追放されたマッチョ令嬢は婚約破棄の果てに真実の愛を得る

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追放されたマッチョ令嬢は婚約破棄の果てに真実の愛を得る

 自重を超える質量のバーベル。

 私はそれを両肩に乗せ、背筋を伸ばし、フォームを固めて1回、2回と筋肉への負荷を確認しながら屈伸を繰り返す。


 ――お前のような女と結婚できるか! 私はネトリーを愛しているんだ!


 力むたびに、昨年の学園卒業パーティでの思い出がフラッシュバックする。

 大腿四頭筋が、ハムストリングスが、下腿三頭筋が怒りで膨張しそうだ。


「いいよいいよ! もう一回追い込もうか! いけるいける! よーし、すごいね、さすがはレイリア! 次は胸筋を攻めようか!」


 ベンチプレス台に寝そべり、やはり自重を超えるバーベルを握る。

 取り落しても危険がないよう、ヘラルクがそれを支えてくれている。


 ――殿下と破談になっただと……。貴様のような出来損ないの娘の顔はもう見たくない! 金輪際当家の門は潜らせん。どこへなりとも消えるがいい!


 6回、7回、バーベルを押し上げるたびに、怒り狂った父の表情が脳裏をよぎる。高鳴る動悸が、悔しさによるものなのか大胸筋のパンプアップによるものなのかわからない。


「いいよいいよ! まだまだいけるな! もう1回、ラスト1回! しっかり息を吐いて! すごいねレイリア! これなら次はもう少し重くしても大丈夫だ!」


 いま私がいるのは辺境のジムだ。

 王位継承権1位であるイログールイ王子に婚約破棄をされた私は、王都から逃れるようにしてこの地にたどり着いた。


 全生徒が集まる卒業記念パーティの場で、見せしめのように同級生のネトリーへの陰湿ないじめを糾弾され、婚約破棄を一方的に通告されたのだ。

 私自身は何も身におぼえがない。どうせネトリーの豊満な肢体に籠絡ろうらくされ、あることないこと吹き込まれたのだろう。


 殿下は常々「女は胸だ。おっぱいが大きければ大きいほどいい」などとオークにも劣る品性の発言を繰り返していた。

 影で眉をひそめるものは多かったが、この国における王族の権力は絶対的だ。

 誰もその言動を咎めるものはなく、わがまま放題に育ってしまった。


 いけすかない王子ではあったが、私も婚約者として気に入られるための精一杯の努力はした。

 生まれつき乳房はそれほど大きくなかったから、毎晩腕立て伏せにいそしんでバストアップを心がけた。

 怪しげな導師の指導の元、ヨーガと言われる異国の体術も身につけた。


 それが目的ではなかったが、おかげさまで全身は見事に引き締まり、無駄な肉のない剃刀のような肉体を手に入れた。

 毎夜毎夜、姿見の前に立っては全裸でポージングを決めるほどになったのだ。


 しかし、殿下はそれもお気に召さなかったらしい。

 本人は剣術も馬術の修練もサボっているから、全身ぶよぶよの脂肪だらけだ。

 ゆったりした衣装でごまかしてはいるが、私と並ぶとコンプレックスが刺激されるらしく、私が身体を磨くほどに距離が離れていった。


(くそがッ! 鍛えりゃいいだろうがッ!!)


 そんな二人の間にできた心の隙間につけ込んだのがネトリーという女だった。

 平民出身だが学業抜群にして容姿端麗ということで、基本的に貴族しか入れないはずの学園に入り込んできた生徒がネトリーだった。


 平民では逆立ちしても入学試験に合格できるはずはない。

 試験で求められるのは、平民には秘匿されている統治や戦争、歴史にまつわる知識ばかりなのだ。

 それを知っている時点で平民出身という設定に無理があるのは誰が見ても明らかなのだが、「容姿端麗」という点で王子による強い推薦があったらしく、入学が許されてしまった。


 いや、絶対他国のスパイかなんかだろあいつ。


 しかし、私ひとりが騒いだところで女同士のみにくい嫉妬と片付けられてしまうのがこの国の有り様である。

 他国の書物から得た知識だが、こういう価値観を男尊女卑と呼んで廃絶しようという運動家もいるらしい。

 いまいちピンと来ない考え方であるが、人間の価値に男も女も関係ない、という点については強く同意する。


 なぜなら、人間の価値を決めるのは筋肉だからだ。


「いやー、今日もがんばったねー。これでうちのジムに来てから1年ぐらい?」

「ええ、今日でちょうど1年でございますわ」

「うん、ちょうど約束の期限だねえ」

「ええ、あなたの要求に応えきったのだもの。契約は守ってくださいますよね?」

「もちろん! 悪魔は契約を絶対に守るものさ!」


 ヘラルクが真っ白な歯をキラリと輝かせて応える。

 そう、ヘラルクは悪魔だ。なんでも筋肉の権能とやらを司るらしい。

 黒い短髪に小麦色の肌、それを押し上げる分厚い筋肉、薄い脂肪をまとったそれは神殿の彫像よりも遥かに美しかった。


 ――力がほしいか……?


 王都を追い出された私に、ヘラルクはそう囁きかけてきた。

 あまりの出来事に平常心を失っていた私は、一も二もなく頷いていた。


 ――ほしければ、我がジムに入ればくれてやる!


 というわけで、私はヘラルクの運営するジムに入っていた。

 もちろん悪魔との契約はタダではない。

 課せられた義務を果たすことで、それに見合う報酬を受け取る。

 それが悪魔との契約というものだ。


 私に課せられた義務は、ヘラルクが用意したトレーニングメニューを1年間完璧にこなすことだ。

 計算され尽くされたメニューに沿って身体を追い込んでいく毎日。


 筋力トレーニングだけではない、食事についても細かな管理がされた。

 基本的に低脂肪、ローカーボ。その他は食物繊維の多い野菜。

 具体的に言えば、ササミと卵の白身とキャベツの千切りばかりを食べていた。


 定期的にチートデイが設けられ、その日はケーキもアイスも、ラーメンだって食べ放題だ。

 私はチートデイで心の栄養を補給しつつ、「報酬」を得るためだけに1年間の過酷なトレーニングを耐え抜いたのだった。


 そうか、今日でいよいよ約束の1年なんだ。


 私はトレーニングウェアを脱ぎ去り、ジムの壁面に貼られた鏡に己の裸身を映す。

 丸太の如き上腕二頭筋、円錐のように整った形に乳房を支える大胸筋、家族が2世帯余裕を持って住めそうな腹筋に、山脈の如く連なる僧帽筋、広背筋、脊柱起立筋。


 これが私の1年間の集大成だった。

 1年前の私を剃刀とするなら、いまの私は分厚い鉈だ。

 私の肉体は、薪を断ち割り、藪を切り開いて進む鉈へと鍛え直されたのだ。


「ヘラルク……ありがとう。私、こんな幸せな気持ちはじめて。もう何もこわくない!」


 感極まって抱きついた私の頭を、ヘラルクはそっと撫でてくれる。

 鏡が視界に入り、裸体のままだったことを思い出して赤面してしまう。


「ああ、もう何も恐れる必要はないさ。君は完璧なトレーニーだった! 悪魔生活1000年、これほどまでにストイックな人間は他に見たことはない!」

「それじゃあ、いよいよ契約を……!」

「もちろんさ、目をつぶって、深呼吸して、身体の力を抜いてごらん」

「はい……」


 そして、私とヘラルクはひとつになった。


 * * *


 ヘラルクとひとつになった私は、王都を急襲し、衛兵をぶちのめし、王城に殴り込んでイログールイ王子をぼこぼこにしてから城壁に逆さ吊りにした。

 逆さ状態から腹筋が100回できるようになるまで解放しないという約束だ。


 もちろん、逆さ吊りのままでは死んでしまうので、適宜休憩を挟ませつつ、適切な栄養を含む食事を与えてきちんとした筋肉を育てられる配慮はしている。


 なお、逆さ吊り腹筋を終えたら次のメニューが待っている予定である。


 ネトリーについては、魔術師に命じてこれから一生プロテインをまぶした食事しか食べられない呪いをかけた上で国外に追放した。

 プロテインというのは一気に飲めばなんなら美味しいまであるが、無理に食事にかけたりすると地獄の味となる。


 帰る先は彼女を送り込んだ他国しかないだろう。

 そこで彼女がどんな境遇になるかは簡単に想像できるが、そこまでは私の知ったことではない。


 私がヘラルクに求めた「報酬」とは、ヘラルクの筋肉であった。

 あの美しい筋肉とひとつになりたかったのだ。

 契約を遂行し、ヘラルクの筋肉を手に入れた私は、その力をもってクーデターを成就させた。


 これから我が国は、王政も貴族制も廃する予定だ。

 ただ純粋に、美しい筋肉を持つものが上に立つ、平等な筋力主義社会を作り上げていく。


 そんな決意を胸に秘めつつ、私は今日も己の肉体美を鏡に映しながら、筋肉に向かって愛を語りかける。


(了)

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