一番線【第五駅 終着】
祭りの終了を合図する
“ガラガラガラ”
俺と玲奈はおみなえ駅には向かわず、栂坂駅を目指した。人が多いのも理由だけど、このままあっさり帰るのは嫌だった。そんなとき、玲奈が「ちょっと歩こう」と俺の服を引っ張った。考えていることは同じみたいだ。
祭りへ行くときに通った道ではなく、踏切を越えて線路沿いを歩いた。栂坂駅の連絡橋を使うより、最初に線路を渡っているほうが楽だからだ。高校生、いや幽霊になった今でも、踏切を渡るときは少し緊張する。ガタンガタンと、キャリーケースのキャスターが線路の凹凸に引っかかる。無事に渡り切ったあたりで遮断機が音を立てて降りた。
「いやーそれにしても危なかったねぇ。もう少しでコミセン閉まるところだったよ」
キャリーケースの取っ手を引っ張りながら笑みを溢す。代わりに持とうとしても「いいよ別に」と返されてしまった。結局中身はなんだったのかわからないけど、今はもういいかな。中身が気になって成仏できないほど俺の心は幼くない。きっと俺に関係があろうがなかろうが、彼女にとって大切なものなんだろう。約束を果たすのに重要なものだったんだろう。
パタンパタン。タッタッタ。ガラガラガラ。
ひたすらに暗い道を歩く。唯一の光は街灯だけ。その街灯に照らされて影ができる。左は車道と民家、右は野原と線路。周りにはだれもいない。ノスタルジーな気分に浸るのに十分すぎる風景だった。チラチラと光る黄色い花も美しかった。街中を歩いているはずなのに
「ねぇ喜一、今日はなにが思い出になった? 再会以外で」
「なんだよ急に……」
「気になっただけだよ。ほら早く答えて」
「強いていうなら焼き鳥かな。あのときは気づいてなかったけど、死んでも食べれるんだなって思ってさ」
「なんだぁ風情がないなぁ」
「じゃあ玲奈は?」
「リンゴ飴! あれって二次元の食べ物だと思ってたから」
結局ふたりとも食にしか興味がなかった。それがおかしなほど面白かった。死んでいることを忘れそうになるくらい俺らの日常で、高校生活を懐かしんだ。教室での出来事、帰り道のこと、制服デートをしたときのこと。次から次へとアルバムのページをめくって語り合う。それを聞いているうちに本当に最後なんだなと漠然に思えてきた。降りる駅が近くなってから話が盛り上がるような、そんな感覚だった。
いつまでもこうして話をしていたい。でも今日を振り返ろうにも、出来事が多すぎて語りきれない。楽しかったこと、悲しかったこと、そのどれを切り取っても俺にとってはかけがえのない思い出だ。そういう言葉を彼女に伝えたい。
花を咲かせる玲奈。それにつられる俺。空を見上げて星を探す。今日はなんだか星が多いな。久々に星空を眺めていると吸い込まれてしまいそう。その壮大さに恐怖を感じたけど、それ以上に魅了された。そして玲奈を見て、手をしっかりと握る。
——玲奈でよかった。
「喜一、どうしたの?」
「なんでもないよ」
あたりは真っ暗で、顔の輪郭がぼやけていた。たまに車が通り過ぎるときがあって、ヘッドライトが玲奈を浮き彫りにする。もちろん、俺の影は映ってない。玲奈の姿だけがくっきりと照らされる。今日一日、ずっとそうだったんだろうな。好奇の目に晒されても、表情はいつもと同じ。俺のためということはわかっている。それでも嬉しい、と率直に喜べない自分がいる。感謝と懺悔が入り乱れる。
下がっていた目線をあげると、目の前からひと組のカップルが歩いていた。
「私たち以外にもいたんだね。それに制服だし。高校生かな?」
「懐かしいな。一年のときの花火大会かな、制服で行ったの」
引き出しに詰まった記憶を掘り出して共有する。あのときはお互いデートに慣れてなくて失敗したことも、今となっては笑い話。来年リベンジしようねと約束したのも、今となっては空約束。
さっきのカップルとすれ違う。向こうも楽しげに花を咲かせている。車道側を開けて彼らが通り過ぎるのを横目で見た。
——今のって……。
学ラン姿の男性は帽子をかぶり、ひと昔まえの自転車を押して歩いていた。セーラー服の彼女はおさげを垂らして上品に笑ってる。今の俺が見ても美人だと感じる。
「あ、喜一あそこ。なんか光ったよ。ほたるかな。さっきから黄色い光が見えてるんだけど」
玲奈が指さした草むらを凝視しても、ほたるはいなかった。玲奈は「残念だねぇ」と小悪魔な表情を浮かべる。
普段なら自転車でもおっくうになる距離だけど、今はむしろ楽しく感じる。言の葉が言の葉ををつないでひとつの大きな木になる。その木が風で揺れて耳を癒し、木陰を作って休ませる。無理して話をつなげようという気持ちはない。ただ俺らは自然体だった。
「次は流れ星が見たいなぁ」
「きっと見れるよ。玲奈だからね」
「なにそれ、
握っている手を振って鼻歌を歌う彼女。駅に着いてしまえばそれは別れを意味する。できればここで引き止めたいけど、彼女は足早に進む。
それならしかたがない。駅に着くまでの間、花見といこうか。
◯
午後七時以降は駅員さんがいなく、無人になる。上り線の利用者は多くないからだろう。まあ下り線は年中無人なんだけどね。駅内は明るくて、玲奈の姿が鮮明に見えた。顔や手、足に細かい傷がついている。綺麗なアサガオの浴衣も泥で汚れてしまっている。俺の勘違いを悟られないように、周りに気にかけて祭りを楽しむ。そして自分がボロボロになっても俺を探してくれた。ここまでできるほど玲奈を突き動かしたものはなんだったのか、今ならわかる気がする。
機械で切符を買っている彼女を改めて見る。心が満たされるような暖かみを感じる。素直に嬉しい、そんな気持ちだった。
「喜一、これでいいんだよね」
都心までの片道切符を手に持っていた。普段学校や都心に行くときは、定期を使っている。切符なんて買わない。だからかな、三六〇円と書かれた切符が懐かしい。
大事そうに切符を握って、壁に貼ってある時刻表を確認していた。残りの列車は二本だけ。あと十五分ほどで列車が来てしまう。俺と玲奈が一緒にいられる時間はもう残ってない。彼女と過ごす十五分なんて体感一分くらいだ。もっとゆっくり時間が流れてくれたらいいのに。現実逃避をしようにも、時計は待ってくれない。カタンっと分針が動く。
「もう入ってようか」
「え、でも……」
「俺幽霊だから切符必要ないよ。ホームにベンチがあるからそこに座ろう。最後まで見送らせて」
“カッシャ”
改札を通ってベンチに行く。玲奈を座らせるために埃を払ったけど、幽霊だしちゃんと払えてるかわからない。長い距離を歩いたせいか、玲奈はふーっと息を漏らす。上を見上げると、ホームの薄暗い蛍光灯が点滅していた。横にある自販機の音がやけに耳に入る。さっきまではあんなに話していたのに、いざ別れが近づいてくると喉に言葉が詰まる。言わないといけない言葉は決まっているのに。
沈黙すること約十分、駅のアナウンスが無常に流れた。
“一番線、普通列車がおみなえ駅を発車しました”
「そういえば、コンクールってこの時期だよね。どんなの描いたの」
「あーあれねぇ。私は好きなんだけど多分佳作にもならないんじゃないかなぁ」
彼女は眉間にしわを寄せて笑った。絵が好きな玲奈にしては珍しく、どこか他人行儀な評価だった。そのモチーフやタイトルを聞いても「内緒」と返されてしまう。
さっき沈黙していたことを後悔する。せっかく話が盛り上がってきたのに、列車が来てしまった。
「もう来たか」
「早いね」
これで最後。玲奈と会うことはもうない。ベンチに座っているときも、一緒に歩いていたときも、なんなら祭りにいたときからわかっていた。俺が死んだ事実は変わらない。生きている玲奈に苦しい思いをさせないように、俺がきっぱり言うべきだ。それなのに、いざ列車の機械音を耳にすると寂しさが隠しきれない。行かないで、そんな言葉を口走ってしまいそう。
俺らは立ち上がって白線の前で待機する。しっかりと手をつないで。一瞬眩しく光ったかと思うと、列車が入ってきた。キーキーと音を立てて徐々に速度を落とす。そしてついに列車は止まった。
——お別れだ。
しかし玲奈は動こうとはしなかった。じっとその場に立ち尽くして地面を見ている。
“ドアが閉まります。ご注意ください”
結局列車はだれも乗せることなく走り出した。窓から漏れる光が顔にあたって、点滅するように表情を見せる。瞬間的に映るそれは心地よいものじゃなかった。列車が走り去ってまた暗闇に戻った。それでも眉ひとつ動かすことなく、ただ焦点の合わない目をホームの
「いいのか?」
「まだ終電が残ってるし大丈夫。もうちょっとだけ」
次が最終便、未成年の俺らにこれを逃すという選択肢はない。ベンチには戻らないで、そのまま白線の前で列車を待っていた。ときおり会話を挟んで、ときおり沈黙する。
——言わないといけないってわかってるのに……。
言いたい言葉が言えない。言わないといけない言葉は言いたくない。
——どうしてさよならが言えないんだ……。
自分の未熟さと玲奈との別れでつい涙ぐんでしまう。なにをしゃべろうにも泣き声になってしまう。情けない。悔しい。
俺が求めていた幸せってなんなんだ。玲奈と一緒にいることだったはず。でも俺はもう死んでいる。それはもう叶わない。やるべきことはただひとつ、彼女を見守ること。彼女の足枷になんてなりたくない。死んだ俺を引きずって、この先の人生を無駄にして欲しくない。玲奈にはずっと笑顔でいてほしいんだ。そうだ、そう言おう。素直に全部伝えよう。伝えよう……。
——だめだ……。
頭ではわかっているはずなのに言葉が喉を通らない。別れたくない。もっと一緒にいたい。くだらないことを話してふたりで花を咲かせていたい。俺の心は自分が思っている以上に幼かった。情けない。悔しい。
虫の音と車の走る音が聞こえる。静かに、ただ静かに。足をちょっと動かしたときに、地面と靴底が擦れて音が鳴る。異様に静かなホームだと、そんな些細な音ですら響く。空を見上げて星を眺めようにも屋根がついている。彼女を見ようにもどんな表情をすればいいかわからない。結局このままなにも伝えられずに別れちゃうのかな。恋人に感謝も言えないのか。
目から涙が溢れる。声を押し殺してじわじわと頬をつたう。大きくなった雫は地面を打った……。
「泣くんでない」
はっとして振り向く。そこには涼しげに笑う彼女がいた。俺の頬に手を当てて軽く撫でる。その手は幽霊の俺が感じるほど温かくて暖かいものだった。強く響いた言葉は涙腺に涙を走らせた。
「幽霊でも泣くんだね。というか私のほうが泣きたいよ」
いつもの調子でしゃべっているけど、少し声が震えていた。彼女の目にも光るものがあった。玲奈も同じだったんだな。そしてその手を頭に乗せてポンポンと二回優しく叩いた。
「君の言いたいことはなんとなくわかるよ。彼女だからね」
「玲奈……」
アイビーの花を咲かせた玲奈。ああ、これだ。俺が見たかったのはその笑顔。泣いているせいでちょっとぎこちないけど、目に見えないメッセージが伝わってくる。
そのあと、また静寂がやってきた。お互いの心を整理するかのように。俺が言わないといけない言葉はふたつにひとつ。
「さようなら」か「いかないで」だ。
蛍光灯がビビッと点滅したそのとき、玲奈が抱きついてきた。
「私だってもっと一緒にいたいよ……! 一緒におしゃべりして、一緒に遊んで、一緒に笑って。これからもずっとこのままでいたい! 離れたくない……怖いよ……喜一」
叫んで泣いて、感情そのものをぶつけてくる。ほんの数秒まえまではお姉さんのようだったのに、今は壊れる寸前のガラス細工だ。触り方ひとつ間違えば、取り返しのつかないことになる。でも俺はもう大丈夫。今まで玲奈からたくさんものをもらってきた。彼女がいたおかげで俺の人生は鮮やかに咲き誇った。まさに命の恩人であり、心の支えだった。大袈裟かもしれない、でもどんな例えをしても溢れる感情を表現できない。
時間がない。顔に余裕はないけど、最後まで彼氏として向き合いたい。
“まもなく、列車が到着いたします。白線の内側までお下がりください”
自動音声のアナウンスが入った。あと一分も経たずに列車が到着する。どうあがいてもこれが最後だ。
泣いている玲奈の肩を持ってしっかりと目を見つめる。俺の想いを、“真心”込めて。
「俺はどこにもいったりしない。玲奈のことも忘れない。いつまでもそばにいるよ。約束だ」
「うん、約束。絶対だよ」
列車が入ってきて風が巻き起こる。窓から漏れる光が“俺ら”を照らす。
逆光になったふたりのシルエットはひとつになる。
「今のって……」
「花火のお返し」
玲奈は落ち着いた表情で列車が止まるのを待っていた。その光景はひとつの額に収めるにはもったいないほど、俺の心を震わせた。せめて最後に言葉をかけたいけど、なかなか思いつかない。あの二択ですらまだ決まっていない。
「そのキャリーケース、私には必要ないから喜一にあげるね」
列車が完全に止まってドアが開く。吸い込まれるように列車に向かって歩き出した。俺はただそれを見つめていた。寂しい気持ちはある。けどどうしてだろう、体が温まる感覚がする。
一歩、また一歩と近づくにつれて“別れ”の文字が鮮明になっていく。あと一歩踏み込めば列車の中だ。そんなにもあっさりに行ってしまうのか。すると玲奈は振り向いて最期の言の葉を置いていった。アイビーの笑顔で。
「じゃあね」
列車に乗り込む玲奈。進行方向とは逆を向いてドアの前に立つ。手すりを握っている手がかすかに震えていた。その表情は複雑で端的に暗いとは言えない。少なくとも、胸が苦しくなる表情だった。
“ドアが閉まります。ご注意ください”
機械音と笛の音が俺らを切り離そうとする。拳を握ってバネに弾かれたように叫んだ。
「玲奈!!」
それに反応することはなかった。それでもいい。伝えなきゃいけない言葉がある。
閉まりかかったドアの隙間を狙って、言の葉の返しを渡す。
「さようなら」
ドアが閉まったその一瞬、玲奈ははっと目を見開いた。そして泣きそうに微笑んだ、ような気がした。発車するときも彼女と目は合わなかった。
——俺の選択は正しかったのだろうか。
線路を走る音が遠ざかっていく。そのライトが見えなくなるまで名残惜しそうに見送る。列車の歩みを止めることはできない。何百回と見てきた列車の後ろ姿、こんなにも無常で寂しいものだったっけな。そしてとうとう、彼女を乗せた最終便は暗闇に消えていった。
「またね……」
残された俺はベンチに座った。玲奈が残したキャリーケースを隣に置いて、ふーっとため息をつく。
蛍光灯に虫が集まり音を立てる。最近新しくなった自動販売機が保冷している。ひとりになった瞬間、話周りの音がすべて雑音となり、とりわけ耳に入るものはなかった。彼女と別れた実感も湧かなかった。友達と遊んだ帰りのような、気持ちいい疲労を感じる。幽霊でも疲れるんだな。このまま目を閉じれば成仏できそう。そう思ってゆっくり目を閉じた。一瞬にして真っ暗になり、瞼の裏に奇妙な模様が映る。まるで生きているみたいだ。
なにもない。なにも見えない。そんな暗闇の片隅で花が咲いている。段々と鮮明になってきて頭の中を埋め尽くす。相引玲奈。俺の恋人だった人。かけがえのない人。俺の人生に花を与えてくれた人。出会ってから今日にいたるまでの思い出を振り返った。どのシーンを切り取っても彼女は笑顔だった。そのさまを一枚の絵として額縁に収めてある。ひとつとして忘れたことなんてない。絵の具で汚れた彼女も、一緒に弁当を食べる彼女も、アサガオ柄の浴衣を着た彼女も。大好きだった。
“私には必要ないから”
さっきまで気にならなかったけど、こうも目の前にあると心がざわつく。開けちゃだめなんて言われてないし、あげるってことは俺がどう扱ってもいいってことでしょ。これで中身が気にならない人はいない。あ、俺幽霊だった。
キャリーケースを自分の前に持ってくる。案外軽い。なにも入ってないんじゃないかと思ったけど、中でなにかが揺られる音がした。伸びた取っ手をしまって横向きにする。トランクと同じやり方で左右に付いている金具を上にあげてロックを解除する。いよいよご対面。緊張と好奇心で心臓はバクバク。一旦落ち着くために深呼吸をする。よし、開けるか。固唾を飲んで、恐る恐るそれを開ける。
「これは……」
キャリーケースの中には、今まで俺が玲奈に渡したプレゼントやデートで行った場所の記念品があった。手紙やパンフレット、映画のチケットなどは散乱しないようにまとめられていた。アクセサリー系も同様に。玲奈がもう必要ないと言った理由がわかった気がする。玲奈の出した意味不明なヒントの
細かく見てみると、俺がなんにもない日にあげたお菓子の箱が入っていた。その箱には“部活頑張れ”としか書いていない。ただのゴミなのに、写真を撮るでもなく、現物を残していることにじんとくる。
「まったく、玲奈らしいな」
ひとつひとつ丁寧に目を通していく。ここにあるものすべてが思い出のかけらだった。俺が生きていた証だった。
——本当に大好きなんだな。玲奈も俺も。
キャリーケースの中に入っていたものはあらかた確認した。せっかくだから最初と同じように綺麗にまとめようとすると。内側のポケットに膨らみがあった。手を伸ばしてみるとなにかあった。慎重に取り出してみると、綺麗に
しかしそれに見覚えはない。俺が」渡したものじゃない。それに開封もされてないし、真新しい手紙だった。裏返してみると角に小さく“喜一へ”と書かれていた。
「俺あて?」
封を切って中を取り出す。そこには手紙とラミネートされてるアサガオの絵が入っていた。折り畳まれた手紙を広げて読んでみることにした——
“喜一へ
急に手紙渡されて困ったでしょ。私も今とてもドキドキしてます。字汚いから読めなかったらごめんね。
今日は旅行最終日です。どうでしたか? 一番の思い出はなんですか? これを書いているのは旅行まえですが、私はとっても楽しかったです!! っというでしょう。実際に聞いてみてください。
喜一と付き合ってもう一年が過ぎました(はやい!)。喧嘩したり、泣いたり、笑ったりいろんなことがあったけど、やっぱり喜一と出会えてよかったなと思います。
そんなささやかなお礼としてパスケースとしおりを用意しました。このしおりは定期券と同じサイズなのでパスケースに入れたり、本に挟んでも大丈丈夫です。
馬鹿で不器用で、想像以上に
打ち上げ時刻に間に合わなかった去年の花火大会、絶対リベンジしようね。
夏休みが明けたら、また一緒に帰ろうね。
やりたいことはたくさんあります。ほかのだれでもなく君と一緒にいたい。だからなにがあっても私は君のそばにいます。約束だよ。
こうして一年間一緒にいれるなら何年経ってもきっと大丈夫だね。私の人生に花を咲かせてくれてありがとう。これからもよろしくお願いします。大好きです。
玲奈より”
この手紙を読み終わったころには、俺は声を出して泣いていた。手紙を持っていないほうの手で涙を拭く。しかし拭いても拭いても治らなかった。
「ありがとう……ありがとう……」
一緒に行くはずだった旅行。もし俺が生きていて玲奈と旅行に行ってたなら、同じくらい号泣していたんだろうな。文字を見れば自然と玲奈の顔が浮かぶ。声が聞こえる。暖かみを感じる。こんなサプライズ用意していたなんて。本当に困っちゃうな。
紙に書かれたひと文字ひと文字が染み渡る。自分の存在をこんなにも認めてくれる人はいるだろうか。月日が経っても変わらぬ想いを抱いている人はいるだろうか。約束だからとか、付き合っているからとか、そういった義務感を一切感じさせない。彼女にとって約束は束縛じゃなく、自分自身への決意を、相手への愛を示すものだったかもしれない。この手紙や思い出がそう確信させる。心臓が熱くなる。まるで生きているみたいだった。
いつか会ったら、この手紙の返しを送ろう。“真心”に咲いた言の葉を目一杯詰め込んで。
それからどれだけの時間が過ぎたんだろう。なんどもなんども読み返した手紙は少しよれてしまった。大事に畳んで封筒にしまう。そしてその封筒を眺める。また浸る。
周りはまだ暗い。心なしか女郎花の量が増えているような。というか、そもそも女郎花なんていつ植えたんだ? 去年や
“フォーン”
すると突然、どこからか汽笛が聞こえた。上り線の列車が来る右側を見てもなにもない。まさかと思って反対側に目を移した。そんな……あれは……。遠くにライトが見えた。車の光でも街灯でも、ましてや女郎花でもない。
“午前二時二十二分”
キャリーケースの取っ手を持つ。もう片方の手には玲奈からの手紙を握る。俺も行こう。その顔にはもう涙はなく、清々しい表情だった。
“プシュ”
ドアが開いて、一両目の一番端から中へ入る。一両目の客は俺以外いないらしい。すぐには座らず進行方向とは逆を向いてぼーっと外の景色を眺めていた。
“ドアが閉まります。ご注意ください”
「じゃあな」
ドアが閉まって、列車が動き出す。街灯や民家が俺の後ろから登場して奥に消えていく。上り線のほうは毎日利用していたから慣れている。けど下り線方面は久しぶりで、見慣れてない景色に胸が躍る。中学校まで地元の学校だったから、外の世界に興味があった。だから高校を選ぶときの最低条件は都心の学校だった。毎日通って、友達とも遊んだ。知り尽くしていたと思った俺の世界はこんなにも狭かったんだな。地元ですら新境地になる。
しばらくして席に座った。一番ドアから近い席だ。キャリーケースを隣に置いて一緒に揺られる。古い列車だから心配していたけど、案外揺れも少ない。レトロな雰囲気もあって心地もいい。
「楽しい人生だったな」
手に持っていた手紙を両手で包み込む。まだほんのり暖かい。撫でるように手を動かすと、玲奈の顔が脳裏に浮かんだ。車両がアイビーの香りで包まれた。ふと二両目を見る。やっぱりね。奥のほうを眺めて微笑む。
「これが君の約束なんだね」
外の景色は次第に見えなくなり、トンネルに入ったように暗くなった。ゆっくり目を閉じて“真心”に身を任せる。眠りに落ちるみたいに、次第に意識は遠くなった。そして列車が闇に消えたのが感覚でわかった。
片道切符を片手に、終着を目指す。
「ありがとう、玲奈」
“最終列車、発車しました”
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