鋼のエルフ
marvin
第1話 前哨
マグナフォルツ連邦、北西部。切り立つ台地の東端に、蛇行する巨人溝のひと枝があった。最奥、北二一一支道では明朝に大規模な討伐戦が展開される予定だが、第七八分隊は未だその道の途上に駐留していた。辺りには、補給車両の一台もない。
本来、そこには行き過ぎる轍しかない。目的の北二一一支道は、まだ道程も多くを残している。到底、作戦開始には間に合わなかった。とはいえ、立ち往生の原因は本末転倒以外の何物でもない。顧問に捩じ込まれた装備の調整に手間取ったせいだ。
戦場となる北二一一支道では、
かくして戦端に入り損ねた分隊の六人は、身構えた分だけ落胆も大きかった。手ぶらで帰らざるを得ない気の抜けた空気も手伝って、不貞寝を決め込んで夜を明かしている。マグナフォルツ連邦国軍からの救助要請を受けたのは、そんな折だった。
天中に霞んだ陽もまだ朱い明け方のことだった。明確な宛もない、詳細な説明もない、いびつな電文を三度だけ繰り返し、その救助要請は唐突に途絶えた。示された場所は北二〇七支道の終端だ。分隊の留まる現在位置からは、そう遠くなかった。
恐らく七八分隊が受信したのは偶然だろう。本来の宛ではなく、討伐戦の部隊に期待した電文でもない。知る限り、この辺りには国軍はおろか、民間部隊の駐留も記録にない。そもそも北二一一支道に至る他、この巨人溝には有用な狩場がなかった。
ともあれ、そんな状況で彼らが腰を上げたのは、暇と好奇心が動機だった。七八分隊は民間猟兵だ。巨人とその眷属を狩って録を食んでいる。連邦認可兵とはいえ、決して国軍と仲がよいわけでもなく、本来は意味不明の救助要請を受ける義理もない。
興味を惹かれたのには理由がある。救援場所の北二〇七支道の終端は大裂溝の縁だ。国軍の直轄地であり、ほとんどが未踏で公布図にも詳細な記載がない。当然、民間猟兵の立ち入りは許可されていなかった。緊急要請のない平時なら拘束案件だ。
巨人の台地を南北に伸びる大裂溝は、公布図の終端であると同時に人類圏の終端でもあった。わずか十八
行ったところで形ばかりの観測基地があるだけだろう。救援要請も発信機の故障か何かで、無駄足の可能性も多分にある。それでも彼らには時間があり、そうするだけの関心があった。北方の未踏地は、七八分隊の由来にも関わっていたからだ。
*****
北二〇七支道の渓谷を登る斜面は急で、分隊の駆る大型車両は幾度もつづら折りを切り返した。そのたび操舵席の二人は端に寄って潰れ、互いを押し退け合っている。ハンガーに固定された残りの四人も、甲冑の中の生身は似たような状態だった。
それでも、行程は想像以上に難がない。操舵手のヴィヴィがひっきりなしに愚痴を零すにせよ、まだ通常運行の内だった。ほぼ垂直に近い溪谷の内壁にも拘らず、路面は硬く整備されたかのように平らで、道を塞ぐ機獣も一向に現れる気配はない。
ヴィヴィ曰く、分隊の車両は非常に操舵に気を使う。重甲冑を二騎、軽甲冑を二騎も積んでおり、足回りこそ強いが、荷台は起重機を吊した支柱に幌を掛けた程度でしかない。せいぜい風雨が凌げるだけの非装甲車両だ。過積載の割に脆いらしい。
そもそも七八分隊は装備過多だ。単騎行動の機材は多く、帰路はさらに破壊した機獣も詰め込まねばならない。兵員運搬用の車両にも関わらず、回収車と呼ばれるのはそのためだ。身体の揺れる隙間があるのは、むしろましな状況だとも言える。
吊られた重甲冑の中で揺れながら、シグルド・カルネウスは回収車の補眼を繋いでで周囲を確かめた。登坂路は延々と畝って続くが、方角は概ね西を向いている。気になるのは路面に残る古い轍だ。運搬車と思しき乾いた跡が幾筋も刻まれている。
当然、この辺りは主戦場から遠く外れており、付近に国軍の往来記録はない。あくまで公開された記録がない、に過ぎないが。シグルドは最初、救援要請の出所は辺鄙な観測基地だと考えていた。だが、気配が怪しい。予想は早計だったかも知れない。
歩哨のいない検問を越えると、斜面の上の晴天の隅に塀の突端が覗いた。だが、進むにつれて、それは異様な高さにまで伸びて行く。気づけば一面が灰色の壁に覆われていた。施設を覆う目隠しのつもりか、塀の全景は城壁ほどの高さがあった。
登頂した先は切り通しを拡げた平地だった。端まで塀が塞いでいるため、この先にあるはずの溪谷はおろか、どんな施設があるのかさえ見通せない。ただ、想像以上に広かった。固く封鎖された搬入口を見上げ、皆はしばし一様に顔を顰めていた。
現在位置と公用図を照らし合わせて見れば、大裂溝の縁まではまだ距離がある。それなりの規模の施設は入る広さだ。勿論、今となっては国軍の地図がどれほど信用できるだろう。この塀の内側に何があったとして、そもそも公用図にその記載がない。
「厄介事の予感しかしねえ」
ヴィヴィの隣で計器盤に突っ伏し、砲兵のアルヴィンは呻くようにそう呟いた。
*****
北溝デルタ第七八分隊はマグナフォルツ連邦国に認可された民間猟兵隊だ。国軍と同様、猟兵もまた国家のために巨人とその眷属の殲滅を建前にしている。とはいえ、巨人素材の換金で自らを維持するという、矛盾の上に成り立った存在でもあった。
彼らは分隊の名が示す通りの最小編成で、主要な人員はわずか六名の兵員と技術顧問だけで構成されている。共同戦線では遊撃編成を主としているが、単騎行動も数多く、列強の傘下になくとも独立して活動を維持できるほどの実績があった。
ただ、その理由は少々反則気味だ。マグナフォルツの首長家に連なる技術顧問ベルタ・リンドブロムの人脈で最新装備を潤沢に揃えることかでき、しかも叩けき上げの退役軍人イクセル・ネルソンの指揮指導が実力以上に戦力を底上げしている。
当然、妬む声も無いではない。だが、二〇体に及ぶ
勿論、部隊としてバランスが良いとは言い難い。兵員の拡大より実験装備の投入を優先する経営は偏りが過ぎた。この編成で巨人特化の重甲冑を二騎も擁する自立分隊は他にない。結果、単騎の戦力は群を抜いているものの、稼ぎどころが限られる。
これはひとえにベルタの趣向に因るところが大きかった。彼女は首長家の人脈を盾に国軍工廠の中枢と繋がり、装備実験を請け負っている。技術顧問と称して七八分隊を私設の実験部隊にしていた。元を辿れば今回の遅延も彼女の装備過多が原因だ。
彼女の実験で分隊が散々な目に合ったのも一度や二度ではない。とはいえベルタは分隊の主柱だ。今回の事に関しても、皆は「またか」と頷くしかなかった。逆に、文句を言いながらも彼女の傲慢に耐えられる人員だけが今の分隊に残っている。
だだ七八分隊のほとんどが、組織から弾き出され、他に行き場のない者で構成されているのも強固な定着率の理由のひとつだ。そこに少数編成の成り立ちを加えるとすれば、年少の隊長シグルド・カルネウスの性格も状況に輪を掛けていると言える。
シグルドはまだ十代の後半だが、生真面目が過ぎて馴れ合いが一切なかった。無頼の多い猟兵にあって、これが非常に絡み辛い。国軍の杓子定規に反発する者も多いから当然だ。しかもそんなシグルドに、何故か分隊の皆は無自覚に過保護だった。
優秀すぎる変わり者。それが他の猟兵たちの、七八分隊に対する現状の評価だった。
*****
「自分とハスロは左翼中央から、ネルソンとカッセルは右翼に棟内に入る」
伝声管にそう告げて、シグルドは起重機に吊った騎体を落とした。小山のような鉄塊が荷台を滑って地面を踏む。重甲冑はおよそ三
巨大な灰色の塀を潜った内側には、積載場と思しき広い空き地を前に挟んで、高天井の巨大な棟が続きで三棟、渓谷を覆い隠すように左右に連なっていた。人の気配はまるでないが、一見したところ、建屋の外観に破損や戦闘痕は見当たらなかった。
「アルヴィンとヴィヴィは車両で待機」
シグルドは皆を姓で呼ぶ。本人曰く、それは戦場に立つ際の線引きであるらしい。とはいえ、まだ歳の近いヴィヴィと性格の砕けたアルヴィンに関しては、再三の説得の末に押し切られてしまい、こうしてシグルドに名で呼ばせることに成功していた。
もっとも、シグルドにとっての母代わり、否、姉代わりの(そう呼べと強要される)ベルタ以外は、線引きと言いつつ日常でも皆を姓で呼んでしまっている。要は呼び変える切っ掛けを見失ったのだ。往々にしてシグルドはそんな不器用が過ぎた。
ただ、もうひとつの習癖だけはシグルドも頑なに譲ろうとしない。そのため今なお多くの猟兵がシグルドを誤解している。だが、こればかりは皆も諦めていた。むしろ七八分隊だけの秘密として共有している。ある種、親族的な絆もそこにはあった。
シグルド、ハスロに続いて、ネルソンとカッセルも車輌を離れた。機動甲冑を駆る二組が分かれて棟の両翼に近づいて行く。未だ建物からの反応はなく、辺りに動くものもない。渓谷の風が塀の鋼板を叩いて回る、その音だけが辺りに響いていた。
シグルドの前に立ち、ハスロが中央棟の錠を切って大扉を引き開けた。右翼の建屋に到達したカッセルが手を振った。ヴィヴィが轍の跡を越え、予定通り車輌を建屋に寄せて行く。ハスロを下げ、シグルドは陽光に影を落として棟内に踏み込んだ。
中はぽかんと空いていた。床や四方に設備を剥がした跡はあるが、襲撃の痕跡はない。やはり投棄された施設のようだ。救援要請は誤作動だろうか。いずれにせよ、人の襲撃という最悪の状況ではなさそうだ。火力の違う対人戦は寝覚めが悪い。
シグルドとハスロの入った中央の建屋は、工場跡のようだった。設備は大方なくなっているが、何故か動力だけはまだ残っている。巨人から得た大型の炉心殻だ。整備主任を兼ねるハスロは、大型施設用の加工場ではないかとシグルドに言った。
『国軍の秘密兵器工場、だったり?』
伝声菅に流れたアルヴィンの戯言は皆に全く受けなかった。国軍中枢は秘匿主義だ。この施設の不気味さからも、ありそうなところが笑えない。皆の無反応に焦れて隣のヴィヴィに絡んだものの、アルヴィンは軽くあしらわれた。いつものことだ。
シグルドのいる加工場跡は、隣接する左の棟に向いて幾枚もの巻き上げ扉が並んでいた。端には大型機器用の扉もある。重甲冑にも規格の合った幅だ。その場の調査をハスロ任せ、シグルドは重機用の把手を回して隣の棟に踏み入れた。
隣に比べて天高があった。広く、暗く、連なる天窓から射す光の柱に埃が舞っている。まるで黒々とした森の中に射す木漏れ日のようだ。どうやら左翼の端は資材倉庫のようだった。運搬軌条や吊られた起重機の他は、こちらの棟にも何もない。
壁面には棚が幾つか残っていた。一見したところ日常の備品や食料と思しき梱包が残されている。ただ、ここにも加工場で使うような大型の資材は見当たらない。床の跡を見る限り、何かがあったのは間違いない。撤収、あるいは使用した後だろうか。
「倉庫は空だ。戦闘痕もない」
伝声管に呟いて、シグルドは倉庫を横切った。奥の壁にも巻き上げ扉が並んでいる。天窓の光は眩しいほどだが、辺りを照らしきるには薄暗く、倉庫の中は光と闇の落差が大きかった。頭上だけがただ明るく、周囲には闇が澱んでいる。
『こちらは中隊規模の格納庫を見つけた。残機も整備員も残ってはいないが』
ネルソンがシグルドに応じた。枯れた声が割れている。伝声管は薄紙を通したようにくぐもって聞こえた。それでも内向きの通信はまだましな方だ。外に向いてはなお酷い。ただでさえ潰れたネルソンの声は、怒声以外は聞き取れないだろう。
勿論、幼い頃からその声が耳に馴染んだシグルドは別だ。父の友人だった国軍の元大佐は、ベルタと共に両親亡き後のシグルドの庇護者だった。大柄で無口で隻眼の強面だが、その初見さえ乗り切れば、ネルソンはシグルドより人との距離が近い。
『上の指揮所も無人ですね』
カッセルの声がした。右翼の二人は、こちらにない階層で手を分けたのだろう。
『でも屑籠がそのままだ』
『こんな所でまで几帳面なことで』
カッセルの小さな独り言に、すかさずアルヴィンが茶々を入れた。二人の性格は正反対で、アルヴィンは何かとカッセルに小言を貰うことが多い。その仕返しでもあるのだろう。ただ、カッセルのそれは施設の撤収が急だった可能性を指摘したものだ。
『どうやら信号は自動発信のようですね』
アルヴィンの合いの手をいつものことと切り捨てて、カッセルが続ける。
『動力が復旧した拍子に流れたのかな。最初に出たのはずいぶん前のようですが』
『じゃあ、誰が復旧させたのって話でしょ』
再びアルヴィンが食い付くのを聴きながら、シグルドは倉庫を端まで歩いた。今度は的を射ている。右隅に並ぶ巻き上げ扉は、断崖の方を向いていた。溪谷までの平地はそう広くもないはずだ。中途半端な開口もそうだが、施設の目的がわからない。
『こちらも扉を見つけた。一旦、溪谷側に出る』
どうやらネルソンはシグルドと同様に溪谷を向いているようだ。薄ぼんやりと外光の滲み出た巻き上げ扉振り返り、シグルドは辺りに重甲冑の眼を走らせた。
「こちらも、」
言い掛けて映写盤に目を止めた。埃の柱が射す壁際に男がひとり蹲っている。シグルドは息を詰め、次いで嘆息した。歓迎を期待していた訳ではないが、最初の相手が死体とは。だがシグルドが近づくと、男の垂れた黒髪が微かに揺れた。
重甲冑の懸架装置が吐く排気に関係なく、男は自力で身じろいでいる。顔を上げた。凍りついたシグルドの沈黙を怪訝に思ったネルソンが、何があったのかと問い掛けている。男の前髪の奥で目線が彷徨う。眼前の重甲冑に沿って顎を反った。
「おや、これは人かな?」
少し掠れた声で呟く。剥き出しになった白い喉がシグルドの目に焼きついた。
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