【終着 エピローグ】

——翌年、九月 


 喜一の墓参りに千奈さんと来ていた。八月はお互いの都合が合わなかったのと、法事が落ち着いてから行きたかったのが理由で九月に行くことにした。夏も終わり、急に秋らしく風が冷たくなった。それを感じると虚しくなってしかたがない。

 墓参りなんて去年以来だろうか。いやもっと前だ。去年は俺も千奈さんも行こうとしていた。けど喜一に合わす顔がなかった。祭りのとき、いろんな出来事があったせいで、煮え切らない水みたいな中途半端な感情が渦巻いた。それで結局行く気がしなかった。親友の墓参りすらできないなんて、親友を名乗る資格なんてないな。今年こそ、しっかり会ってやろう。リベンジくらいしてもいいだろ、なあ喜一。

 坂を登って木下にいる地蔵を通り過ぎる。そこからさらにもう一段奥に行く。数度しか来ていないけど、墓の場所はちゃんと覚えているもんだな。久々に訪れた喜一の墓は手入れがほとんどしていた。ところどころ葉っぱが落ちている。

 千奈さんが落ち葉やゴミを片付けて、俺は持ってきた水で墓石を綺麗にする。柄杓ひしゃくで水をすくって上から垂らす。灰色だったそれは水に濡れて黒い光沢を放った。そこに映る俺の顔はなんとも歪んでいた。

 枯れた花を取り替える。線香に火をつけると白い煙がスッと上へ昇った。これで喜一にも届くだろう。ふたりで手を合わせてお参りをする。

「今年はなにもなくてほっとしました。もしかしたら俺らのだれかがって、心のどこかで思ってたので」

「まあ二年連続であんなことがあったからね。葵くんの気持ちもわかるよ。確か、椿さんのお墓もここにあるらしいわよ。場所まではわからないけどね」

 死亡事故があいついだため、今年のお祭りは時間が大幅に変わった。境内での餅まきもなくなった。安全第一なのは理解しているけど、少し寂しかった。今年は千奈さんと兄弟たちと一緒に出店をまわれて正直嬉しかった。兄弟たちはいつものようにはしゃいでいた。それに対して俺は少し静かだった。友人の死を話題に出すのは不謹慎、ということはわかっているけど、どうしても思い出してしまう。変な気遣いをしすぎて心が疲れた。多分千奈さんも同じ気持ちだったんだろうな。無理して笑っていたから。

 喜一が死んでからもう二年か。あっという間にときは過ぎる。去年の出来事も昨日のことのように鮮明に覚えている。

「千奈さん、俺らのしたことは正しかったんでしょうか。今になってもつい考えてしまうんです」

 あれは夢だったんじゃないかと思うときがある。俺や千奈さんは相当そうとう暴れたためそのまま留置りゅうちされた。後日、地元の人たちの協力もあって釈放となった。帰るついでに祭り会場に寄りたいと千奈さんがいい出した。そのとき俺も同じことを思っていた。行ってみたはいいけど、出店が撤去された祭り会場はなにもなくて、ただの道になっていた。それが一層俺らの虚無感をさかでる。

 一時的とはいえ、だれかのためにあそこまで必死になったことはないだろう。人が死んでいる手前、こんなこと口には出せないが、日常の非現実に充実していた。

 風の音がしばらく聞こえた。考えているようなのあと、千奈さんが手を合わせながら答えた。

「正しかったんじゃないかな。そうでも思わないと彼らが浮かばれないわよ」

 喜一の墓の前までいってしゃがみ込んだ。線香の煙をただじっと見つめている。その背中は小さくて幼くて、胸が苦しくなる。目の前の墓は今まで一緒に遊んできた友人のもの。ずっと想いを寄せていた人のもの。俺が入っていけない空間がそこにある。ため息をつくと線香の煙が乱れた。そして何事もなかったようにまた上へ昇っていく。

「やっぱり勝てないわね。君の彼女には」

  すっと立ち上がり振り向いた千奈さんは絶念の笑みを浮かべていた。寂しいような清々しいような。彼

「千奈さん、今なんて言ったんですか?」

「内緒」

  ポンッと俺の肩を叩いて喜一の墓をあとにしよう片付けを始める。気になるけどもう一回聞くようなことじゃない。千奈さんに合わせるように、俺もおけに入った残りの水を草木に与えて帰る準備をする。

「またくるからね」

 喜一に挨拶をして、駐車場に向かう。しかしふたりの足取りは足枷がついているかのように重たかった。ここまで引きずるなんて思いもしなかった。昔からの馴染みだからっていっても、もう二年経ってんだぞ。なんでこんなに胸に引っかかるんだ。俺が守れなかったような、俺のせいで死んだような、そんな罪悪感が心の奥深くに根付いている。

 風が止んで、湿気しっけのない空気が体を包む。静寂に包まれると、ついまた考えてしまう。そのとき、千奈さんが唐突に思い出したように声を出す。

「というか、同じ大学に入ったんだし千奈さんじゃなくて千奈先輩じゃない?」

「それだけは絶対に譲らないです」

「ちょっと言ってみてよ」

「いやです」

 陽の光を探して光合成をするように、ぐっと背伸びをしながら「つまんないなぁ」と愚痴をこぼす。いつもつけてるライラックの香水がふんわり漂ってきた。ラッパスイセンの色気はどこへ行ったんだろう。最後に感じたのはいつだろうか。

 俺も俺で地面を見ることが多くなった。陽の光を探そうにも、花びらがピクリとも動かない。

「さてと、さっさといきますか。玲奈ちゃんが待ってるし」

「そうですね」

 俺も玲奈さんも結局引きずって生きていくんだと思う。表面上では世間体せけんていを気にして花を咲かせている。でもそれは造花に過ぎない。もっと深いところ、“真心”はずっと燻り続けている。

 ため息をついて俺も背伸びをしようとしたそのとき、突風が俺らの背中を押した——

 

“チリーン”


 風に紛れて鈴の音が響いてきた。立ち止まって振り返ってみると、木々がかさかさと揺れていた。まるで戯れているかのように葉を擦り合わせている。この感覚を俺は知っている。

 小さいころから変わっていない木苺きいちごの香り。感情が豊かでコロコロと模様を変えるアイビーの花びら。バラバラだったふたつの色は風に混ざって調和する。ふたりだけの香水。ふたりだけの世界。それが俺の渇ききった土を潤して、花びらをみずみずしくさせる。

 手を伸ばして触れてみようとした。でもそれは野暮だとすぐにわかった。去年の夏もこんな感じだったのかな。嬉しそうにため息をついて、口で弧を描いた。

「今のって……」

「賑やかな雁渡かりわたしですね」

 風は足枷を外してくれたみたいで、心なしか足元が軽い。秋の風は冷たく乾燥しているはずなのに、胸のあたりがじんわりと暖まった。

 千奈さんと目が合って沈黙する。ふふっふふっ。堪えられなくて俺と千奈さんは笑い出す。その笑い声に迷いはなく、秋天しゅうてんに高々と響いた。おかげで今まで悩んでいたことが嘘みたいに、清々しい気分になった。やっぱり最高だな、お前らって。最後にふーっとため息をついて改めて千奈さんを見る。

「千奈さん、帰りに尾美苗おみなえ神社寄ってもらっていいですか? なんだかふたりに会えそうな気がして」

 千奈さんは「ふふふ」と笑って、「私も」と返事をする。きっと同じものを感じたのだろう。顔を持ち上げて前を見る。青々とした空に筋のような雲が線を引いている。俺らが進む道、それを指し示している。

「じゃあな」

 じゃあな、土産話たくさん用意するからそこで待ってろよ。俺は喜一と最後の約束を交わした。あいつの分まで生きていこう。次会ったときは、夜が明けるまで語り合おう。お前がくれた勇気を忘れはしない。

 約束を胸に、言の葉を置いて歩き出した。 


「あ、そうだ。後期の教養きょうよう、葵くんと同じやつ選択したよ。しかも講義それだけ」

「まじっすか。千奈さん、もう単位足りてますもんね」

 俺は部活が終わってから本格的に勉強に励み、念願ねんがん叶って千奈さんと同じ大学に入れた。学科は違うけど、キャンパス内で会うと手を振ってくれるし、一緒にご飯を食べたりする。地元ではよく会っているのに、大学内で会うとなんだか初対面の人みたいに緊張する。それに千奈さんはファンがいるほど大学でも人気だった。だからかな、一緒にいると変な噂が立ってしまう。俺はいいんだけどね。

 そんなすごい人と知り合いなんだぞという優越感といろんな男にいい寄られている嫉妬心が俺を悩ませる。

「内定も決まったし、なにしようかな」

「旅行とかいいんじゃないですか?」

 大学生なんてあっという間に時間が過ぎる。千奈さんと学生でいられるのもあと半年だけど、体感はもっと早いだろう。そう思うとちょっと寂しい気もする。今まで学校が被っていたのは小学生だけだったし、そのころは彼女に対して恋心は抱いてなかった。それとも気づいてなかっただけかな。歳を重ねるとともに想う気持ちも大きくなる。千奈さんの喜一への愛もだんだんと理解する。

 喜一がいない今、千奈さんに告白するのは残酷だろうか。失恋したのも当然。元々喜一には彼女がいた。それでも好きだったっていうなら相当好きだったんだろうな。まあ数年間、片想いしている俺も言えたもんじゃないけど。

 告白はしたい。けど弱っているところに漬け込むみたいな罪悪感を感じてしまう。もうしばらく時間がかかりそうだ。

「いいねそれ。期待してるわよ。葵」

「え、今なんて?」

「ほら早くいこうー」

「ちょっと千奈さん!? 今なんてぇぇぇ!」


 * * *


 花の色はむせるあわの如し。俗呼ばつて女郎とす。戯れに名を聞いてだに偕老かいろうを契るといへり。

 老人、女郎花より


 約束、それは希望。

 約束、それは悪意。

 約束、それは力。


 人の心は混ざりに混ざり、乱れに乱れる。自分自身でもわからない“真心”が燻って感情が湧いてくる。そして長い年月を経てまとまりがでてくる。


 私は人生に後悔してない。

 俺は人生に絶望してない。

 

 古い神社の片隅で、とあるふたりの男女が契りを交わした。


 私が出会えてよかったと心から花を咲かせるのは、隣に座って髪の毛についた枯れ葉を取ってくれる彼にだけ。

 俺がずっとそばにいたいと心に根をはるのは、風でなびく髪を耳にかけて優しく微笑んでくれる彼女にだけ。


 春には桜が咲き乱れ、夏にはせみが鳴き、秋には紅葉が敷き詰められ、冬には雪が舞い降りる。

 季節が巡って一年、十年、百年とときが流れる。ふたりはいつまでもそばで寄り添い続けるだろう。それが彼らの契りだから。


 約束、それは固い絆。



 「約束の最終列車」 完


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