背を映した映写盤でその様を一瞥し、シグルドは鼻を鳴らした。ふと緩んだ自分の口許に気づいて頬を強張らせる。重甲冑の腕を繰り、渓谷に続く扉を引き開けた。


 視界が青く突き抜けた。吹きつける風が装甲を擦り過ぎる。一見して敵影はどこにもなかった。遠くに灰色の山稜と空。目線の高さで溪谷の向こう岸まで見渡せる。足許は開けた岩棚、その先は断崖だ。目についたのは二基の巨大な鉄塔だった。


 岩棚の中ほどに建つそれは、電信塔にしては形が微妙だ。根元の部分が深く掘り下げられ、太い格子で組まれた基部が剥き出しになっている。基礎がまだ埋め戻されてもいない状態だった。これほどのものが施工の途上で遺棄されたのだろうか。


 シグルドは鉄塔の先を見た。柵さえ設けず、渓谷が口を開けている。人と巨人を分かつ境界は、思いのほか狭かった。確かに地図の大裂溝は、幅もわずか十数メフト。地続きであれば二〇歩に満たず横断できる。もっと遠いと思い込んでいた。


 さらに渓谷の向こうに目を遣れば、眼前に建つ鉄柱と同じものがある。上端に渡された幾束もの鋼索に気がついた。どうして思い至らなかったのか。ようやくシグルドはこの施設の意図を理解した。国軍はここに橋を架けるつもりだったのだ。


 無意識的な距離感が架橋の可能性を避けたのか。知らず猟兵の見識に視野が狭められていたのか。あり得ない、その考えが真っ先に浮かんだ。巨人世界への進攻だ。マグナフォルツ連邦の掲げる言葉に沿うなら、人類圏の奪還を意味している。


『軍の連中、いつの間にこんなものを』

 ネルソンの割れた声がした。呆れたような、苛立つような。大方の猟兵はマグナフォルツ連邦国軍を国軍と呼ぶが、ネルソンだけは古巣をただ「軍」と呼び捨てる。


 猟兵と軍隊は根が異なる。誰が命を管轄するかで二者は異なる。それがネルソンの持論だった。シグルドの父と共に国軍を退役し、七八分隊を立ち上げたのが父とベルタとネルソンだ。彼が国軍に使う言葉には、シグルドに推量れない含みがある。


 シグルドは崖の縁に沿って視界を巡らせた。綺麗に切り落とされた断崖は、渓谷に向かって浅い半円形を描いている。崖の両端は施設の壁が縁まで迫り出し、岩棚を囲んでいた。シグルドの覗いた遠く向かい側の壁に、重甲冑と軽装甲が歩み出る。


『これはまた大層な代物だ。開通したら、どれほど通行料を取る気でいたのかな』


 カッセルが呟いた。分隊では経理を盾にベルタを負かせる唯一の人材だけあって、彼の視点もまた少し特異だ。確かに国軍が溪谷の先に新たな進攻拠点を設けたとしたら、猟兵に課せられる税は馬鹿にならないだろう。ただし獲物も大きいはずだ。


「先はともかく、今はもっと高くつく」

 シグルドは呟いた。国軍の機密案件に触れた以上、先を思うと気が滅入る。

『これは、面倒に巻き込まれましたな』


 ネルソンの声も気難しげだ。この行動を決断する際、最後まで渋ったのが彼だった。巨人の地を見たいと言うシグルドに押し切られたことを後悔しているのだろう。しかし他の隊員からすれば、ネルソンがシグルドの我儘を聞かないずがなかった。


『わざわざ助けに来てやったのに、そりゃあない』

 ネルソンの口調に察してアルヴィンが泣き声を挿んだ。


 救援要請を出す事態は起きたかも知れない。だがその時はとうに過ぎ、既に収束して久しいのだろう。残されたのは建設途上の橋梁だけだ。シグルドはその理由を思案する。巨人襲撃の痕もなく、予算か方針の転換か。ならばクラウンは何なのだ。


 渓谷の向こう、巨人の領土に目を遣れば、二基の鉄塔には梁が掛かっている。渡された鋼索の先には巨大な箱が吊るされていた。恐らく輸送用のゴンドラだ。建設資材を運び込むために使っていたのだろう。何故か巨人の側に放置されたままだ。


『隊長』


 呼び掛けるネルソンを制し、シグルドは微かな予感に従って鉄塔に近づいた。周囲は基礎鋼材の深い穴だ。収音板が音を選る。風音に混ざって微かに鉄を擦る音がする。深く掘り込まれた穴の縁に立ち、シグルドは腕先の補眼で縦穴を覗き込んだ。


 映写盤に覗くのは深く入り組んだ鉄骨の檻だ。柱の影が幾重に掛かり穴の底までは見通せない。鋼材の隙間の暗闇が、ふと泥地に足を踏み込んだように畝った。映写盤に眇めたシグルドの視線に反応して補眼が絞られる。その先の像を結んだ。


 竪穴の底に、無数の板金鬼ゴブリンが蠢いていた。


「敵だ」

『敵性認識は』

「今はまだない。炙り出す」


 映写盤を睨んでシグルドは言い捨てた。こと板金鬼ゴブリンなど下位の機獣が敵対するのは、機体に与えられた優先行動オーダー次第だ。触れない限りは人を無視するが、場合によっては即、戦闘になる。ネルソンが反射的にシグルドに問うのはそういう意味だ。


『待て待て待て。奴らがまだこっちを見ていないなら、準備を整えてからだ』

 シグルドを制しながら自身はもう一方の鉄塔に向かって駆けている。見掛けにそぐわぬネルソンの慌てた声に、シグルドはしぶしぶ榴弾を射出口に留めた。


 板金鬼ゴブリンはどこにでもいる機獣だ。巨人の眷属ではあるが、武装した猟兵に取って数以外の脅威は少ない。厳密には巨人と機獣にも明確な境はなく、巨人種も大きさによる区分はなかった。人型で強靭、知能の高いものが巨人と俗称されている。


 ネルソンは車両で待機するヴィヴィとアルヴィンにも指示を飛ばした。カッセルが建物に走って行く。格納庫の開口と施設の動力を確保するためだ。車両には固定式の投射砲がある。充分な動力さえ用意できれば、薬式弾頭より有効な支援兵装だ。


 巨人、機獣の装甲は硬い。その名の通り、板金鎧のように身体中に鉄片を纏う板金鬼ゴブリンは特にそうだ。威力の低い薬式榴弾に殲滅までは期待できない。巨人やその眷属に有効な一撃は、結局のところ装甲を掻い潜った急所へ近接攻撃だけだった。


『隊長、国軍の施設を壊すと高くつきますよ?』

 焦れているであろうシグルドを察して、カッセルが口を挿む。

「放って置いても奴らの餌になるだけだ」


『ヴィヴィ、車を回せ。アルヴィン、早く砲の動力線を引いて来い』

 ネルソンが急かした。機獣を前にシグルドが聞かないのはみな知っている。

「ハスロ、アルヴィンとヴィヴィの支援を」


 シグルドは加工場跡から飛び出して来た軽甲冑に声を掛けた。岩棚への直通扉を見つけたらしい。大喰らいの投射砲は、動力さえあれば蓄動器の遣り繰りで連射ができる。ただし、それ以上に砲身が持たない。交換の手際はハスロが最も効率的だ。


 奴らが橋脚の下で何をしていたにせよ、まずは榴弾で穴から追い出し、後は個々に潰して行くだけだ。冑の下のシグルドの表情は、好戦よりも嫌悪に近い。投射砲で削りつつ、倉庫に追い込めば殲滅も楽だろう。そこまで描いてシグルドは呻いた。


『隊長?』

 不意に黙り込んだシグルドに、ハスロが怪訝な目を向ける。

「少し待て。忘れていた」


 珍しく動揺した素の声を上げ、シグルドは倉庫に向かって駆け出した。

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